台本と作曲

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Ky-157

Libretto and Composition

2006年も間もなく終わりますね。今年はどんな年でございましたか。2007年を目前にして振り返ると複雑な心境になりますが、人生の最晩年をどう過ごすかというテーマに向かってゴールが見えて来ましたね。トラックで言えば最後の直線コースであります。80歳を老年学校の6年生卒業の年とすれば、私の場合はあと17年1ヶ月しかありません。五ヵ年計画を立てても三回しか企画出来ません。40年前の京都での学生時代からの夢である日本語オペラの制作など本当に可能なのでしょうか。亀さんの様な余りに遅い歩みでしたが、夢だけは捨てずに今日まで来ました。完成することの有り得ないライフワークですが、ゴールから逆算して今年は何をするべきかと計画を立てて進みたいと考えています。過去十年間は何をしていたのかと回顧すれば、日本語オペラ制作に必要な研究は続けて来ました。特に作曲のために音律の研究をしました。その結果、非平均律五音音階が日本語には最も相応しいという事も分かりました。モーツァルトの全作品を聴く旅も始めましたが、全ての作品を聴くのは大変なことであります。現在はモーツァルトに至る音楽史上でハイドン、ヘンデル、バッハは必須科目であることも理解出来ました。特にヘンデルは傑出していて、あの「メッサイア」オラトリオを何と21日で書き上げたというではありませんか。英語のテキストにあの素晴らしい音楽を書いたのですから、ヘンデルは並みの天才ではありません。ハイドンはモーツァルトの唯一の父親以外の先生ですが、ハイドンはそれまでの音楽史上で最も偉大な作曲家はヘンデルであったと考えていた様です。当然のことながら、モーツァルトの音楽にもヘンデルはハイドンと共に多大の影響を与えています。バッハが純ドイツ的だあったのに対して、ヘンデルはイタリアにも赴いて音楽研究をしています。イタリア音楽とドイツ音楽の双方の良いところを摂取して、ロンドンで「メッサイア」を書きました。モーツァルト親子がロンドンに行った時は、ヘンデルの時代ではなかったが、バッハの末っ子のクリスチャン・バッハが活躍していたのでモーツァルトは多大の影響を受けています。8歳の時にロンドンで書いた交響曲第一番から四番までを聴くとそのことがよく分かります。シンフォニアというのは、オペラの前奏曲のことを意味していました。三楽章形式でテンポは急・緩・急という変化を基本としていました。前奏曲ですから10分余りのことが多かった様ですが、モーツァルト自身は晩年には30分位の交響曲を書いています。ベートーベン以後に60分以上にも長くなった様ですね。
ともあれ、オペラの作曲をするにはやはり台本がないと組織的な作曲が出来ません。オペラは文学と音楽の結合によって成立しますので、台本の上に作曲されるのが通常です。台本には二種類ありますね。まずは文学者が書き下ろす台本です。ト書きなどは最小限に記述されていて文学作品としても読むことの出来る形式になっています。これを
原作台本と呼びます。しかし、その台本に作曲しようとすれば音楽に対応して歌詞の配列や繰り返しを編集しなければなりません。作曲される段階では原作の台本とは歌詞が音楽に合わせて大きく変化しています。これを作曲用台本と呼んでおきましょう。作曲家はこうしてこの台本の上に楽譜を重ねます。そうして総譜と呼ばれる大部の楽譜が出来上がって来るのです。オペラ一曲の総譜は何百頁にも及ぶもので、その完成には職業作曲家が専従しても数年を要すると言われています。私はそこまで完成させる力量も時間も残っていません。主要旋律の見本を書くのが精一杯のところでしょう。また、オペラの原点である最もシンプルなオペラを目指しているので、楽譜も膨大なものは用意出来ません。通奏低音や通奏高音はコード番号だけを記入してバロック風に楽譜には書きません。通奏部の演奏者の即興演奏に託したいと考えています。編曲も後代の天才作曲家にお任せしたいと思います。原作台本と作曲用台本と主要旋律の楽譜までを担当したいと考えています。そうでなければあと17年では2〜3曲のオペラ作品しか残せません。新しい日本語オペラを京都から世界に発信するには個人で成し遂げることは有り得ません。何世代にも渡ってバトンを繋いで行かなければ歴史的な完成には至らないのです。出来れば台本の作者と作曲者は別人であることが原則ですね。私の場合はどちらか一つを担当しなさいと言われれば、やはり台本を取らざるを得ません。しかし、オペラの作曲法を知らなければ台本も書けないので作曲にも通じなければならないのです。作曲も出来る人が台本を書けば歌詞と音楽の整合性が高まります。そうすれば原作台本と作曲用台本との差は無くなります。作曲用台本が完成すれば作曲はもう殆ど完成したも同じですから。作詞と作曲の両方出来る人のことをCompoetと呼んでいます。ComposerとPoetの合成語ですが、音楽史上最大のコンポーエットはワーグナーですね。しかし、作詞と作曲を同一人物が行うとどうしてもワンパターンになります。ワーグナーのオペラは気宇壮大ですが、ワンパターンの傾向は否めません。やはり作詞と作曲は別人が原則ですから、どちらも出来る人でもどちらかに偏るのは止むを得ませんね。
台本を書くには作曲よりも年月を要します。オペラのテーマは何か。何を聴衆に訴えようというのか。どの時代のどの様な人物を登場させ、何を歌わせるのか。
その作品はオペラ史上でどの様な位置にいて、その後のオペラの歴史にどの様な影響を与える可能性があるのか。今後のオペラはどうなるのか。日本語で歌えるオペラは本当に完成するのか。「京歌物語」と言われる日本の短歌を基調とするオペラは可能であるのか。「Drama In Musica Kyotienna」という古くて新しい日本語の音楽劇が果たして実現可能なのか。何もかも未知数の探検でありますが、80歳の誕生日までには幾つかの日本語オペラ作品を上演出来るまでに到りたいと熱望しています。それは夢であるかも知れません。わが存命中に実現しないかも知れません。しかし、この45年間に音楽研究に従事して来た成果を後世に伝える為にも幾つかの日本語オペラ作品を書き残したいと夢見ている日々であります。私にまだ少しでもそれを実現する可能性が残っていれば、主よどうか我に力を授け給えと祈るだけであります。あまり期待をせずに待っていて下さいと申し上げる他はありません。尚、Drama In Musicaはオペラの最初の正式名称であり、KyotiennaとはKyotoの雅号として私が作った新語であります。Kyotoのラテン名と考えて頂いても宜しいかと思います。名詞としても形容詞としても使用できます。

京の歌うたい繋ぎてオペラ書く、絹の道をば遡るかな!

New Opera named Drama in Musica Kyotienna will be soon or later borne in Kyoto !

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       25 Dec 2006

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