旋律と和声

music forum

Ky-153

Melody and Harmony

音楽の五大要素の内で、テンポ(T)とリズム(R)及び音色(S)の他に重要なのはメロディ(M)とハーモニー(H)であります。作曲と演奏をする場合にはこれら五大要素の全てを配置して、音楽的な表現を先鋭化させる必要があります。私自身はテンポ(T)が音楽では全てであると考えていますが、今回は旋律(M)と和声(H)に重点を於いて論じて見たいと思います。この二つの要素は東洋音楽と西洋音楽ではその取り扱いが対照的であります。問題を単純化して言えば、東洋音楽では旋律(M)を重視して西洋音楽では和声(H)を重視するということになります。東西の音楽はシルクロードを通じて2500年来の交流がありましたので、東洋音楽と西洋音楽を対立する概念で分けるのは間違いでありますし、その歴史的展開から言っても東洋音楽と西洋音楽は世界を二分するものではありません。時間と空間の広がりでは東洋音楽が東アジアからアラビアまで圧倒的な分布を誇っています。西洋音楽の歴史は未だそれほど長くはなく、ギリシャ音楽がアラビアや中国の音楽の影響下に一定の発展を遂げていたことは歴史的な文献でも証明されています。三分損益法などは中国で発明された調弦法でありシルクロードを通ってギリシャまで伝わったものと考えられます。その中国の音楽もまたアラビアと印度の音楽から強い影響を受けています。西洋哲学で言うところの「弁証法」で物事を分析して、二つの対立概念に細分化する過程では当面の差異を際立たせることは出来ても、世界全体を観ることは出来ませんね。古代の四大文明圏は数千年も前から相互に交流があったものと考えられます。そしてわが日本の音楽はシルクロードの東の終点である京都に伝わってから1000年以上も保存されて極めて緩やかに発展し、雅楽から遂に世界遺産である能と歌舞伎を生み出すに至ったのであります。
近代の西洋音楽では平均律系の音律が主流になっていますが、東洋音楽では民族と地域に於いてそれぞれに異なる非平均律系の音律が伝統的に継承されて来ました。明の時代に一時平均律が中国で流行したとも言われていますが、中国と東洋全体に普及することはありませんでした。中国では既に周の時代に現代まで伝わる音律や音楽理論の基礎が完成されていました。理論的には周の時代には64の音律があったと言われています。印度では100近い音律があるとのことであり、西洋音楽では数種類の音律と12種類の音階しかないのとは比較にならない問題であります。「
序破急」なる三段階にテンポが速くなる組み立てはアラビアから中国まで東洋全体に共通の音楽概念であります。それは歌と音楽だけでなく舞踊との結び付きにおいて確立されたものであります。ハンガリーのチャルダーシュで見せるあのフィナーレの目にも止まらぬ速さの踊りはどうでしょうか?雅楽も本来は「序破急」の原理は共通でありますが、日本に伝わってからは「急」の部分が脱落しています。言葉では「急の舞」は残っていても舞踊のテンポはアダージョよりも遅いのであります。これは日本人の民族的特徴なのかも知れませんね。
では旋律と和声は同時には共存出来ないのでしょうか?どちらかを重視すれば他は後退せざるを得ません。東洋音楽では旋律を重視しますので和声は補助的な役割しか果たしていません。ルネサンス以後の西洋音楽では和声が重視される様になり旋律はあまり際立たなくなりました。キリスト教会の合唱の発展に伴って和声が最も重視される様になると旋律は単純化されて、所謂短いテーマの転調による繰り返しになりました。そして何よりも美しい和声が好まれる様になったと考えられます。この様に和声を重視すれば旋律は犠牲にならざるを得ず、旋律を重視すれば和声は補助的にならざるを得ないのではないでしょうか。どちらも同じ程度に強調すれば音楽の現場では混乱が起こりますね。和声の塊の様な西洋音楽で云う交響曲では、テーマと呼ばれる旋律は2〜3の短いフレーズに限られていて一時間以上も同じテーマが転調しながら呈示・展開・再現を繰り返しているだけの単純な構成(ソナタ形式)になっています。東洋音楽では旋律が全てであり、合奏曲の場合でも楽器を変えながら美しい旋律の極値を表現しています。多くの場合には即興的に演奏されて技巧の極限まで挑戦する所謂
Virtuosoの音楽が確立しています。西洋音楽が和声で伴奏するのに対して、東洋音楽では打楽器で伴奏するのが通常であります。旋律だけでなく打楽器の演奏も極限値まで高められています。名人芸の音楽は普遍的であると同時にその巨匠しか作曲・演奏出来ない音楽でもあります。東洋の音楽は普遍的であると共に限りなく個性的であるという二律背反を包容する究極の世界でもあります。
華麗な旋律を多彩な打楽器群で伴奏する東洋音楽と単純な主題を転調しながら繰り返し通奏低音などの和声で伴奏する西洋音楽とは別の宇宙の様に異なる世界であります。音の並び方も音域も狭く和声で
縦に重ねる西洋音楽と音域を広く配置して、特に高音を多用して多彩な旋律楽器を横に並べて打楽器群で伴奏する東洋音楽は対照的であります。このことは旋律を重視すれば和声は補助的になる他はなく、和声を重視すれば旋律を単純にするしかないという音楽理論の厳しい現実があります。旋律も和声もどちらも同等に強調すれば、それは音楽と言うよりは雑音的混乱と云う他はありません。通奏低音と通奏高音による伴奏の復活を提唱して参りましたが、旋律を過小評価する者ではありません。美しい旋律には程よい控え目の和声による伴奏が相応しいと考えています。打楽器による伴奏は未だ経験不足なので十分には取り入れていませんが、短く鋭い連打音による伴奏はそれ自体でも独立した音楽世界を形成しています。名人芸の旋律の極値が流れる時は打楽器群も沈黙すべきであります。また和声だけの音楽もリエゾンや間奏曲として活用出来ます。東洋音楽と西洋音楽に境界線を引く必要はありません。旋律本位の音楽もあれば和声重視の音楽も何処にあっても良いのではないでしょうか。表現すべき内容に最も相応しい音楽を用意することがオペラ制作には求められると感じています。音楽は人類共通の言葉であり、普遍的であると同時に限りなく個性的であるべきでありますね。
ところで音楽には何時の時代と地域においても正俗の二通りの音楽が存在しました。宮廷や王宮で演奏される音楽と巷で民間人が楽しむ音楽はその構成や使用する音の高さやテンポの速度が違っていました。この事は現代でも同様であります。クラシック音楽と大衆音楽では異なる要素が多いのであります。では音楽理論的にはどこが違うのでしょうか。このことを説明するために
Cm=F’3Tという方程式を用意しました。Cmは音楽的価値体系、Fは形式論、’3は3乗の意味、Tはテンポであります。教会音楽と宮廷音楽から発達したクラシック音楽は長い伝統の元で形式に拘って来ました。その要素は三つあります。まずリズムですがリズムもある一定の形式が要求されます。何の形式もなくアットランダムに取っている訳ではありません。旋律も然りで主題が提示されると展開して再現される形式を繰り返します。和声に於いても厳密な規定があります。平均律系の音階では転調により使用する和声も決まっていますし、転調先も決まっています。三楽章形式では第二楽章は必ず関連する調性に移行します。これがF’3の意味であります。Tはテンポですがテンポも展開するパターンが決まっています。三楽章形式では急緩急と変化するのが通常であります。クラシック音楽ではこの様な歴史的な規定が多く存在しています。しかし現代ではその古典的要素を無視して、無調音楽や形式を敢えて破壊する傾向の音楽が台頭していて混沌を極めているのが現状であります。それ故にモーツァルトの時代の音楽が今尚最も好まれているのであります。一方大衆音楽では、これらの型苦しい形式を無視して自由に歌い演奏されて来ました。それはある意味では良い事ですが、形式を無視しているので構成は単純で変化に乏しいことが多い様ですね。ポピュラー音楽には余り長い作品はなく、オペラの様に3時間も掛かることは有り得ません。リズムもメロディも単純で一つのテーマを歌い続けることに終始しています。テンポもあまり変化しません。和声は単純で各小節ごとにコードと呼ばれる和声記号が一つ与えられているだけであります。キーと呼ばれる音階的要素は転調を殆どしません。官民の音楽の長い歴史を調べると、何時の時代でも音高は民の方が半音程度高いことが多く、テンポはやはり民の方がかなり速いという特徴がありました。これは現代でも変わらない様ですね。クラシック音楽の世界でもモーツァルトの時代にはA=430Hzであったのが約200年後の今日ではA=440Hzまで上がっています。つまり200年で10Hzも上がったということで更に上がる傾向にあります。これは官の音楽が民に引っ張られて少しずつ上がって来たということではないでしょうか。テンポもポピュラー音楽では目も廻るほど速いですが、千年前に京都で完成した雅楽のテンポはスローモーションビデオの様に遅いですね!官民の音楽はこうして相互に影響を与え合って来た歴史があります。とりわけ舞踊のテンポと密接に関連しているのでありますね。クラシック音楽は総合的な形式を踏襲しているのに対して、ポピュラー音楽はその形式を無視して単純化されていると言えるでしょう。民謡は世界各地に歌い継がれて来ましたが、宮廷音楽の影響を受けながら単純化して広く普及して来た歴史があります。後白河法皇(1127〜92)が著した「梁塵秘抄」は当時の民間音楽を収集した歴史的文献として貴重でありますが、楽譜の部分が殆ど失われていることは残念であります。当時にはどんな歌い方をしていたのか誰しも知りたいですね。

縦横に音を並べて紡ぎ出す、匠の技よ普く響け!

Wondeful performance of virtuoso, ever be universal and personal !

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28 Jul 2006

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