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High Deviated Temperament and Low Deviated Temperament |
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非平均律五音音階で作曲する場合にどの様な音律を設定するかは、未だ実験研究の段階であります。中国からアラビアまでの伝統音楽を繰り返し聴いて分析していますが、東洋の伝統音楽で使用している音律は千差万別ですが、平均律ではなく非平均律であることは共通の事実ですね。平均律は余りにも物理学的に単純な音律なので芸術性がないという結論になります。和声効果を良くするために純正律の様にほんの少しだけ周波数をずらせる努力は西洋音楽でも為されて来ましたが、その偏移幅は数セント以内であるので平均律系という名称で総称されています。これに対して東洋音楽の音律は平均律からは数セントから50セント近くまで広範囲に移動しています。そこで平均律の構成音の位置から25セント未満に移動している音で構成されている音律を低偏移音律
Low Deviated Temperament と呼び、25セント以上から50セント未満まで移動している音で構成されている音律を高偏移音律
High Deviated Temperament と呼ぶことに致します。実際の音律では低偏移音も高偏移音も入り交じって使用されるので、低偏移音律(LDT)だけ亦は高偏移音律(HDT)だけの音律も実際には少ないことも事実です。この度の非平均律五音音階による実験作品「京愁」
Elegia Kyotienna で使われている音律の内、U4とU3が高偏移音律に分類され、U2とU1が低偏移音律に分類されます。平均律の音楽が平板的で奥行きが感じられないのに対して、非平均律の音楽は立体的であり多次元空間を表現しています。平均律の単純な和声に比べても、非平均律による和声は複雑で深淵であり、フランス語のennui”アンニュイ”という言葉で表現される様な未知の世界を内包しています。それ故に平均律系の和声学が東洋音楽では通用しません。その音響学的な分析は多次元空間に於ける音色間の共鳴と分散による現象ですから、高性能なコンピューターでなければ解析出来ないでしょうね。気温や湿度が僅かに変るだけでも音の周波数が変りますし、和声の世界もそれに連動して変化します。実際に揚琴の様な単一の楽器の演奏でもフルオーケストラに匹敵する音空間を観測することが出来ます。超低音から超高音までを網羅するスペクトルを計器で分析することが実現しています。和声を重視し過ぎて西欧音楽は返って単調になってしまったと考えられます。不協和音を敢えて音楽に取り入れた東洋音楽の世界は無限に拡がる可能性を残しているのです。非平均律の世界ではまだ未知の空間が探検されるべく待っています。人類が未だ聴いたことのない音の世界があるのです。非平均律音階を構成する順列と組み合わせは無数にあります。その未知の音楽は21世紀のコンピューター技術によって初めて研究が可能になりました。それは宇宙探検の様な天文学的な旅であります。そして今始まったばかりですから、どんな音楽が生まれるか誰も予測は出来ません。 それではどの様にして、求める非平均律音階を探し当てれば良いのでしょうか。スーパーコンピューターで無数の順列と組み合わせを設定することは可能です。しかし、数学的な順列と組み合わせでは純粋音楽の使用に耐える非平均律音階を作り出すことは出来ません。音階の構成音を五つまたは七つとする伝統は古今東西に根付いています。また音律の構成音を十二とする伝統も太古の昔からあるのです。この人類共通の音楽理論はコンピューターが選び出したものではありません。如何に新しい音楽と言っても、人類共通の音楽理論を全面的に否定する者ではありません。新しい音律を研究するのは、音律を構成する十二個の音の周波数を如何に設計するかという根本的な問題なのであります。民族と地域によって伝統の違いも個性もあります。私達は東洋音楽の世界に属していますので、人類全体の音楽の将来も視野に入れながら古くて新しい東洋の音楽体系を構築し直して、普遍的であると同時に個性的でもある非平均律音階の開拓を目指しているのであります。2300年前に荘子先生は言われました。「古は今なり」と。東洋音楽の何千年の歴史の流れの上に現在の瞬間があるとすれば、未来の方向もその同じ流れの延長線上にあると確信致します。音楽の歴史を深く調査研究すると共に、世界の民族音楽を聴いて歩く旅に出なければと心は静かに高鳴ります。私達が求める桃源郷の音楽は、私達の生活している足元から近い処にあるかも知れません。探検は先に進めなくなった処がゴールに成らざるを得ません。出来うる限りの最長不倒距離を目指したいと日夜願っています。後は主の御心に従う他はありません。 |
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15 Jul 2006 |
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