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Music of the Yunnan Province 2 |
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45年間も音楽を聴いて来て、やっと辿り着いたのが雲南省の少数民族の音楽でした。取り分けこの3年間の邂逅には物凄いものがあります。それは還暦を過ぎた直後に始まりました。その当時は延々とモーツァルトの全曲を聴き続けていました。2004年の3月にご縁があり京都へ雅楽の演奏を聴きに帰りました。モーツァルトを代表とする西欧音楽に40年以上も親しんで来た私の耳には将に「晴天の霹靂」でした。しかも1300年も前に日本に伝来した当時の音楽に近い形が1000年以上も京都で伝承されて来たことも驚きでした。300人を超える京都の若者達が立派にその伝統を受け継いでいたのです。そしてその年の暮れにはチベットの声明音楽に遭遇しました。読経の途中で突然に長さ3メートルの巨大な喇叭の超重低音が地球を揺るがす様に響いて来ました。雅楽の時以上に大きな衝撃を受けました。その時の心境を「驚天動地」と表現せざるを得ませんでした。私の音楽観は否応なしに再び混沌の中に迷い込みました。2003年の還暦の年に作曲した平均律による「ヒロリーナ組曲101」以来は進展の無かった私の音楽人生に、雅楽とチベットの声明音楽が決定的な転換期を与えることになったのです。この二つの音楽世界とそれまでのモーツァルトの音楽の影響下に期せずして生まれたのが、2004年の年末に作曲された自由組曲「京愁」でした。この作品に於いて初めて非平均律五音音階の世界に踏み入ることが出来たのであります。これは何かの奇跡としか言い様がありませんが、結果的には西欧音楽から東洋音楽へのUターンを決定付ける動機になりました。18歳で音楽を聴き始めてから今日まで既に45年が過ぎていました。そして2006年6月に至って遂に雲南省の少数民族の音楽に巡り合うことが出来たのです。将に桃源郷に辿り着いたという実感がします。歴史家の言われる通り雲南省の少数民族の文化に日本のルーツの一つがあると直感致します。そして何故か心安らかな幸福感に包まれています。京都オペラを作曲する為の音楽研究の旅が終わろうとしているとも感じています。懐かしい郷愁さえ覚える雲南省の小数民族の音楽を聴いていると長い間作曲出来なかったこの数年間がうそであるかの様に楽想が湧いて来る気がします。 ではその素晴らしい楽曲を幾つかご紹介します。お勧めの第一は「紅河的春天」という揚琴の独奏曲ですね。余燕Yu Yanさんの演ずる揚琴はまるで魔術の如く聴く者を将に桃源郷に導きます。1970年代の初頭にイ族の伝統曲のテーマから編曲された揚琴の代表的な曲目でありますが、この曲を聴いて揚琴がピアノの原型であることを実感できますね。志向清Zhi Xianggingさんの演奏するBawuという長い横笛の奏でる「馬桜花開」も名曲であります。この笛は音域の広いのが特徴の様です。陶志華Tao Zhihuaさんの木の葉で演奏する「山歌」二曲は絶品であります。日本で言えば草笛でありますが、木の葉一枚でよくぞここまで表現できるのかと驚嘆する他はありません。車轟Shan Yunluさんの月琴独奏曲である「雑弦調」は文字通り心の琴線を奏でます。龍明華Long Minghuaさんの演奏する瓢箪で造った胡蘆笙の曲「跳笙調」は雅楽で使用する笙とは趣の異なる音楽であります。趙立徳Zhao Lideさんの演奏するビルという竹製のイ族の管楽器による「敬酒歌」とティリという二つのリードを持つ双菅の管楽器による「過山調」は独特な音色を響かせます。二つの菅の僅かな音程のずれが鶏の鳴き声の様にも聴こえます。日本にはまだ伝わってない楽器が多いですが、違和感はありません。 何れの曲も非平均律五音音階で作曲・演奏されています。再生をしながら高性能チューナーで計測していますが、中国からアラビアまでの東洋音楽は例外なしに非平均律で構成されていることが解りました。私達の新しい京都オペラも非平均律五音音階で作曲したいと思います。雲南省の音楽を聴いてそのことが最も自然であり、西南シルクロードを通じて日本まで道が通じていることを確認することが出来ました。私が求め続けた桃源郷の音楽は天山南路ではなく、西南シルクロードにありました。この三年間の旅で到達出来たことはこの上ない喜びでもあります。是非とも雲南省の少数民族の音楽をお聞き下さい。モーツァルトを超える何かを発見されるでしょう。 |
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1 Jul 2006 |
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The Music of Ethnic Groups in Yunnan, China KICW 1059 King Record 1999 Dongjing Music in Yunnan, China KICW 1060 King Record 1999 |
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