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Pentatonic Approach to Music Therapy |
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ポール・ノードフ(1909−1977)は音楽療法の理論と実践においてこの分野の開拓者としての歴史的業績を残しました。21世紀になってもその弟子達が世界中で音楽療法の研究と実践に活躍しています。それだけの事ならそれほど驚く必要もないのですが、彼は五音音階を重視する立場を持っていたのです。彼は音楽的原型を古代中国の五音音階まで遡り、日本やギリシャ、中東、欧州へと伝わって行った歴史を尋ねて現代の民謡や民族音楽のルーツとなっている事実に注目しました。そして五音音階を積極的に音楽療法に応用しようとしたのです。弟子達が書き残した講義録が、1998年に"HEALING
HERITAGE Paul Nordoff Exploring the Tonal Language of Music"としてC&C
Robbinsによって出版されました。日本では若尾裕と進士和恵が2003年に日本語訳を音楽之友社から出版しています。日本人の二人の音楽療法の専門家によって正確な日本語訳に仕上がっており素晴らしい教科書として版を重ねることでしょう。若尾裕先生はピアノの即興演奏家でもあり音楽大学で教鞭を取っておられる音楽療法の専門家であり、進士和恵先生は京都国際音楽療法センター所長として音楽療法士を養成しておられる日本を代表する音楽療法の専門家であります。 原著はノードフと生徒達の会話形式の部分とコメントの部分から成り立っており、大変に読み易い構成で講義の臨場感さえあります。丁度、フックスの「古典対位法」が先生と生徒の対話集の形式で編集されているのを思い出しました。この文献は1960年に坂本良隆先生の訳で音楽之友社から出版されていて音楽を学習し研究する者の必読の教科書になっています。恩師の講義録を出版するに当たってロビンス夫妻にはこのフックスの古典が念頭にあったのであろうと推測しますね。ノードフが五音音階に興味を持ったのは、ジョセフ・ヤッサーという同時代の音楽学者の影響を受けているとの事であります。この方は「19音音階」なるものを考案して実際にピアノで実験までしたと記録にあります。ノードフはそのお手伝いもしている。ヤッサーは中国音楽の研究者でもあり、古代中国の五音音階が現代までにどの様にして世界中に伝播して行ったかを研究しました。英語版の著書も残されていますし、入手も可能かと存じます。("A Theory of Evolving Tonality" Joseph Yasser, Da Capo Press 1975) 五音音階に対してクライエントがどの様に反応するかは興味があります。元々人類共通の五音音階ですから、人種と世代を超えて共鳴する要素は内包しているのではないでしょうか。言葉がまだ発達していない子供や自閉症の子供は、五音音階によく反応すると言うことであります。そして、五音音階の一音を変えると泣き出して、元の五音音階に戻すと泣き止んだ事も報告されています。再度、変形した五音音階にすると再び泣き出すとあります。五音音階は一音で決まるという証明にもなっていますね。また、和声進行は五音音階の場合は3度から4度の二音を重ねるのが限度であると言っています。このことはこちらでも既に実験済みであります。ノードフは五音音階を世界の音楽の原型的音階であると位置づけており、五音音階を音楽療法に応用する実験を長らくして来ました。五音音階が今も生きているアジアではペンタトニック音階は普遍的であり、未来の音楽においても尚更に重視される音階であることは疑う余地もありません。ヤッサーは中国でも一時期にある地方で七音音階が採用されたが、すぐに消滅して伝承されなかったと分析しているのは興味深い。非平均律五音音階を研究して来た者にとっても、彼らの音楽療法への五音音階の応用には注目せざるを得ません。 さて、音楽療法に五音音階を応用する過程を分析していると、「五音音階の本質は何か」という音楽史上の巨大なテーマに突き当たります。そして何故五音であるのかという素朴な疑問も同時に抱きます。古代の音楽の原型と未来の音楽を直結しているのが五音音階であります。そして時代と地域、人種を超えて普遍的であります。モーツァルトはどうして五音音階で作曲しなかったのかは愚問であるかも知れませんが、「ソナタ変ロ短調Kv333」という作品はあります。変ロ短調は黒鍵のすべてを使う調性なので一種の五音音階とも言えなくもありません。モーツァルトは五音音階を意識したことは無かったのでしょうか。そうであるとすれば、モーツァルトは西欧音楽の真髄そのものであるとも言えます。モーツァルトも知らなかった音楽の世界は厳然としてアジアに存在するのであります。五音音階の本質を見極めるには、世界の民族音楽の全てを聴き尽くさないと見えて来ないでしょう。一人のひとの一生では決して辿り着けない永遠のテーマではないでしょうか。 世界中の童歌は五音音階で作曲されたものが多いので、音楽療法ではペンタトニックは重要な鍵を握っています。日本の童謡も例外ではなく、明治初期にイギリスやスコットランドの民謡を採譜して取り入れたのも五音音階であったから可能でした。日本語の歌詞をつけて歌っても何の違和感もなく、昔から日本にあった歌の様に懐かしさが伝わって来ますね。ペンタトニック音階は五音で構成されているので、どのキーにおいても5通りのペンタトニックがあります。第一、第二の順で呼ばれています。伴奏部分で例えば、B-Eで二音和声を構成している上にメロディ部分でF#が演奏されると所謂7thコードとなります。ここで三音和声が期せずして生まれて来ます。七音音階が五音音階を基礎として発展して来たことは明らかであります。彼らは中国音階で使っていない音も加えて転回系の7thコードを多用しています。そのことによって単純な構成の五音音階に豊かさを与えようとしたのですね。そしてクライエントが音楽のどの要素に敏感に反応したかを観察しました。テンポか、メロディか、音域の変化か? 指や身体の細やかな動きが音楽にどの様に反応したかを研究しました。全音階的ハーモニーが平和と安定を与えることも確認しました。一音を加えることで無視できない変化が生じると言いましたが、二音を変化させると更に劇的に変化します。五音音階は七音音階の転調以上に劇的な変化が可能なのであります。それ故に世界各地に民族固有の五音音階が発達して、人類共有の遺産として伝承されて来ました。これは既に非平均律音階の世界でありますから、ピアノの様な平均律系で調律された楽器では再現出来ないことは明白であります。世界に民族固有の楽器が多くあるのもこのことを証明しています。伝統的な民族楽器を音楽療法にも応用すべきであると思います。五線紙には記録出来ない民族音楽の長い歴史があります。21世紀の世界の音楽の動向を知る上で彼らは大きなヒントを与えて呉れました。クライエント達は鋭敏に反応することで、我々に古代から現代までの音楽における系統発生の歴史を喚起してくれたのではないでしょうか。ノードフ達が開発して来た音楽療法は「創造的音楽療法」と呼ばれていますが、即興演奏を基礎として自由で新しい音楽の世界を開拓する歴史的な試みでもありました。作曲と演奏を即興で行う高度な技量と何よりも鋭敏な音感を要求されることは、音楽療法においても作曲活動においても同様に必然であります。ノードフ達の音楽療法を通じて21世紀の音楽の未来が見えて来ましたね。 |
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5 May 2006 |
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"Creative Music Therapy" P. Nordoff & C. Robbins 1977 New York |
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