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Language and Music |
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お早うございます。当地でも桜が満開になりました。今年は花冷えで寒く開花時期はかなり遅れました。年々歳々繰り返される自然の四季の妙には驚かされますが、それだけ私達も年を重ねていることの証しでもあります。桜が咲くと同時に25年ぶりに風邪で寝込んでしまいました。この一年間は特に職業的な仕事が多忙で、昼食を摂る時間もない日々が続きました。原因はこの6年来の念願の事項も実現したので安堵して緊張が解けたのでしょう。無理は長続きしないと改めて思い知らされた今年の桜前線であります。お昼休みには必ず食事をとることで健康回復を軌道に乗せたいと思います。 さて、昨年末より音楽療法の研究と実験に取り組んでいるとご報告致しましたが、五月の連休明けから、いよいよ少人数による個別指導が始まることになりました。40年以上続けて来た音楽の研究が初めて社会的に何らかの貢献が出来ますことは嬉しく思っています。念願の日本語オペラの制作は未だ前途多難ですが、音楽療法では15分以内のプチミュージカルを制作したいと計画しています。平均律音階で作曲するのであれば何の問題もありません。現有の作曲ソフトで自由自在に作詞・作曲出来ます。MIDIであればネットでの配信も可能であります。私の究極の研究目標である非平均律五音音階による作曲は、現在の作曲ソフトでは不可能です。平均律音階で作曲した作品を後から非平均律音階で変換する研究も再開したいと考えています。しかし、音階の根本問題は音階を構成する音の周波数を決める問題ですから、等分割の平均律音階で作曲された作品を自動的に不等分割の非平均律音階で置き換えても音楽理論的には意味がありません。何故なら平均律音階の構成音と非平均律音階の構成音は全てその周波数を異にしているからであります。何れにせよ、非平均律音階の研究は容易な事ではありません。周の楽制の原点を遡るシルクロードの旅に終わりは有り得ません。 音楽療法に使用する楽器などを集めていますが、和音笛という楽器を取り寄せました。ハ長調の主要三和音をセットしたものですが、CEG、FAC、BDGがそれぞれ一つの笛に三枚のリードで収められています。音の出口を指で塞げば、三音の内の1〜2音を止めることが出来ますが、普通に吹けば和音がそのまま演奏出来ます。固定和音を発声するミニハーモニカという感じの楽器です。この楽器を音楽療法でどの様に使用できるかをスタッフと共に研究して見たいと考えています。小さいものですのでポケットに入れて笛替りに持ち歩くことが出来ます。楽しい用途を見つけたいと思いますね。生活指導や作業指導の開始や終了を告げるのに、和音を使うと面白いのではないかと考えています。音楽の授業でも昔から三和音で開始と終了の挨拶をした経験は誰しも持っていますね。音楽療法に和音を取り入れるとリズムとメロディだけの場合より、音楽的により豊かな音楽療法が実現するのではないでしょうか。 音楽療法は何故に効果的であるのか?を調査・研究する前に「言葉と音楽はどう違うのか?」というテーマに必然的に遭遇致します。音楽療法を研究することは言語と音楽の関係を研究することと同次元の問題であるかも知れません。言語も音楽もコミニケーションの手段でありますが、言語が何万もの単語から成り立っているのに対して、音楽は僅かに5音から12音で成り立っているのであります。言語と音楽の両方の要素を持っている言語に中国語があります。四声と呼ばれる声調によって、同じ音も声調によって言語としての意味が異なるという進化を遂げているのであります。これは有声言語という最も進化した言語と考えられています。言葉は並べるだけでは言語であるが、それに音の高低の変化を与えると歌となり、それは既に音楽であります。歌において言語が音楽に変るのであります。言い換えれば、歌において言語と音楽が融合するのであります。歌以外の音楽も存在します。器楽だけの音楽には歌はありません。ここまで考察を進めて来ると、オペラこそは言葉と歌と音楽が全てある芸術形式であることに気付きます。音楽療法の究極の目標をプチミュージカルに置いていると申し上げたのはこの理論的背景があります。ミュージカルは更に舞踊の要素を加えているのでありますから、オペラよりもう一つ要素が増えています。ここで仮の結論としては、歌うことこそ言語と音楽の出会いを実現することなのであります。音楽療法においても、歌うことが最も重要であることが推論されます。音楽療法であるとないとに関わらず、歌は音楽の原点であり終着駅でもあります。楽器がなくても手拍子で歌うことが出来ます。楽器の伴奏で歌えば更に音楽的になります。言葉は音楽で、音楽は言葉であると言っても良い程、この二つの要素は不可分の関係にあります。音楽療法に従事することになって、音楽とは何か?という根源的な問題に気付かされることになりました。この様な機会を与えて下さった関係者の皆様にも感謝申し上げる次第であります。知的障害者の方が言葉と音楽にどの様に反応されるか、またどの様な発達を遂げられるか長い時間を掛けて見守って行きたいと思っています。その事によって私の音楽観も深められて行くと信じています。 |
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15 Apr 2006 |
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