空間と時間(2)

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Ky-144

Space and Time(2)

村山先生、今晩は!毎日残暑が続いています。祇園祭から大文字までが京都では例年一番暑いとされています。冬の底冷えとは対照的なこの暑さは人間の思考を停止させるのではないかと昔は思いました。千年以上の長い間、都人は様々な工夫をして涼を取って来たのでしょう。エアコンの普及により現代は都市部は何処でもヒートアイランド現象により更に外気温は上昇していますね。やがては地球温暖化により更に異変が起きる様になると予測されています。お盆を過ぎれば朝夕は少しは涼しくなると思います。あと暫くの残暑かと思いますが何卒ご自愛下さい。
さて、前回の「空間と時間」は舞台論に関して構想を述べさせて頂きましたが、今回は今西錦司先生が発見された生物界の進化理論である「棲み分け理論」についてのお話であります。「棲み分け理論」とは、今西先生が学生時代から京都の北山で遊んでおられる時に、小川の同じ場所に時間帯によって別の魚達が棲み分けていることを発見されて、後にダーウィンの進化論を否定する歴史的な生物進化論へと発展しました。将に超ノーベル賞級の研究でありましたがその様な世俗の毀誉褒貶には関心を持たれない方でございました。多くの弟子を育てられて類人猿の研究では画期的な個体識別法を開発して世界のこの研究分野をリードしました。また、戦前から多くの登山と探検を組織して、こちらの方は数々の栄誉を分かち合っておられます。では、その「棲み分け理論」が音楽に何の関係があるのでしょうか?その前にこの「棲み分け理論」をご説明致します。棲み分けは「空間」に於いても、「時間」に於いても実現可能であります。空間に於いては、境界線を明確に引くのではなく、例えば季節により河の水量が異なる場合などは、自然界では棲み分けの境界は移動していますね。動物達が食べる食物が異なれば、自然界の営みに応じて上手に空間的に棲み分けています。立体的にも木の上と下に分かれたり、山の高度によっても種が分布しています。同じ空間を見ても、夜と昼、午前と午後とか動物達は実に上手く時差出勤して棲み分けています。自分達の種族を守る為と他の種族との競合的な平和共存を計っているのであります。また、肉食動物の狩りにしても自らの種の保存に必要な量だけを捕り、それ以上は襲わないという不文律を厳然と守っています。「空間」と「時間」の二大要素を巧みに組み合わせて棲み分けているのが、自然界の素晴らしい知恵ではないでしょうか?我々人類はこの自然界の知恵を忘れた、自分勝手な種族ではないですか?民族の中でも、他民族との間でも有史来、争いは絶えません。それが世界の歴史になって来た訳ですが、自然界から見れば愚かなことに相違ありません。動物界でも小規模の戦争もあるでしょうが、他の種族を絶滅させる様なホロコーストは自然界にはありません。ホロコーストが可能な核兵器は如何なる理由があろうとも容認できません。多種多様な生物が共存しているのが自然界でありますから、全ての種はお互いに存在価値があるのであります。ダーウィンの「自然淘汰説」による進化論に対して、今西先生は「棲み分け理論」を提唱して、生物界が空間を部分的に共有し、時間を時差的に活用して平和共存している事実を自然観察から結論づけられたのであります。マンモスが環境の変化に適応出来なかったのは説明がつきますが、カブトガニやシーラカンスは何故、二億年以上も生存出来たのでしょうか?どうして自然淘汰されなかったのですか?ダーウィンの理論では説明が出来ないのであります。カブトガニとシーラカンスは恐らくは棲み分けの達人であるのでしょう。人類にとっても平和共存するためであれば、今西先生の「棲み分け理論」はそのまま適応できます。現代の力の均衡政策による危うい仮の平和ではなく、自然界の知恵を人類も取り入れて平和共存による恒久的な平和を実現して欲しいものでありますね。
音楽に於いてこの「棲み分け理論」をどの様に応用しようと言うのでしょうか?音楽は時間の芸術ですから、時間的要素では緩急自在のテンポでは既に棲み分けていると考えることも出来ます。一定不変のテンポの音楽などは本来有り得ないのであります。同じ楽器が鳴りっ放しではなく、時差的に再現されますね。空間的要素としては、音階に関してまた、音律に関して棲み分けることが可能でしょうか? 音階はこれまでは一曲毎に音階が決まっていて平均律では転調はあっても音律が変るということは通常ではありませんでした。非平均律では転調が出来ないので、音律を変えて行く必要があります。これを変調と呼んでいますが、この変調は棲み分け理論に共通する部分があると気付いたのであります。平均律も数多ある音律の一つですから、非平均律と平均律との棲み分け、即ち時差的再現は可能であります。今西先生の「棲み分け理論」は京都学派の自然科学分野での金字塔の一つでありますが、京都オペラにもこの理論を応用出来ないかと模索しているところであります。平均律では何の問題も生じないところに、非平均律では根本的な問題提起がなされています。その矛盾を解決するのに「棲み分け理論」を応用できれば、五里霧中の船出をしましたが、北極星が見えない時でも方向が分かるかも知れません。空間と時間の大海原で木の葉の様な小さい船が帆を上げている訳ですから、何にでもすがりたいという気持ちにもなりますね。作曲再開の過程で、更に方向を見失えば空間と時間を分析して、進むべき方向を予測したいと願っています。自然界の生物達は、その鋭い感覚だけで危険を避けることが出来ます。そして種の保存と進化のために空間と時間を棲み分けて来たのでしょう。そんなことが音楽に何の関係があるのかと人は笑うでしょうが、こちらは真剣であります。五里霧中でそれほど方向を見失っているからであります。これからも適切なご意見や示唆をお願い致します。ほんの少しでも霧が晴れれば、その方向は一気に発見されるでしょう。DTMという羅針盤があるので、伝統楽器だけの時代よりは手段は進化していますので可能性はあると信じています。自分の今居る空間と時間上の位置は何処かを正確に知りたいですね。それをどうやって計測するかという問題なのです。この仮定的な理論をPUSTと呼んでおきたいと思います。即ち、Partial Unification By Sharing Time の頭文字を並べた名称です。Unificationは結合ですが空間と時間をその瞬間には共有しないと結合は出来ません。しかし、次の瞬間には空間的または時間的に離れて存在することになれば、この結合は全面的ではなく部分的であるという意味でPartialが付きました。この部分的結合は繰り返し行われます。これは人と人との出会いでも同じことが言えますね。都会とか都合という言葉は人と人が実際にはこのPUST即ち、「棲み分け的部分結合」で一期一会か、繰り返し出会っていると考えることも出来ます。この理論を作曲に活かしたいと考えています。非平均律の和声の研究などにもある程度役に立つ可能性もあります。何故にこの音律を採用するのかとか、何故にこの高さの音が必要なのか? 伝統楽器では不可能であった音域の拡大と和声の自由な組み合わせはDTMでは変幻自在であります!これは新鮮な驚きでありました。関礼子先生は、この度の実験作品をお聴きになって、単独の音では耳障りな音であるかも知れないのに2〜3音の和声になると聴き易くなると指摘して下さいました。非平均律では転調できないので、音律を変えて行かざるを得ません。その為にこの様なご指摘が必然的に出てくる訳であります。この「棲み分け的部分結合」という理論は実験段階でありますから、完成するかどうかも分かりません。仮説と実験を繰り返して、非平均律による古くて新しい東洋音楽の復活を目指したいと念願しています。「空間」と「時間」はどの分野にも共通の普遍的要素であります。この二つの要素に関わらない存在は有り得ないのではないでしょうか?それなら音楽に於いても応用が可能との仮説が生まれます。それを実験で証明しなければなりません。それがこれからの実験作品群でありますが、素晴らしい結果を得られたらいいのですが今はまだ何も分かりません。音楽は理論で作曲するものではありません。音楽は感性によって生まれるものであります。しかし、作品を分析してみれば後で理論上の説明は可能でしょう。その時に少しでも役立てば良いと考えて研究を進めます。

何故に時と所を棲み分ける、平和に暮らし種を守る為?

Why sharing space and time, it's for peaceful coexistence of nature world ?

English

         15 AUG 2005

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