京都オペラのメッカ

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Ky-142

Mecca of Kyoto Oprera

村山先生、6月11日の土曜日には久しぶりにわが京都オペラのメッカである、嵯峨野にある大覚寺と大沢の池周辺に参りました。梅雨の到来を思わせる小雨の降る中を午前中の約三時間を憧れの地で過ごすことが出来ました。この大沢の池こそは学生時代以来の私の最も愛する、京都オペラのメッカであります。何時かこの池を舞台に日本語オペラを書いてみたいと思い続けて40年が過ぎ去りました。幸い健康にも恵まれてその夢が一歩づつ近づいて参りましたことは何よりも嬉しいことでございます。雨の土曜日の午前中、まだ観光客が来ない間に大沢の池を一周して愛用のカメラで写真も沢山撮って参りました。春夏秋冬を問わずこの池周辺の写真記録は残っていますが、雨の日の写真は多くはありません。カメラは現在では再び銀塩カメラに戻っています。デジタルカメラ全盛の時代になりましたが、様々な理由で伝統的な撮影過程を重んじる様になりました。コンタックスT3というコンパクトではありますが、高性能の小型カメラをとても気に入っています。
大覚寺と大沢の池はご承知の通り平安時代初期に嵯峨天皇が離宮を営まれたところでありますが、1200年の変遷を経て今日まで平安時代の寝殿造りと廻池式庭園の姿を今に伝えています。有名な
名古曽の滝という小さな滝から池に水を引き、中国の名勝地である洞庭湖を模して造られたと言われていますが、将に京都的な箱庭文化の発祥の地とも言うべき処であります。嵯峨天皇亡き後の876年に離宮は大覚寺と命名されて今日に至っています。生け花の嵯峨御流は日本の華道の元祖でありますが、花器に水を張り、剣山を配置して花を生ける形式は将にこの大沢の池がモデルであることをご存知でない方が多いのではないでしょうか?また空海が何度もこの地に嵯峨天皇を訪問されて共に風流を愛でたという望雲亭も残っていますが、空海を見送る時に天皇が詠まれた漢詩から命名されたとのことであります。芭蕉の「名月や池をめぐりて夜もすがら」もこの池で詠まれたと言われています。最も有名な歌は「滝の音は絶えて久しくなりぬれど、名こそ流れてなお聞こえけれ」と百人一首にも選ばれている大納言公任の歌であります。現在は発掘調査も完了して名古曽の滝の跡に記念の石組みも設置されています。鑓水が池に出るところが州浜と呼ばれていて、その沖合いには菊が島と天神島という二つの島が浮かんでいて、庭湖石がその間に置かれています。これがニ島一石という嵯峨御流の基本形式でありますが、現場では石はふたつ置かれていました。その近くの入り江には舞台船が停泊しています。毎年の仲秋の名月にはこの池で観月会が行われます。船の舞台で管弦を伴って白拍子が優雅に歌と舞を奉納します。当時の天皇は月を仰ぎ見てはいけないとされて、湖面に映った月のみを愛でたという伝説も残されています。大覚寺の大沢の池はわが京都オペラのメッカとして、また日本文化の発祥の地として、中国文化の影響下にも平安時代に国風文化を生み出した日本文化の聖地としてのその歴史的価値は永遠であります。湖面にお寺とその周辺の山々が写し絵の様に映って静かに揺らいでいる有様は将に絶景でありますね。
小雨降る中、傘を左手にカメラを右手にもって撮影しながら池を一周しましたが、池の水面にはマガモが二羽泳いでいました。時々鳴き声も聞こえます。池の中には色とりどりの大きい鯉が沢山泳いでいます。水面にはアメンボ達が沢山浮かんでいて、その移動によって生じる小さな波紋が重なり合って芸術的な模様を展開していました。音はありませんが、私の耳には風雅な音楽が聴こえてくるかの様でした。その二つから三つの波紋の重なり合いは
非平均律音階における和声の形に相似すると直感しました。実際にはお寺から鐘や太鼓の音が聞こえて来ます。もちろん平均律では有り得ません。読経の声も微かに聞こえる様な気もします。すると突然に上空を雁が飛んで行きました。わが京都オペラに登場する雁文を運んでくれる雁であります。雁文とは現代では携帯メイルに相当するものとご理解下さい。雁は池の上空を飛んで小倉山の方に飛び去りましたが、その鳴き声は姿が見えなくなっても暫くは聞こえていました。期せずして京都オペラの舞台が目の前に再現されたのは感動的でした。非平均律五音音階による音楽が聴こえて来ましたが、五線紙に書くことも録音することも出来ません。私の云う脳内作曲法で聴覚領野に記憶されれば良いのですが、その音楽は意識上にも意識下にもどれだけ記憶されたかも分かりません。オペラの作曲に取り組んでいる時に運良くその記憶が再現されるのを期待するしかありません。フィルムを使い果たした後は、バードウォッチング用のニコンの8倍の双眼鏡で鳥達やアメンポを観察していましたが、小雨の中でオペラの音楽が自ずと湧き出ずる夢の様な境地は池を離れるまで続いていました。
名古曽の滝跡から多宝塔にかけては美しい竹林が続いています。よく整備された竹林は嵯峨野の特長の一つでもあります。竹藪の中を過ぎる風の音や鳥の鳴き声はそのまま天然の音楽作品であります。この様な時は何時も作曲家の作る作品などは
自然の織り成す音楽にはとても叶わないと思いますし、作曲することの意味を問い質さざるを得ません。自然界には既にこんな素晴らしい音楽があるのに、人間がわざわざ音楽を作って異音を撒き散らすことは冒涜ではないかと恐れるからです。ですから自然と調和する音楽でなければならないという意識が芽生えて来るのです。特に音楽形式ではシンメトリーを重んじる西欧の音楽理論は反自然的であるかも知れません。これに対して日本の伝統音楽は奇数と非対称の線型を重んじて同じテーマの繰り返しを嫌います。この日本独特の音楽形式をノン・リニアリティー(非線型)の音楽と呼んでいます。中国や西欧の音楽とも異なる日本音楽のアイデンティティーはこの辺りにあるのはないでしょうか。
大沢の池を一周した後は、大覚寺を参拝して帰りました。お寺の中に入るのは三十年振りでしたが、渡り廊下で全ての建物が繋がっていて平安時代の建築様式を今に伝えていました。一部は工事中でしたが若い僧が20分ほど説教をして下さるのをお聞きしました。五大堂と云われる本堂では多くの会員さんが静かに写経をしておられました。お昼前には退出しましたが、その時は既に観光客の方が団体で沢山来られていました。門前からはタクシーで京都市内に戻り、古い友人のお宅を訪ねて歓談して宿舎に帰りました。雨はほとんど止んでいましたが、入梅間近い一日を有意義に過ごせて幸せな感覚に包まれていました。京都オペラのメッカへの
参拝は年中行事として参りたいと念願しています。春夏秋冬にこの池が織り成す情景は、意識するとしないとに拘わらず私の作曲動機に決定的な影響を与え続けるものと思います。この池の舞台こそはわが京都オペラの究極の舞台でもあります。どんな物語と音楽が生まれるでしょうか。1200年の京都にまた新しい芸術が誕生しようとしています。それは百年後に京都からシルクロードを西へと発信されるかも知れません。古くて新しい文化は何百年を周期として繰り返されて来たのではないでしょうか。小雨の中を貴重な体験をさせて頂いた一日でありました。

揺れ動く水面に開くこころの輪、飛ぶ雁文に思ひ伝えよ!

Wave prints spreading on the moving water surface
Let bird mail send my massage to her !

English

Kyoto Opera Location Album         11 JUN 2005

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旧嵯峨御所 大本山 大覚寺 案内書 2005

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NEW OPERA FROM KYOTO

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