非平均律十二音音階

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Ky-141

Non-Equal Temperament Dodecatonica

村山先生、お早う御座います!五月も中旬となり青葉若葉の素晴らしい季節で晴天が続いています。五月は誕生月なので一年で一番嬉しい季節ですが、気温の変化も大きい為に体調も壊し易い時期でもあるので自制はしています。さてこの三年間は音階の研究に専念して参りましたが、究極の音階に向かって万年雪を冠する孤峰に挑戦する様な日々を送って来ました。その究極の音階とは、非平均律十二音音階という名称に辿り着きました。古代中国の周の時代に非平均律十二音律による五音音階も七音音階も既に完成していたと申し上げましたが、今回の研究では黒鍵部分では非平均律五音音階を採用して、白鍵部分では純正律系の七音音階を採用して併せて複合音階とするということになりました。黒鍵では東洋の伝統的な非平均律五音音階を採用し、白鍵では西欧的な純正律系の七音音階を採用した訳でありますが、そのどちらも周の時代にその原型は完成していたので、東洋的とか西欧的とか云う表現には余り拘る必要もありません。黒鍵と白鍵を併せて十二音ありますので、この実験音階を敢えて非平均律十二音音階と呼ぶことに致します。五音音階に加えて七音音階を採用した理由は、五音音階単独では和声の組み合わせが少ないので和声の効果をより高める為であります。十二音音階と言えばシェーンベルクの十二音技法が有名ですが、この音律は無調音楽の一つの基盤にもなっている西欧的な十二音律でありますし、どちらかと言えば平均律系の音階と言うことが出来ます。これに対して私達が開発しようとしている非平均律十二音音階は、その起源を周の十二音律に求めるものであります。謂わば東洋音楽の源流を遡ることによって、古くて新しい汎東洋的な音階を再現しようとする探検でもあります。非平均律十二音音階の欧名はNon-Equal Temperament Dodecatonicaとすることに致しました。NET-Dと略称されるべきこの十二音音階は五音音階と七音音階を同時に使用できる複合音階でありますが、実験音階なので実際に使用して試行錯誤により更なる完成を目指したいと考えます。
この新しい実験音階である
非平均律五音音階及び同十二音音階による実験作品はNET-5050211として既にお届け致しておりますが、黒鍵部分の四種類の五音音階は平均律からの偏移値が13セントから45セントの範囲で分散していますので、10セント単位の音程の変化を聴き分けることが出来なければ、この実験音階を感得することが出来ないという困難な問題を内包しています。即ち平均律系では100セント単位の音程で構成されているので十二個の音を聴き分けることは容易でありますが、非平均律十二音音階では10セント単位の聴覚能力が要求されるということになります。謂わば音程の精度が一桁上がることになります。このことは音楽における理論体系から教育体系まで将にコペルニクス的な変革が求められる時代を迎えると言わざると得ません。それはDTMの時代の到来を意味することでもあります。10セント単位の設定は伝統楽器の体系では困難であり、DTMを活用して初めて可能になるという新世紀の音楽の幕開けでもあります。10セントは半音の10分の1であり、20分の1音ということになります。これまで微分音と言われていた音の世界であり、隣同志の黒鍵と白鍵の間の100セントの世界には宇宙空間の様な無限の音空間が広がっています。10セントはコンピューターでは簡単に設定できるDTMの特性ですが、音感として感得するには絶え間ない鍛錬が必要です。DTMの技術水準に人間の耳がついて行けないという困難な現実があるのです。和声学も構築し直さなければなりません。非平均律十二音音階では、僅か2〜3音の和声でも今まで体験したことがない様な奥深い和声が奏でられます。東洋音楽の源流を遡ることによって、再び古くて新しい非平均律十二音音階が甦ろうとしています。21世紀初頭における明るい未来を予感させる音楽の夜明けでもあります。村山先生との邂逅により始まったこの探検も五年間の間にやっとここまで辿り着きました。厚く御礼申し上げますと共にこれからも適時なご助言を賜りたいと念願しています。シルクロードで言えば敦煌を過ぎた当たりですから、先はまだ前途遼遠ですが、亀さんのように停まらずにゆっくり急ぎます。砂嵐が来れば一寸先も見えませんが、嵐が止むと遥か彼方に高く聳える天山山脈が現れるという状況ではないでしょうか。古来より旅人を惹きつけて止まない絹の道の見果てぬ夢物語であります。
作曲と作詞とどちらが先に出来るかと言えば、私の場合は作曲の方が先になりそうです。そして、後で歌詞が付いたとしてもその歌を歌うとなると新しい非平均律十二音音階で歌うのは極めて困難を伴うと考えられます。何故なら、まず歌手も奏者も
10セント級の聴覚能力が求められます。それは永年に渡る音楽に対する真摯な探究心による鍛錬の集積が無ければ到達できない境地であります。それを現代人に直ぐに求めるのは難しいとも考えますから、当初は歌手の最大限可能な聴覚能力で歌って貰って良いと譲歩したいとも思います。10セント級の音を区別して歌える歌手が現代に現れる可能性があるかどうかも分かりません。しかし、DTMによる作曲と演奏では既に可能になっています。ここにコンピューターと人間との能力の差が歴然と出てくる訳であります。側頭葉の聴覚領域の脳細胞が異常に発達しない限り可能性の低い10セント級の音感は、無限の可能性を秘める大脳の歴史を見れば不可能とも云い難いのであります。現代では無理であっても、22世紀以降に実現する可能性はゼロではありません。「百年先を予想するには、百年前を見よ」とも云いますが、1905年と2005年を歴史的に比べると希望は膨らんで来ます。100年前にはコンピューターは有り得なかった訳でありますから。新しいシルクロードの探検は困難に満ちていますが、夢は大きく育っています。古きを尋ねて新しきを発見する旅には終着駅はありません。見果てぬ夢は次の世代に引き継がれて行くでしょう。私達はその人類の旅の一里塚を目指しているのですから、駅伝の様にバトンを次の世代に確実に渡す役割に徹すればよいと考えています。荘子先生は言われました。「古は今の如し」と!

見渡せば行方定めぬ五里夢中、北辰のみぞ我が標なる!

Heavy fog in all directions on the sea, the North Pole will lead us to the gaol !

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標:しるべ  15 May 2005

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