「三国志」の世界

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Ky-139

Story of the Tree Kingdoms

村山先生、今晩は!好天に恵まれた今年の連休ですが、如何お過ごしでしょうか?オペラ台本の制作で行き詰まっていますが、連休期間中なので平素出来ないことをと思い、1996年に中国中央TV局が制作した歴史的な超大河ドラマ「三国演義」を一気に鑑賞しました。DVD10枚で述べ30時間ですが、この国際版は抜粋特集で原版は天文学的な上演時間とのことであります。先程観終わったところですが、まだ感動と興奮が収まらない間に感想を申し上げてみたいと存じます。音楽研究の上でも貴重な資料を提供しています。それは、蜀の天才軍師諸葛孔明も、呉の軍師周喩も筝の名手であり、作曲と演奏が即興でできるという事を初めて知ることが出来ました。また、七弦の筝とより大型の琴を同時に演奏している光景も見られました。音律は勿論、非平均律五音音階であり哀愁を帯びた短調系の音階を用いていました。そしてポルタメントを多用していて、DTMではまだ完成していない演奏法でもあります。圧巻は、孔明が撤退中に魏の軍師司馬仲達に追い詰められた時に、たった一人で城門の上で演奏する「空城の計」なる筝曲であります。既に城内には一兵卒もいないのに、孔明の迫真の演奏が司馬仲達に大軍が潜んでいることを錯覚せしむるという殺気さえ感じさせる演奏は見事であります。音楽が単なる趣味ではなく、生殺与奪を強いる戦場での重要な武器のひとつとさえ言えることは驚嘆の一語であります。名手周喩もまた、筝と琴を弾きながら絶命する場面がありましたが、このTVドラマの作曲を担当した李一丁という作曲家は只者ではないと直感致しました。
さて「三国志」の物語は世界中の誰でも知っている話なので省略して、ドラマの核心に関する要素について考察致します。「三国志」は20年以上も前にNHKが記念番組として制作した、あの人形劇もよく出来ていましたね。その放映記録の殆ど全てを現在も保管しています。「三国志」は将に人類の歴史を凝縮させた人生哲学とも言える作品でありますから、人間の生き方の全てが内包されています。即ち、生と死、忠と義、喜と悲、男と女、戦争と平和、成功と失敗、知略と計略、本音と建前、名誉と実利、国益と私情、呪術と科学、過去と未来、政治と経済、兵法と軍事など人類の歴史の諸問題の全てを含んでいます。そして、何より人、智、勇を天と地の間に展開する気宇壮大な叙事詩でもあります。関羽が呉に殺された時、劉備は孔明の制止も聞かずに自ら呉に出兵して大敗を喫します。
大義と小義を取り違えては国の安全を守れないことを作者は教えようとしています。個人的な信念から靖国神社に参拝を続けて、日中貿易という国益を失おうとしている宰相が現代にも居る事はいます。この様な空前のスケールの物語は世界文学史上でも稀有の存在であり、特に羅漢中の「三国演義」がもっとも人口に膾炙しています。この作品もNHKの人形劇もこの「三国演義」が台本になっています。「三国志」の主人公はやはり諸葛孔明ということになります。劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳の三兄弟と趙雲子龍、魏の曹操孟徳、呉の孫権仲謀と周喩公僅たちも皆稀代の英雄でありますが、三国志の全編を通じて孔明が出ていない場面でも主役は諸葛孔明である訳であります。それ程に孔明の存在は超人的でありますし、不可能を可能にして、どんな時でも冷静さを失わず、最善の策、次善の策、第三の策を献じて敗北を勝利に転換し、常に敵の一歩先を読んで劉備の危機を救い続けたのであります。しかし、あの孔明にしても失敗はあります。「泣いて馬ショクを斬る」という言葉が残っている様に、腹心の軍師見習いの馬ショクを街亭に派遣した時に、馬ショクは愚かにも岡の上に陣地を設置して、水と補給を絶たれて司馬仲達に破れたことがありました。これは明らかに孔明の用兵の失敗であり、長安奪還の千載一遇の機会を逃したことになります。この事により成都から六度も北伐に出征したが、長安を目前にして劉備の悲願であった漢王朝の復活は遂に実現出来なかったのであります。六度目の出兵では孔明の余命はもう尽きていました。「三国志」の物語としては長安の制圧が成らずに終わる方がドラマとしての価値は高いと思います。ハッピーエンドに終わる物語なら、「三国志」はこれほどの世界のベストセラーにはならなかったのではないでしょうか。羅漢中は孔明ほどの天才でも出来ないことがあり、天地は人に比べて途方も無く広く高いことを無言で読者に伝えようとしているのです。孔明は与えられた条件下でもこれ以上は出来ない程最善最大の努力を傾注して、一見不可能なことでも可能にして来たのではありませんか。また、曹操は悪人の代表の様に言われていますが、実際には軍略と才知に長けていて人望もあったと考えられます。関羽に対する思いやりは心痛いほどに素晴らしく、関羽もまた苦しみながらも曹操に恩返しをしていますね。孔明と周喩は連合しながらも周喩が常に孔明の命を狙っていた様に物語では書かれていますが、実際にはお互いの力量を尊敬して仲も善かったようであります。また、そうで無ければ「赤壁の戦」に於いて呉蜀の連合軍が100万の曹操軍を破れる筈もないではありませんか。もし孔明が曹操の軍師になっていれば、中原の統一はいとも容易いことであったろうと思います。しかし、孔明は最も弱い盟主に仕えたのです。それが有名な「三顧の礼」によるものであります。そして、孔明に加えてもう一人の天才軍師龍統士元まで擁していながら、漢王朝の再興は成らなかったのでありますから、歴史とは不可解なものであります。「三国志」の主役達が退場した後、中原を統一したのはあの司馬仲達の子孫でありました。数多の開拓者の血と汗の努力の結果、その天下を拾うのは偶然の幸運に恵まれた者であるという歴史の皮肉には驚かされます。
今回の中国中央電視台制作の未曾有の超大作「三国演義」からは、多くの教訓を学びました。配役達も素晴らしく、孔明役の
唐国強、曹操役の飽国安、司馬仲達役の魏万宋、劉備役の孫彦軍、関羽役の陸樹銘、張飛役の李晴飛など皆素晴らしい。特に孔明役の唐国強の新しい孔明像は注目に値すると思います。超人であると共に人間でもある孔明の実像を見事に演じきったとご自分でも自負されていて、永久保存版であるこのDVDシリーズは長く後世に孔明役の手本として残ると確信致しております。また、女優では何れも脇役ながら、孫夫人の趙越、周喩夫人の小橋役の何晴、ショウ禅役の陳紅も美しい華を添えた。
さてこちらのオペラ制作状況ですが、作曲では一縷の希望を見出しているのですが、台本の制作が全く暗礁に乗り上げている現状です。この超大作ドラマ「三国演義」は私に何かの力を与えて呉れそうであります。この感動が冷え切らない間に一筋の光明を見出せるかどうか祈らざるを得ません。中国大陸で展開された3世紀の歴史全体を凝縮した歴史小説「三国志」の壮大なスケールに比べれば、わが京都オペラの世界は余りにも小さいものですが、例え箱庭であっても京都で生まれた
雅の文化は、漢や唐の文化にも通じています。京都で発明された方程式を世界で実験することは可能であります。その意味に於いては京都の箱庭文化はそれ程小さくは無いとも言えます。しかし、圧倒的な中原の時間の滔々たる流れと京都の時間の流れ方は、黄河と鴨川ほどの違いがあります。登場人物も舞台も「三国志」には及びませんが、必要最小限の人物と簡素な舞台を選んで、雅の心を持つ大宮人の生き様を美しい京都語と簡潔にして幽玄なる音楽によって表現したいと念願しています。京都はシルクロードの東端に位置しています。その地の利を生かして、古くて新しい音楽劇を新しいシルクロードを通じて西へと発信したいと思います。歩みの遅い亀が身分不相応に、また新しい絶壁を登ろうとしています。孔明ほどの天才でもあれ程不眠不休の努力をしているのですから、真似は出来ないにしても、停まらずに歩き続けなければ都は益々遠くなることは確かであります。孔明によって限りなく勇気付けられると共に、大事を成す事の如何に困難であるかを教えられた「三国志」鑑賞でありました。是非ともご覧になることをお勧め致します。

天地の間を駆ける孔明も、都を前に死して退く!

Kongming the genious general of China had died to withdraw from the capital of Kingdom !

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 天地:あめつち   5 May 2005

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「三国演義」 国際版DVD 1996 中国中央電視台

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