京都の四大芸能

music forum

Ky-137

The Four Great Musical Arts of Kyoto

村山先生、今晩は!今日は久しぶりに日本文学の文献を整理していました。万葉集、伊勢物語、源氏物語、古今和歌集、新古今和歌集、風姿花伝書、梁塵秘抄、徒然草、太平記などの古典作品が身の回りに置いている主な蔵書です。モーツァルトの文献を沢山揃えていることは言うまでもありません。他には1603年に完成した「日葡辞書」の日本語版、現代京都語に訳した「源氏物語」、石川啄木の「ローマ字日記」、島崎藤村の「若菜集」から「一遍上人語録」までありました。その他には、ダンテの「神曲」の日本語(矢内原忠雄)訳とゲーテの「ファウスト」のドイツ語版が西欧文学の代表として学生時代から大切に保管されていました。蔵書は医学専門書以外にもまだ沢山ありますが、10年前に京都から持ち帰ったまま大半は倉庫に眠っています。南方熊楠全集と柳田國男全集も締まったままです。1966年以前に中国で発刊された膨大な中国医学の文献も未整理で残っています。蔵書目録を作って母校に寄贈しようと考えていますが、整理する時間が全く取れない状況が長らく続いています。では、何故に蔵書を点検しているかと言えば、京都の四大芸能の歴史について調べたいからであります。
京都の四大芸能とは、雅楽声明能楽歌舞伎を総称しています。平安時代の初期である8世紀に雅楽が完成して、それと並行して声明が伝わりました。能楽は1400頃に完成し、歌舞伎は1603年に始まりました。上記の「日葡辞書」が完成したのと同じ年であるのも興味深いことであります。結論から先に申し上げますと、これらの京都の四大芸能はこの順番でなければ成立し得ないのであります。雅楽の正式の伝来を701年とすると歌舞伎が誕生する1603年までの902年間に、中国文化をゆっくりと消化して日本の国風文化を生み出して来たのは全て京の都に於いてであります。この様に文化の歴史は千年単位で熟成するものでありますから、百年位の短期間では新しい文化は生まれないのであります。そして古典作品と呼ばれる為には少なくとも百年を経る必要があると言わなければなりません。四大芸能の次に登場する京都の第五の芸能とは何かを予測する為にも、これら四つの偉大な芸能についての概要を把握して置きたいと思います。
雅楽は朝鮮半島を経由したものと大陸伝来のものに分類されています。前者を右方の舞と云い、後者を左方の舞と云うことはご承知の通りであります。右方には渤海楽も含まれているし、左方にも印度由来の舞楽も含まれているとのことであります。これらの伝来の雅楽に、わが国古来の歌舞も取り入れて国風の雅楽が平安時代中期には完成しました。声明も雅楽と並行して伝来したのに、声明は全く異なる経緯を取りました。雅楽が宮中や寺社の伝統行事で多用されたのに対して、声明は各宗派内での行事専用となり一般国民に知られる機会はありませんでした。声明が公開上演されるのは、何とこの
21世紀になってからと云うのは将に驚愕すべきことですが、声明は日本の声楽の分野に決定的な影響を与え続けて来たのであります。歌うのではなく、朗読でもなく所謂謡いという日本声楽の独特の謡い方は、声明の圧倒的な影響下にあった歴史の所以であります。そして明治政府に音楽取調掛が設置されるまで音楽的にうたう歌唱という形式は日本では生まれなかったのでありました。能楽でも、その能楽が基本になっている歌舞伎の音楽も謡い方は声明の路線を継承するものであります。さて、能楽の誕生には平安末期から鎌倉時代と南北朝時代において発達して来た猿楽や田楽が足利義満の庇護の元に、観阿弥と世阿弥親子によって舞台芸術にまで昇華されて行ったのであります。それは現在世界文化遺産に指定されている程に極めて貴重な芸能であります。能楽の謡い方は声明そのものと言ってもよいと思われますが、どちらかと言えば声明の方がまだ多少音楽的な要素があるとも言えるでしょう。それから丁度200年後には大衆にも受け入れられた歌舞伎が出雲の阿国によって初めて北野天神の境内で踊られて、次いで五条河原から四条河原での空前の流行を実現して、その近くに現在の南座が今でも興業しているのであります。初期の歌舞伎は能楽に比べて艶やかな舞踊が人気でしたが、その伴奏音楽は能楽の楽器をそのまま使用していました。その後に三味線が普及すると歌舞伎にも取り入れられて主要な伴奏楽器となりました。これらの四大芸能を支持して愛好したのは、雅楽は貴族階級と寺社であり、声明は仏教各派の中だけで連綿と継承されて来ました。能楽は禅宗の影響もあり、武士支配階級の最も好む芸能となりましたが、歌舞伎は一般市民の好みに合った大衆芸能として空前の普及をみて今日に至っているのであります。
雅楽が完成して約千年になりますが、その当時のままに継承されて来たことは世界の奇跡であります。21世紀の現在、雅楽が再び普及の兆が見えることは何よりも喜ばしいことであります。そして声明が伝来以来のベールを脱いで、初めて一般大衆の前で上演する機会が到来したことは日本芸能史上で特筆すべきことであります。21世紀になって、京都の各派の声明が約800年間で初めて公開されたことは意義深いと感じています。能楽も現在に至るまで盛んに上演されて、観世、金春、金剛、宝生、喜多流各派も健在でありますが、謡いを習う人々によって支えられていると言っても良いでしょう。歌舞伎も年末恒例の南座顔見世興業も盛況を保っていますし、東西の歌舞伎は定期的に上演され続けています。
雅楽と声明は1000年を経過しても伝来時の形式を遵守して保存されて来ました。能楽は600年歌舞伎は400年を経て今も人口に膾炙しています。ですが、この四大芸能は完成しているが故に古典作品が殆どであり、新作品は無いに等しい状況が続いています。これはオペラの場合と同じことが言えます。一番新しい歌舞伎でさえ新作品はどうして生まれないのでしょうか?そこで、京都の第五の芸能には何が登場するのでしょうか。既にお気づきの様に、今から100年先に京都の第五の芸能として、歌舞伎と同時にイタリアで誕生したオペラを21世紀の日本で復活させたいと京都オペラを夢見ているのです。京都オペラの構想については、2000年からこのホームページで研究と制作を続けて来ました。オペラは音楽と文学の共同作業による声楽を主とする舞台芸術ですから、既に四大芸能を完成させた京都には、新しい日本語オペラを創造する潜在エネルギーが内包されていると考えられます。私達は現在も京都オペラのDNAを設計しています。そのDNAが100年先に京都で発芽して世界に普及すると信じています。それは京都文化1200年の歴史の流れの上に成り立つべき新しい芸能であります。現在は過去と未来の交差点上にあります。それ故に100年先を読むには100年前の歴史を学ぶ必要があります。現在と未来は見えにくいものですが、過去の歴史的事実は厳然として記録されています。未来を予測するには過去の歴史を研究しなければならないのは古今東西変わらない視点であります。京都オペラの近未来の誕生を願って、今夜もささやかな挑戦が続いています。日本古来の歌物語に音楽をつけて舞台に上げたいと思います。阿武野逢世さんは平安装束でギターを奏でて和歌を現代風に歌っておられますが、私達が目指している京都オペラは四大芸能の歴史的発展の流れの上に生まれる可能性を秘めていると信じています。そして京都オペラは誕生すれば世界中に普及する可能性をも内包していなければならないと考えています。どんなオペラが京都に生まれるでしょうか? 

千年なる花の舞台を移ろいて、新しき歌いまよみがえる!

New song will reappear again in the floral stage of 1000 years of Kyoto !

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30 MAR 2005

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「京都大事典」 1984 淡交社

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NEW OPERA FROM KYOTO

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