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Liaison Music |
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村山先生、今日は! 春がもう直ぐそこまでやって参りましたが、今週の3月7日に私の実母が山口県柳井市の病院で亡くなりました。満90歳丁度でした。柳井市で密葬を行い、引き続いて今治市の真光寺で本葬をして頂き、既に納骨も済ませました。母とは戦後は別れて暮らしていましたので、母は60年振りに父の元へ帰って来たことになります。今は天国で両親が揃ったことを、一人子の長男として感謝と共に喜びを実感致しております。真光寺は「太平記」にも出てくる創建1100年を超える名刹で、南北朝時代には南朝方の軍勢が陣地を置いていました。勿論、空海縁りの真言宗のお寺であります。そのお寺で近々、1945年の大空襲60周年を記念して、沖縄から当時の女工さん達4名が戦後初めて尋ねて来て下さいます。地元の住民も参加して60年ぶりに初めての合同慰霊祭を行います。彼女達は当時20歳にも満たない娘さん達でしたが、現在は既に80歳近くになっておられます。因みに私は当時まだ3歳でしたので、記憶はぼんやりですが空襲の怖さは覚えていました。私の場合も、この二つの出来事で戦後が名実共に終わったという実感を新たにしています。あまり明るくない日本と世界の現状ですが、善くても悪くても新しい時代を開拓しなければならないと決意致しております。 さて、今日のテーマはリエゾン音楽でありますが、オペラにおける所謂「繋ぎの音楽」であります。オペラ音楽の作曲では、Recitativoの音楽よりも作曲するのが難しい音楽であります。R.シュトラウスが弟子のベームに語ったという、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」第一幕のフィナーレの宴会の場でマスクをつけた三人が、ドン・ジョヴァンニへの復讐を誓う三重唱に移る時に、モーツァルトはたった2小節で転換してしまったと偉大な天才の技を感嘆していたとの事であります。この場面はメヌエットの華やかな音楽から、弦楽器による2小節であの悲劇的仮面の三重唱へと繋いだことを指しています。繋ぎの音楽をリエゾン音楽と呼んでいるのは、私なりに理由があります。アリアと重唱や合唱の間を繋いで、また序曲や間奏曲の間も繋いでオペラという歌物語を作って行く時に、丁度列車を継ぐ連結器の様に最も重要な役割を果たすのがこの繋ぎの音楽であります。様々な用語を研究した結果、フランス語のLiaisonが最も相応しいとの結論に達しました。この用語は医学の分野でも、各専門領域を連結する言葉として使用されています。実際のオペラの作曲において、このLiaison Musicは一番難しいと思いますので、この命名を支持して頂ければとても嬉しく存じます。 リエゾン音楽が難しいからと言って、アリアと重唱や合唱の作曲が易しいという意味ではありません。オペラの作曲は全て容易なことではありません。この5年間の研究の成果を取り入れて作曲を始めようとしていますが、前途遼遠であります。作曲は頭で考えて出来るものでもなく、楽器の前に座れば直ちに出来るものでもありません。出来ないときは何ヶ月も出来ませんし、出来る時は突然インスピレーションが湧いて来る事もあります。ですから、作曲家にとってはインスピレーションが湧く一瞬の時間も、全く湧かない長い時間も同じ様に重要であります。何のイメージも浮かんで来ない時は、只ひたすらに名曲の名演奏や大自然の音楽を静かに聴き続けるしか方法はありません。それは私達凡人の精一杯の努力の傾注であります。一匹の蛙が、届かない柳の枝を目指すのに似ています。また、亀が全速力で走る兎を追っかけるのにも似ていますね。作曲の基本は、音源と音階の選択およびテンポという流れの把握によって、大半の条件を用意できると考えています。音源は音色を決定しますから、どの楽器を採用するかで音楽の色彩が決まります。そして、どの音階を採用するかで表現する世界が決まりますね。テンポは河の流れのように物語の展開を決定する最も重要な時間的要素であります。そのような設定が揃えば、メロディーは流れに浮かぶ木の葉のような存在でありますから、旋律は自ずと浮かんで来るのではないでしょうか?その旋律に妙なる和声が付加価値として伴奏できれば嬉しい限りであります。旋律と和声は将に音階の選択によって決定的になります。通奏低音と通奏高音の同時採用も東西の音楽の歴史の研究の成果でありますから、古くて新しい和声の再現に貢献しています。音階の選択では、非平均律五音音階の研究成果は21世紀の音楽の為に新しい地平線を開拓するでしょう。ドビッシー以来、100年余続いたピアノの全球的な普及の結果生じた平均律音階によるグローバリゼーションがもたらした功罪を客観的に見直さなければなりません。MIDIなどの標準規格として平均律は有効ですが、日本と東洋の音楽の発展のためには非平均律音階が再認識されねばなりません。各民族の音楽的アイデンティティは、民族固有の非平均律音階によってのみ実現可能であります。 とは言え、オペラの作曲は容易な事ではなく、途方も無い時間を要します。職業作曲家が専従しても、3〜4年は掛かると言われていますから、私達アマチュア作曲家の場合はそれ以上掛かるかも知れません。通奏低音と通奏高音の採用によって、幾らかは作曲に要する時間を短縮出来るのではないかとの淡い期待も抱いています。相変わらず作曲の筆が進まない日々を送っていますが、季節は否応無く巡って行きます。もうすぐ桜花爛漫の春がやって来ます。桜の美しさとは裏腹に私の心はまたも憂いに満ちることでしょう。でも天国で私の両親が再会できた事は、とても嬉しいことで御座います。戦後60年、両親とも苦難の人生でしたが、今は安らかに地上の私達を見守ってくれていると感じています。私に音楽の感性が少しでもあるとすれば、それは母のDNAから頂いたものであります。母は私が幼少の頃には、近所の娘さん達に日本舞踊を教えていたと言います。そして沖縄の女工さん達が踊る沖縄民謡も遥かな記憶に甦って来るのを感じています。 |
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25 MAR 2005 |
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