|
|
|
|
Colour and Tone |
|
村山先生、今日は!今週はどちらへご出張でしょうか? 今年一番の寒波も峠を越えましたね。節分も終わり暦の上では春を迎えようとしています。節分の行事は中国のお正月の行事が日本に伝わり、豆撒き等の日本の俗習と一緒になって現代でも盛んに行われています。京都の節分会では、壬生寺、吉田神社、櫨山寺、六波羅密寺、八坂神社、平安神宮などが有名ですね。節分が終わると雛祭りがすぐにやってきます。京都では節分と雛祭りには不思議と雪が降るという印象があります。 新音階の研究は前途遼遠ですが、今日は再び色彩と音階の問題を取り上げたいと思います。色彩の場合も七色の虹とか申しますように、七という数字がキーワードになっています。音階でも七音が五音と共に基本にあります。現在進めている新音階の研究はその七音の間にある微分音の分析であります。色彩に於いても七色の間には無限に色調の変化が見られます。音階に於ける微分音と対比する高度な分析を要する芸術的概念でもありますね。音楽と絵画には、この様な共通点がある事に気付いて大変興味を覚えているところであります。音階に非平均律五音音階のような究極の音階が存在すると考えられる様に、色彩にも微妙な究極の色調が存在する筈であります。出来上がった時は原色的である壁画も、千年も経過すれば色彩も薄れたり剥げ落ちたりしても、その妙なる色調は永遠の光彩を放っているではありませんか。音楽で言えば、平均律七音音階の各音を色における原色に例えれば、平均律から数セント離れた微分音による妙なる音色の響きに相当すると言えないでしょうか? どちらも永遠のテーマであり、それ故に芸術に完成は有り得ないとの結論に至ります。古今東西の音楽と絵画の歴史を研究する必要性を尚更に感じています。 この百年の近代日本の音楽界と画壇の歴史を比較すると大変に興味深い差異が見えて来るのであります。瀧廉太郎がライプチッヒに留学する直前の1893年まで、黒田清輝(1866−1924)も欧州で活躍していました。黒田の弟子である和田英作(1874−1959)もパリで絵の研究をしていました。明治時代後半には同じ様にヨーロッパに学んだ日本の音楽界と画壇でありますが、絵画では後継者が育ち、日本画の伝統を守りながら洋画からも学び、新しい日本絵画を創造するという芸術運動は今日まで引き継がれました。日本画には狩野派や琳派の他に浮世絵なども西洋の画家達に多大の影響を与える水準の高さが明治維新以前からあったという事であります。江戸時代以前には絵画も中国の大きい影響下にありましたが、平安時代に漢字から仮名が生まれたように、日本画という独特の絵画が生まれていました。日本の音楽も江戸時代の中期までには、それなりの伝統は完成に近い水準にありました。しかし、明治維新によって日本の絵画と音楽には決定的な差が生じてしまいました。即ち、絵画では日本画の伝統が絶える事は無かったのに対して、音楽では日本音楽の伝統は断ち切られてしまったのであります。近代日本の歴史を遡って行くと、音楽の分野では滝廉太郎の死によって、新しい日本の音楽の創造に日本音楽の伝統を引き継ぐことが放棄されたのであります。これが近代日本の絵画と音楽の分かれ道になったのであります。滝廉太郎亡き後の日本の音楽界と画壇の歴史を見れば、その事は明白であります。実は医学の分野でも、全く同じ事が同時に起きていたのでありますが、今日はそれを語る余裕はありません。 21世紀を迎えた今も、私達が直面している困難な問題は100年も前から未解決の問題でありますから、滝廉太郎が絶筆「憾」を作曲した時点に遡って、もう一度再出発する歴史的必然性に遭遇しているのであります。歴史は一人が造るものではありませんが、近代日本の音楽史に於いては滝廉太郎の死は本当に惜しみて余りあると言わざるを得ません。滝廉太郎を近代日本音楽の楽聖と評価する人々が多いのは当を得た歴史的観点であります。ピアノソナタ「ニ短調」を静かに聴いてみましょう。未完成のこの短いソナタは、作者の見果てぬ夢が宇宙に飛翔している様に聴こえませんか? そして、突然のフィナーレのオクターブ下のD音はどうでしょうか? その夢が突然に墜落する様に彼の死を暗示する一音であります。滝廉太郎の全曲集を毎日静かに聴いていると、「荒城の月」のE#音と将に絶筆のD音と、二つの音に彼の音楽人生が凝縮されると感じるのであります。E#音は前途洋々たる門出の祝福の音であり、日本音楽の伝統の上に西欧音楽の要素を取り入れて新しい「国楽」の夢を膨らませる希望の音であります。しかし、最後のD音はその希望を無残に打ち砕く絶望の音であります。絵画における「画龍点晴」の如くに、一音に拠ってその曲が決まることがあります。滝廉太郎の場合はたった二音で近代日本の音楽界の命運まで決める事になったのであります。 私はカメラ歴も音楽と同じ位長く続けて来ましたが、最近では余り撮影する機会もありません。音楽の研究の方に専念しているからでもありますが、やはり表現の限界に突き当たっていました。写真の命はレンズですが、今回はフィルムについて考えます。現在はディジタルカメラが普及して、何と9対1でカメラ店にはディジタルカメラが従来の銀塩フィルム用のカメラを圧倒しています。私も一通りディジタル写真も撮って来ましたが、銀塩フィルムのネガとポジと比較すると次の様な一応の結論が出ました。写真を絵に例えると、ディジタル写真は透明のキャンパスに絵を描いている様なものではないか? 銀塩のネガとポジでも決定的な差があります。ネガは白いキャンバスに描いているのに対して、ポジは黒いキャンバスに描いている差があります。色調による表現力が一番優れているのはやはりポジフィルムであります。その次がネガフィルムであり、ディジタル写真は色が軽くコントラストが出ない平板な表現しか出来ません。ポジフィルムでは色調の表現力もよくコントラストも適度に再現出来ます。ネガはその中間の位置にいるのではないかと考えています。ここで音階と比較してみると、ディジタルは平均律音階に、ネガフィルムは純正律に、そしてポジフィルムは非平均律音階に相当すると感じているのです。音と色、この二つの芸術的基本要素は相互に通じ合う点もあれば全く異なる点もあります。一方は聴覚による芸術であり、他方は視覚による芸術でありますが、どちらも大脳皮質の支配領域は近接しています。その為に何らかの干渉作用もあるのではないかと考えられます。両要素を同時に実現する芸術はあるのでしょうか? 映画がその条件を満たしていますが、映像と音声を同時に採用する芸術は総合性を求められるので、それぞれ単独の芸術と比較して、その芸術的表現力や絶妙の色調および音調では映画は遠く及ばないと考えられます。色と音はそれぞれに独立した要素である方が芸術的価値は高い水準を保てることは近代芸術の歴史が既に証明しています。聴覚と視覚を大脳皮質に於いて同時にフル回転させる事は出来ないのでしょうか? そして色と音に関して忘れてはならない事があります。それは「形」であります。色も音も一つの形の中で初めて生きてくるのであります!現代の一部の前衛芸術家の様に、色または音を何の形もなく、無秩序にばら撒いただけの作品が果たして芸術と言えるのでしょうか? 私は新古典主義の立場から、美には何らかの形が必要であると信じている者であります。このことはモーツァルトから学んだ最も大きい成果であります。では日本美の究極の形は何でしょうか? これは日本人にとって永遠のテーマであります。左右対称のシンメトリーを嫌い、同じテーマを繰り返すのを嫌う日本的な感覚は世界でも日本人にしかない特異な感性であります。その形なき形を求めて音楽の研究と制作を停まらずに続けたいと念願しています。滝廉太郎への回帰を再出発の理念に掲げる昨今の心情をご理解頂ければ嬉しく存じます。 |
||
|
||
|
|
新古典主義 neo-classicism 28 Feb 2005 |
|
|
||
|
|
|