音階論

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Ky-133

Music Scales

村山先生、今晩は! 滝廉太郎全作品集の楽譜は今月で売り切れになったと出版取扱会社より連絡が入りました。但し、今年の3月中には再版される予定とも伺いました。滝廉太郎全作品集の楽譜が没後100年を経て、21世紀の初頭に再版されることは誠に喜ばしい限りであります。瀧廉太郎の全作品を後世に伝える上で、小長久子先生は既に歴史的な貢献をされています。そのご功績を称えて、KC番号で滝廉太郎の作品を並べることを提案しています。郷原宏先生の「わが愛の譜」という伝記小説も拝読致しましたが、郷原先生が音楽のご専門でない為に「荒城の月」のE#問題などの指摘はなく、絶筆の「憾」の音楽的解説もありませんでした。どのような心境で主人公がこの絶筆の「憾」を書いたのかという描写が欲しいと思いました。音楽の三大要素はメロディ、ハーモニー、リズムですが、登場人物にリズム、メロディー、テンポと語らせる等、リズムの代わりにテンポと云うのは賛成ですが、初歩的なミスも目に付きました。実在人物に混じって架空の人物との淡い恋愛感情なども脚色されていましたが、あまりリアリテイは感じられません。この伝記小説を基に同名の映画が上映されたそうでありますが、VTRも現在は売り切れて入手できません。
さて、現在の私は作曲も作詞も完全に行き詰まっていると申しましたが、その一つの理由に音階の問題があります。和声論を論じるにも音階論が基礎になりますので、音階論が解決しなければ和声について論じることも出来ません。
音階は音楽の基本構造でありますから、音階が決まらなければ作曲も出来ないことは自明の理であります。平均律音階の変ロ短調および変二長調では、日本語の歌の表現にはまだ無理があり、非平均律五音音階に至って初めて日本語の歌が歌えることを発見するのに更に2年間を要しました。この先はタクラマカン砂漠の様に広大無辺の未知の世界が眼前に拡がっています。BCLを45年間続けて来ましたが、BCLとは最初は中波帯の受信者の事でしたが、何時の間にかSWL(短波帯受信者)と同じ意味になっていました。中波帯は実際には500KHzから1700KHzの間の僅か1200KHzのバンドの中に世界中の中波放送局がひしめいています。昼間は近くの放送局しか聴こえませんが、夜間は随分と遠方の放送局も聴こえて来ます。受信地が日本国内の場合でも、すこし感度の良い受信機なら、お隣の韓国の他に、中国やロシアの局が沢山聴こえて来ます。昼間は国内の強力な日本語放送局しか聞こえませんが、夜間にはその日本語放送局の間の周波数から中国語、韓国語、ロシア語や英語の放送局が聴こえます!アンテナさえ完備すれば、欧州局でも聞くことが出来ます。これは音階論で言えば、平均律音階と非平均律音階の関係に似ているとも言えるのです。音階の違いは言語が異なる程の違いなのでありますから、音階によって音楽が決まると言っても過言ではありません。
それでは日本語の歌にはどんな音階が最も適しているのでしょうか? この問題こそ明治維新以来の
日本音楽の根本問題の一つなのであります。滝廉太郎が作曲を始めた時に始まり、今日に至るまで未だ解決されない最大の難問題なのであります。滝廉太郎は若くして天才作曲家と称えられ、珠玉の作品を多く残しましたが、その全曲集の楽譜を見ると、用いた音階は西欧の平均律系の音階でした。「荒城の月」の様に日本古来の陰旋法に近づける為にE#の音を採用したことが光ります。「幼稚園唱歌集」では長調系の音階で作曲していますが、「中学校唱歌集」では短調系も採用しています。ライプチッヒから帰国してからの作品は殆ど短調で書かれています。留学前の「荒城の月」とピアノ独奏曲「メヌエット」はロ短調、そして絶筆の「憾」はモーツァルトの「レクイエム」と同じニ短調でした。滝廉太郎は夭折した為に、オペラの作曲に至る前に筆が折られました。もし、彼がもう少し存命してオペラの作曲に取り掛かっていれば、何れ平均律系では日本語の歌を十分には歌えない事に気付いたであろうと容易に想像する事が出来ます。「荒城の月」のE#を見て、私はそう直感しました。山田耕作は「荒城の月」を編曲する時にこの最も重要な一音を削ってしまった為に、以後100年近くも日本語の為の新しい音階の発見が遅れてしまったと言っても言い過ぎではありません。没後百周年を過ぎて、この事を痛感する者であります。滝廉太郎は近代日本の作曲家第一号として、短いけれども幸せな一生であったし、日本国を背負ってライプチッヒへの留学やその後の重責から、肺結核で死ぬことによって解放されたと云う郷原宏先生の伝記小説には、そのまま素直には同意出来ません。やはり滝廉太郎の「」は見果てぬ夢として今も残っているのではないでしょうか?
音階論は音楽の基本構造の問題ですから、古代の中国やギリシャでも既に正確な音程の計算方法もほぼ完成していました。音階論とは一言で云えば、
1200セントのオクターブをどの様に分割して五音または七音の音階を造るかという問題なのであります。西欧ではピタゴラス音律から純正律へと発展して、その後の微調整で中全音律、キルンベルガー音律やベルクマイスター音律などが開発されました。ドビッシーは音階論にも通じていて、今日の平均律系の音階の普及に重要な役割を果たしました。しかし、世界で最も早く音階論が確立していたのは中国であり、既に周の時代にはほぼ現代に至る音階論は完成していたと考えるべきであります。十二音律と五声音階や七声音階も既に開発されていたのであります。日本音楽は唐代に最も大きい影響を受けていますので、雅楽の伝統はそのまま京都に於いて日本風に完成して今日まで伝承されて来たことは素晴らしいことであります。日本の音楽は雅楽から出発して、空海達が持ち帰った仏教音楽の声明や、平安時代からの俗謡も取り込んで室町時代までには日本音楽の音階論の基礎は出来ていたものと考えられます。安土桃山時代には、キリシタン音楽が日本に伝来しましたが、禁止令と共に隠れました。江戸初期に、八橋検校は初めて声楽を伴わない純粋な筝の器楽曲を作曲しましたが、後にも先にも独立した器楽曲はそれだけでした。京都の銘菓にある「八橋」は琴の形をしていて、彼の偉業を称える和菓子でもあります。その後に明治維新を迎えるのですが、音楽だけは取り残されていました。そうして滝廉太郎の登場で近代日本の音楽が始りました。しかし、日本音楽のための音階論は西欧音楽一辺倒であった為に、小泉文夫先生の調査研究以外の進展はありませんでした。
音階の研究は一朝一夕には出来ません。古今東西にその歴史も古いので新しい音階を発見することは最も難しい問題であります。音階の研究を始めては見ましたが、五里霧中で先へは進めません。1200セントのオクターブを分割する方法は無数にあります。また、
完全な音階はあった験しがないし、有り得ないことだけは確かであります。今回の新音階の実験では、聴き慣れない和声の為に私達が「縦揺れ」と呼ぶ、眩暈にも似た現象が瞬間的に起きることを体験しました。この様な慣れない和声に対する不安定な音感は、ピッチが変っても起きることが知られています。モーツァルト時代にはA=430Hzであり、現代のA=440Hzよりも10Hzも低かったのであります。現代ではA=430Hzにして再現すると、この縦揺れ現象が起きる為に眩暈感が体験されます。僅か数セントから50セント以下の音程差のために生じる聴き慣れない和声に対する拒否反応でもあります。しかし、暫く聴いていれば慣れて来て眩暈はしなくなります。これは聴いたことが無い和声の為に起きる反応でありますから、所謂不協和音とは別の問題であります。音階が替われば和声も変わるのであります。平均律音階による平坦な和声に比べれば、純正律系の和声は綺麗で立体感があります。非平均律音階による和声は更に深い音感を呼び覚ましますし、無限の音空間へと誘います。その様な究極の音階が見つかるまで作曲出来ないのであれば、私はもう全く作曲が出来なくなりますから、未完成の新音階でも作曲を始めなければなりません。何故なら、完全な音階は有り得ないし、音階が完成することも無いからであります。音階はまた、時代と共に変って行くことも忘れてはなりません。

嵐来て枯山水に水戻る、鯉も登りし幻の滝!

Storm had gived water to Dry Garden Fall where once carps jumped over !

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 15 Feb 2005

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