音楽とは何か?

music forum

Ky-131

What is music ?

村山先生、今晩は! 大寒を過ぎて寒い日が続いています。今日は待望の「滝廉太郎全曲集」の楽譜が届けられました。絶筆の「」の楽譜を是非見たいと思いましたので、インターネットで注文していました。特に、このピアノソナタのフィナーレの音が何かを知りたかったのです。その一音こそ滝廉太郎の辞世の一音であるからであります。小長久子先生が編集されたこの貴重な「滝廉太郎全曲集」は、没後100周年を超えた現代以降に、滝廉太郎の音楽を伝承して行く為にも大きな役割を果たしていると思います。小長久子先生は東京音楽学校の滝廉太郎の同郷の後輩でもありますから、ライフワークとして取り組んで来られた事が伺われます。何時か、絶筆のピアノソナタ「憾」を引けたらと思いますが、DTMで作曲・演奏して来ましたので、伝統楽器のピアノの演奏は苦手ですから、実現するかどうかは分かりません。村山先生に先に弾いて頂きたいと念願しています。
さて、前回のフォーラムで申し上げました様に、近代日本の作曲家第一号の滝廉太郎の全曲CDを静かに聴いていますと、明治維新以後の日本の音楽の歴史に思いを致すと共に、自らの40年余りの音楽人生をも振り返らざると得ません。オペラの作曲も作詞も行き詰まっている現在の私は、どうしても超えられないかも知れない絶壁に再び直面しています。2003年からの二年間は新音階への暗中模索の旅でした。平均律の限界を見極めるのに、そんなにも長い時間が必要でしたが、その峠を越えると「
非平均律五音音階」という広大無辺の世界が拡がっていました。シルクロードに例えれば、西安からやっとのことで辿り着いた敦煌の先は、果てしないタクラマカン砂漠が拡がっているのを見て呆然としているという心境は、「新しきみちを求めて絹の道、行けども見えぬ夢も幻!」と詠んでいます。日本語を最も自然に歌える非平均律五音音階を発見することが出来るかどうか、この探検は終わりのない旅でもありますから、亀の歩みしか出来ない者が途方に暮れるのは当然の事であります。しかし、私が先に一歩も進めないのは、新音階が見つからないからだけではないとも気付いたのです。滝廉太郎の全曲を毎日聴き続けていると、やっとその事に思いが至ったのであります。それは、将に「音楽とは何か?」という単純にして根源的な問題であります。還暦を過ぎて滝廉太郎に出会えたことは、モーツァルトに出会った事に次ぐ重要な節目となりました。この幸運は偶然の様に見えて、やはり必然でもあり、求めている者に神が与える幸運であると信じています。音楽とは何か?という疑問は、音楽は何の為にあるのか?とか、音楽は誰の為に作曲するのか?ということであります。音階や和声の理論や技術を習得すれば音楽が作れるわけでもありません。聴く人の心の琴線にふれることが出来る音楽は古今東西にもそう多くはありません。では、モーツァルトや滝廉太郎はどうして、そんな音楽を作ることが出来たのでしょうか?単に天才であるというだけなら、彼らの名曲は生まれなかったのではないでしょうか。天才をして音楽を創造しないでは居られないという魂の叫びは、何故に与えられたのでしょうか。私達凡人には計り知れないことかも知れませんが、その秘密がほんの少しでも分かればきっと励みになるものと思います。それには彼らの作品を聴き続けることしか方法がありません。何故なら、その作品の中にこそ作曲者のメッセージが込められているからであります。彼らの名曲を演奏する人も、その演奏を聴く人も、その楽譜を読む人も作曲者のメッセージを汲み取ることが出来るまで、繰り返し聴き、演奏し、読む必要があると思います。そして滝廉太郎の絶筆の「」を静かに聴いていると、作曲者の想いが伝わって来ます。近代日本の新しい音楽である、「国楽」の華麗な花々を咲かせたであろう天才の無念な想いは、如何ばかりか慮って余りあります。この短いピアノソナタは滝廉太郎の将に辞世の歌なのであります。モーツァルトの辞世の歌は、かの有名な「レクイエム」であることは言うまでもありません。二人の天才の絶筆がどちらもニ短調であるのも、何か因縁を感じます。1791年に書かれたオペラ「魔笛」も最後のオペラ作品として、モーツァルトの辞世のオペラと言うことが出来ます。若くして往ったとは言え、モーツァルトは30年の音楽活動を誇るマイスターでもあったのでありますから、滝廉太郎の夭折とは次元が異なると思います。最晩年の天才達の研ぎ澄まされた音感から後世へのメッセージとして書き遺された傑作は時代を超えて万人の胸を打ちます音楽とは何か?という根源的な問題で五里霧中を彷徨っている私には当分出口は見つからないとは思いますが、モーツァルトと滝廉太郎の晩年の作品を聴き続ける内にやがて一筋の光を見出せるかも知れないとの淡い期待も持っています。
もうすぐ節分がやって参ります。
節分は旧正月の行事で、追難式という中国伝来の鬼やらいが豆撒きと共に行われます。何れの年にか、その節分も終わって直ぐの2月8日を、わが京都オペラの初演の日にしたいとの夢を抱いています。その日が存命中に迎えられたら望外の喜びではありますが、現在の困難な探検の途中ではとても都は遠いと感じてしまいます。歩みは遅くても最長不倒距離を目指して、これからも停まらずに前に進みたいと思います。後は旅の安全と幸運を祈るだけであります。楼蘭遺跡の近くにある幻の湖であるロプノル湖を見たいとの夢もあります。それは将にあの「シルクロード幻想曲」の世界ですね。

誰がために鳴りし笛かは知らねども、風の運びて微かに聞こゆ!

Slightly heard a bell for whom rings in the wind of autumn ?

English

  1 Feb 2005

Next

「滝廉太郎全曲集」 (1969) 小長久子編 音楽之友社

index100

NEW OPERA FROM KYOTO

index100-2