亀よ、走れ!

music forum

Ky-124

A Running Tortoise

村山先生、連日の猛暑ですが如何お過ごしでしょうか? こちらでも毎日暑い日が続いていますが、7月23日の夕方には早くも秋の虫の第一声を聴きました。あまりの暑さに毎日庭に散水して涼をとっていましたが、日が暮れて少し涼しい西風が吹いてくると突然に植え込みから、蟋蟀の声が聴こえました。二三日前から姿は見ていましたので、何時になったら鳴き始めるのかと考えていました。しかし、声を聴いたのはその夜だけで再び無声の熱帯夜に戻りました。空に向かって散水するとあたりの気温が少し下がります。するとあまりの暑さに鳴き止んでいたクマゼミまでもが鳴き始めます。散水を止めると気温が上がるので蝉もまた鳴き止んでしまいます。
蟋蟀の第一声はまだ本調子ではなく、発声練習の始まりの様ですね。この猛暑の中でよく鳴いて呉れたと感謝の念であります。非平均律の研究を始めたばかりのよちよち歩きの自分とイメージが重なります。やがて涼しくなる頃には、私も蟋蟀に負けないように非平均律に対する音感を上達させたいと念願しています。現在は幾ら頑張ってもまだ、25セントを正確に聴き分けることが出来ません。音の高さと強さによっては聴き分けることが出来る時もありますが、出来ない時もあります。25セント以下の音程差を聴き分けることが出来なければ、作曲も演奏も一歩も先へ進めません。晴天の霹靂というか、突然に絶壁が現れました。これはしかし、幸運と言うべきであります。この障壁に出会わなければ、私の作品は変ロ短調の域を出ることはなかった訳でありますから、遭遇すべき運命である障壁なので、何とか乗り越えたいと日夜研鑽を続けているところであります。
それにしても、これまでは余りに遅い亀さんの歩みでした。ここまで来るのにどうして四十年も要したのか、自分でも不思議ですね。でも、これからは少しはスピードを上げないと、非平均律音階で作曲出来ずに終わってしまいます。「
亀よ、走れ!」というのは、その心境の表れであります。亀の取り得はゆっくりのテンポを維持する事にありますが、亀は走っては身を滅ぼします。逆に兎は止まると亀に負けることになりますから、兎は走り続けなければならない宿命を持っています。そうは言っても、幾ら心で焦ってみても走れない自分をもどかしく思う今日この頃です。兎が転んで止まるのを待ってみても、それは童話ではあっても現実には兎という競争相手は止まっては呉れません。追えば追うほど逃げて行く対象でもあります。残りの人生の時間との競争の日々を過ごしていると、何時もこんな事を考えます。本当に時間は一秒たりとも止まらないが故に、宇宙の超自然力を感じますね。時とは一体何者なのでしょうか? 何故に止まらないのでしょうか? そして、音楽の最大の要素が時間の流れであるテンポでありますから、音楽こそは時間の芸術であります。こんな事を考えながら、聴き込みと研究を続けています。BCLも久しぶりに本格的に再開致しました。中国からアラビアまでの各国の海外放送を聞いていると非平均律音階による伝統音楽が何時も聞こえて来るのは嬉しい限りです。そうして、日本の音楽も東洋の中の一国の音楽として聞くとまた新たな発見もあると思います。日本の音楽の世界の中に占める位置というものが、客観的に理解出来る様になると期待しています。それにしても、昨年まであんなに心酔して聴いて来たモーツァルトの音楽が単調に聴こえる様になったのに自ら驚いています。永年聴いて来た西欧の古典音楽は、確かに安定感はありますが、その音階が世界の音楽史の中では最も単純な音階であった事を認識するに至って、世界の音楽の歴史は長く、その地理的な分布の広大さには圧倒されてしまいます。将にシルクロードの玄関である敦煌郊外の玉門関に立って、遥か彼方の西域探検に赴く心境であります。古来から隊商や探検家が数知れず旅を続けて来たシルクロードには、今も世界中の人々を引き付けて止まない熱いロマンを感じますね。現存する各国の伝統音楽も、それを演奏する楽器も彼らによって運ばれて来て、また交流して行ったのでありますから、インターネット時代になったとは云え、このシルクロードは今後とも文物往来のハイウエイであり続けることに変わりはありません。日本はシルクロードの東の終着駅の位置にありますから、沿線各国で昔栄えた文化も現代では日本にしか残っていないという歴史的事実があります。日本はシルクロードから伝来した文物を完成させて、完全な形で保存する文化博物館の役割を果たして来たのであります。奈良の正倉院はその典型であります。正倉院にも貴重な楽器が保存されていますね。日本はこれまでは、受け入れることが主流でしたが、これからは新しいシルクロードを通じて日本から西へ、新しい文化様式を送り出す役割が求められています。2000年近くに及ぶ文化的受容と熟成は、既に亡んで現存しない且つ新しい文化を世界に再発信する役割を日本は期待されているのであります。音楽に関して言えば、近代日本はこの百年余り、「和魂洋才」の方針の下に日本の伝統音楽を捨て去り西欧音楽一辺倒に走りました。その結果、料理で言えば京料理を洋皿に入れてナイフとフォークで食べている様なことをして来ました。即ち、この喩えでは食材は音源、容器は音階に相当します。料理がその国と地域の長い伝統と環境によって培われて来た様に、音楽もまた民族の長い伝統とその環境によって発展して来たものであります。そして料理は作曲に、調理人は作曲家に相当します。何れも高い感性とセンスが要求されます。音楽は歌が基本ですから、その民族の言語が育った環境で音楽も育って来たのであります。日本語の歌を西欧の音階で歌うのは、「京料理を洋皿に盛ってナイフとフォークで食べる様なもの」と言ったのはこの矛盾を指摘したまでの事であります。西欧音楽の模倣の時代はとっくに終わっています。西欧音楽の良い処は取り入れることに吝かではありませんが、日本音楽の新しい伝統も復活しなければなりません。私達も新しい日本語オペラを制作して、その歴史的な役割の一端を担いたいと念願する者であります。日本の歌であっても、世界中の人々に愛唱される様な明るく美しい歌と音楽を創作したいとの決意を新たにしています。
このお便りの後に、初めて
鈴虫の声を聴きました。蟋蟀が三味線なら、それはヴァイオリンの様に美しい意外と力強い音色でした。とても芸術的な音色で和声が素晴らしいと感じました。でも、平均律の様にも非平均律の様にも聴こえました。知人のお宅で分けて頂いたのですが、更に同級生の喫茶店で飼って貰うことに致しました。我が家では手間が無く、鈴虫さんにはその方がよいとの判断からです。私のこれからの道はまだまだ遥かに遠いのですが、どんな時も止まらないだけが取り得の亀さんですから、これまで通りゆっくりと目的地に向かって走り続けます!(拝)

2004年7月6日、松山市道後にて村山誠先生(左)と大宮律人(右)

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        25 Jul 2004

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Photo of the historical meeting of M.Murayama and L.Ohmiya, two composers
in Dougo District Matuyama City at 20:00 6 Jul 2004

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NEW OPERA FROM KYOTO

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