DTM'S DREAM          夢のDTM

music forum

Ky-1232

コペルニクス的転回     Pentatonic Scale in Non-Equal Temperament

村山先生、今晩は! 本日は初めてお目にかかりますが、初対面と云う印象は全くありません。インターネットで邂逅してより既に5年が経過していますが、その間にお互いの音楽に対する姿勢や考え方、お互いの作品に対する理解は作曲者本人以上に知り尽くしていますので、お会いしても新たにお話しすることが何も無いとさえ言えるのであります。 しかし、20歳も年長の私の余生は村山先生のそれよりは少なくとも20年は短いことになりますので、今日の機会を逃して、もし、私が他界することがあれば後々までも悔いることになりますので、週日でもあり連続22日間の無休の仕事中でもありますので、極めて短時間ですが表敬訪問という形でお目にかかれたらと念願していました。後の機会には、京都でゆっくりお話が出来る時があることを楽しみにお待ちしています。
今日のBGMはエジプトの音楽が流れていますが、日本の尺八とよく似た音の出る、ナーイという笛の演奏で見事なものですね。七本が一組になっているとのことですが、エジプトの音楽でありながら、外国の音楽という感じはありません。その演奏技術も尺八以上に精緻で高度であります。その他にはカーヌーンとウードの演奏があります。何れも名人芸でなければ演奏できないし、同一演奏者でも二度と同じ演奏が出来ないであろうと思われる程の演奏記録です。将に巨匠しか作曲・演奏出来ないVirtuosoの音楽とはよく言ったものですね。これらはKING社の「WORLD MUSIC LIBRARY」シリーズの100枚のCD記録の一部であり、早速注文して宅配を待っているところであります。胡弓に似た二弦の弓奏楽器は、中国の胡弓と全く同じ音色をしています。アラビアから中国まで、音楽では全て地続きであることが実感されますね。何千年も前から四大文明間で相互に影響を与えあって来たのでしょう。西欧文化圏は約二千年前からですから、音楽の歴史でも新しい新興勢力であったとも言えます。古代文明の直系の現代の国々の音楽を聴いていると、東洋音楽の共通の音楽理念というものを感じます。緩急自在のテンポの細やかな変化の妙、繊細で華麗で緻密な旋律の多彩な変化、微妙な音程の変化を内包した心の琴線を呼び覚ます絶妙な音階の数々などは到底、西欧音楽の及ぶところではありません。特に驚くべきことは、アラビア音楽の伝統であるタクシームという演奏形式は、様々な長さの沈黙により
繰り返し分割されているという究極の形式を取っていると言う事であります。この形式はあのコーランの朗々たる詠唱においても多用されていますね。何も音を出さない沈黙の時間単位を伝統形式に取り入れている音楽世界は他には無いのではないでしょうか? アラビア音楽の歴史の長さを感じさせる超絶技巧ではありませんか。アラビア音楽に比べると西欧音楽は如何にも若く感じられます。西欧に於いては、バッハの偉大な業績とピアノの普及により非平均律がこの250年間否定されて来たことは不幸な事でありました。完全に行き詰まっている西欧音楽も早晩、非平均律の価値に再び目覚める時が来るでしょう。例外的には、G.Ligetiという京都賞を受けたオーストリアの現代作曲家が非平均律による和声を取り入れた作品を書いたと、その記念講演で述べています。しかし、我々は東洋の古い文化圏に属している国でありますから、西欧の目覚めを待つ必要はありません。広大無辺の東洋音楽の前途の為にも、日本独自の音楽を継承・発展させる事を歴史的に期待されていると考えています。
エジプトの音楽に続いては、雅楽の「越天楽」が流れて来ました。テンポは一段と遅いですが、エジプトとは地続きであるとの印象は変りません。日本に伝わると音楽のテンポは一番遅くなるようですね。この
スローテンポこそが日本音楽の特長の一つであろうと考えています。テンポの変化も僅かで、大陸部の様には緩急がはっきりしなくなります。「序破急」の理論の最後の「急」の部分の脱落が見られるのです。日本の雅楽の楽曲で「急」という名称が残っている曲でも本来の速さはありません。「序」よりほんの少し速くなるだけですね。「越天楽」の語源は、西域の地名である、「yu-tian」の音訳から来ている事が天理雅楽研究会の研究で明らかにされました。この地名はホータンの古名であるとNHKのシルクロードの番組で解説されていました。
この度の非平均律音階の研究の為に、「WORLD MUSIC LIBRARY」を発注しましたが、日本語を最も自然に歌える音階を見つける為には、どうしても聴いて廻らないと到達出来ない国々の音楽が満載されています。これまで、モーツァルトを聴いて来たと同じ熱意で聴いて参ります。モーツァルト先生と一緒に聴いて廻りたいと想っています。そして、モーツァルト先生なら、どんな音階を見つけるかなという興味もありますが、私は日本語、とりわけ京都語で歌える音階を探しているのです。目的は違ってもモーツァルト先生は私に何かのヒントは与えて呉れるであろうと期待しています。
それにしても、作曲とは難しいものですね。昨年の還暦記念の「組曲」が完成した時は、変ロ短調五音音階で京都オペラの基本的な作曲が可能になったと考えていたのですが、実際に作曲を始めてみると、変ロ短調では京都語のあの音感とイントネーションをうまく表現できないのです。とうとう丸一年掛かって、やっと非平均律五音音階の入り口まで到達することが出来ました。この幸運も、絶えず激励をして下さった村山先生と初めての作品を熱心に聴いて下さった日本全国の多くの方々のお励ましのお蔭と心より感謝申し上げています。
最近はテレビやラジオから音楽が流れて来ると、平均律か非平均律かを敏感に分別する本能的な音感が働いて来ます。先日のNHKテレビで聞いた、ポルトガルの音楽はアラブの影響下で非平均律が一部に取り入れられていると感じました。今日のNHKテレビで見た、奄美大島の一般家庭で弾かれている三線も、所謂沖縄音階であり日本の代表的な非平均律五音音階の一つであることも容易に感得出来ました。沖縄地域の様に、誰でも演奏して歌えることが音楽本来の在り方であると感じています。作曲家の作品だけをプロの演奏家が演奏するのをお金を払って聴くというのは、音楽本来の在り方ではないと思います。プロの演奏家集団の優劣はオリンピックの様な国際競技に委ねれば宜しいのであって、音楽本来は人々の生活と共に在るべきであります。その為にも、
子供でも歌える、明るくて美しい非平均律五音音階を見つけたいと念願しています。
こうして、非平均律実験五音音階で初歩的な作曲を試みていますが、思うようには作曲出来ません。それは私の耳がまだ、非平均律を十分に聴き分ける聴力を獲得出来ていないからです。「
聴けるところまでしか弾けない」と常々ご報告して参りました通りで御座います。前回の「組曲」は平均律による最後の作品となりましたが、40年に及ぶ西欧音楽の聴き込みがありましたので、即興作品ながら何とか形を造ることに成功しました。新しい非平均律音階はまだよちよち歩きなので、現在は幾ら頑張っても無理というものでしょう。でも、三つの実験音階の印象だけは、聴き取って頂けるように、簡単な実験的作曲はしてCD-Rに記録して持って参りましたので、お時間のある時にお聴きになって下さい。録音は、U4、U3、U2、U0と連続的に変調して演奏されています。一曲が終わると最後の音から次の実験音階が始まります。その僅かの音程の変化を分析して頂けると嬉しく存じます。U0まで行くと再びU4に戻ります。音色は無難なヴァイオリン・モードで実験させて頂きました。ピアノとオルガンは現代では平均律専用に設計されているので、今回の非平均律音階の実験には音階構造上の理由で使用出来ませんでした。和声は今回はテーマではないので、一部に二音を重ねただけの和声の伴奏を提示していますが、多くは単旋律のみで表現しています。初歩的な実験ですが、和声を殆ど使用しない音楽というのは、西欧音階の様に和声を重視する場合に比べて、作曲と演奏は却って難しいと実感しています。和声を重視しない替りには、旋律が美しくて変化に富んでいなければなりませんし、テンポの微妙な変化による心的表現が極限的になりますし、非平均律五音音階そのものによって表現可能な音楽的世界が決まってしまう等の新しい条件が見つかりました。これらの特長は、非平均律音階に対する「耳が出来ていない」現在の私の音感では限界を超えています。世界の非平均律音階による素晴らしい演奏記録を毎日聴き続けることによって、また一から出直す音楽の旅が始まりました。これはもう終わりのない旅になると思いますが、この世に生ある限り最長不倒距離の更新を目指しています!そして、可能な限り遠くまで進んだ処で村山先生に歴史のバトンをお渡ししたいと念願しています。それは新しい日本音楽の再生という明治維新以来の民族的悲願でもあります。
私の論文は全て、「拝啓、村山先生〜」で始まっています。私のこの小さい仕事が少しでも日本音楽の再発見に役に立つのであれば、望外の喜びでありますし、村山先生宛の書簡の形式を取っている事の歴史的意義があります。東洋の文人精神の中には、書簡しか書かないという文人もおられました。孔子や老子のレベルでは自ら書くことは無く、全て弟子が死後に集めた語録の形式を取っています。近代では、文人達は存命中から書簡の形で書き残す習慣になりました。まだ、単行本を出すほど厚かましくは無かったのですね。ましてや、本を書いて売るということもしませんでした。私達のささやかな書簡集が、日本音楽の再発見に何かのお役に立てれば嬉しく存じます。本日は初対面の為に、今日この頃の現状をご報告申し上げました。これからもどうか宜しくご支援・ご教示の程をお願い申し上げます。(拝)
村山先生:松山では初めての歴史的なご面会を感謝申し上げます。行きは75分、帰りは65分で走れました。七夕の夜はこちらも熱帯夜でした。早速、ご視聴頂きありがとう御座います。非平均律音階実験作品へのご感想も有難う御座いました。慣れて来られると、平均律の単純さに気付いて、平均律の限界をお感じになると予想いたします。聴き続けることで、ある日突然に
コペルニクス的転回が起こります。実験作品は次の構成で成り立っています。第一楽章は音階がU4U3U2U0U4U3U2U0U4と転回して変調します(7分18秒)。U0は平均律です(変ロ短調)。U4は短調的、U3は長調的、U2は25セント偏移の平均律に近い音階です。一つの音階の終わりの音名と次の音階の始まりの音名は同じですが、次の様に周波数が偏移します。U4-U3ではGbが100セント下がります。U3-U2ではEbが25セント下がります。U2-U0ではEbが25セント下がります。U0-U4ではGbが50セント上がります。第二〜第四楽章でも同じパターンです。100セントと50セントは私も感知できますが、25セントはまだ十分には感知できません。村山先生のお耳なら、短期間で鑑別できる様になられると思います。私の方はこれから根気よく1000回聴き続けて遅いながらも、最短で聴覚の訓練を毎日して参ります。第二楽章はU4U3U2U0U4U3と転回します(7分5秒)。第三楽章はU4U3U2U0U4と転回します(9分56秒)。第四楽章はU4U3U2U0U4U3と転回します(10分31秒)。合計時間は34分53秒ですが、ロスタイムを含んでいます。尚、U1実験音階は今回は間に合わず使用出来ませんでした。
非平均律五音音階による和声の研究も始めていますが、この度の第一実験作品では、通奏低音と通奏高音の同時使用、2オクターブ以上離れて二音和声の実験をしています。重低音と最高音が同時に鳴っている処です(第3楽章 8:15、8:53)。これは
天と地の呼応を表現しています。中音域はの位置ですが、ここではそれは必要ありませんでした。天地の荘厳な呼応に答えるには人間の存在は小さ過ぎると感じます。各国の伝統音楽でも、和声の研究は殆ど進んでいませんので、西欧音階の和声と対比しつつ研究を進めます。オーケストレーションへの和声法の確立は相当の時間を要するでしょう。この項目は先生のお役割を期待申し上げています。私は単旋律の展開と通奏低音と通奏高音の応用を楽器の種類を替えながら、転回変調(*Rotative Transformation)を繰り返す制作実験を始めたいと考えています。また、各国言語への非平均律音階の合目的的分化は当然の帰結ですから、日本語に合致する音階を探します。当然に関西型と関東型のアクセントに対応する別の音階が必要です。その為の究極の非平均律五音音階(Ux)を発見する終わりのない旅が始まりました。タクラマカン砂漠で黄金を発見する様な探検になると思いますが、夢は捨てません。あの「シルクロード幻想曲」の通りですね。今回の実験作品「出船変奏曲」、または、「NET-5040702」は、昨年の還暦記念の「ヒロリーナ組曲102」を超えるのに一年二ヶ月を要して作曲されました。新しい「京都オペラ」に相応しい音楽を作曲するには、さらに今回の作品を超えねばなりません。私の音楽的感性と能力の限界を超える仕事ですが、敢えて眼前の絶壁に挑戦を続けたいと存じます。「叩け、さらば開かれん」とか「神は自ら助くものを助く」とか申します。求め続けるからこそ出会いがあり、挑戦するからこそ超えるべき矛盾があるのであります。自らの境遇に安住するものには、一切の進歩は有り得ません。荘子先生の思想は、不可能を可能にする唯一の哲学思想であります。そして、その思想は求める人にのみ示唆を与えるものであります。感性を研ぎ澄ませて、更なる挑戦を続けたいと念願しています。
今回の作品に対する早速のご感想を有難う御座います。私の音楽を本当に理解して下さる方は世界中で村山先生お一人しかいませんので、先生に幾らかでも評価して頂ければ最も嬉しいことでございます。これからも日夜精進を続けて参りますので、時折コメントやヒントを頂きたく宜しくお願い申し上げます。盛夏の折から、毎週のご出張のご安全とご成功をお祈り致しております。(21:00 今治)

*転調はModulationで平均律内の移動、変調はTransformationで非平均律による移動です

 何時までも近くて遠き大和歌、京の都に今よみがえる! 

So near and far the Song of Yamato now revived in the Capital of Kyoto !

English

    6 Jul 2004 Litto Ohmiya  

Next

Copyright Litto Ohmiya 2004

DTM top

index100

NEW OPERA FROM KYOTO

index100-2