脳内作曲法

music forum

Ky-122

Composition in the brain fields

村山先生、こんばんは!昨日まで雨続きでしたが、今日は久しぶりに晴れましたので、隣町まで自転車で往復して参りました。心地よい疲れで、夕方まで休んでおりました。最近のテーマは「音は脳で聴いている」という事について考察を続けています。5月15日付けの朝日新聞の文化欄に掲載された、「2000ヘルツから200ヘルツおきに2600ヘルツまでの音を同時に聴くと、実際にはない200ヘルツの音が聞こえる」という実験データに関する記事(佐々木英輔記者)に注目しました。また、人工内耳でも音楽の演奏が出来たという報告もありました。蝸牛殻に埋め込まれた実験装置は40本のラインしかありませんが、実際の聴覚器官は、1万5千個の有毛細胞に3万本の神経がついていて、脳に情報を送っているとの解説もありました。音も音楽も、実際には脳の聴覚領域で認知して、作曲などの創造も同時に行われているのでありますから、脳が音楽の主役であることに疑いを挟む余地はありません。
耳朶で集められた物理的な周波数からなる音が、鼓膜を通じて内耳の蝸牛殻に伝達されますと、物理的な振動を有毛細胞が電気信号に変えて、神経を通じて脳の聴覚領域の無数の細胞に送られるものと考えられます。そこで初めて音として認知されるに至る訳であります。物理的信号として脳細胞に送られていても、
脳細胞が認知しなければ、音にはならないことになりますね。音で構成されている言語についても同じ回路を通じて、脳細胞に伝えられて認識される訳ですから、聴き慣れない人の言葉や外国語は聞いても分からないことになります。音楽も同じで、脳細胞が認知しなければ、物理学的な音声情報を音楽として受け入れることは出来ないのであります。「馬の耳に念仏」という諺の様に、馬に実際にモーツァルトを聴かせても、恐らくは何も聞こえないに等しいでしょう。人間の音感や感性も同じことであります。脳の聴覚領域の発達の程度によって、音楽として認知できるかどうかが決まるのではないかと思われます。この事は映像でも同様のことが言えます。映画は人間の視覚の残像現象を応用して、細切れの物理的な映像情報を、恰も連続して動いている様に錯覚して見えることによって、映画やテレビというメディアが成立しているのであります。人間の脳細胞による画像処理も聴覚と同じく高度に発達していることは周知の通りであります。
人間の脳は最高の効率を記録する人でも、10%以下の領域しか使用しておらず、90%以上の領域は、未知の宇宙の如く未開拓のままに生涯を終えるのが普通の人の一生であります。
人間の脳は無限の可能性を如何なる年齢に於いても残していると信じることが出来れば、我々にも少しは勇気が湧いてきます。私達が幾ら頑張っても、モーツァルト先生に叶う筈もありませんが、そのモーツァルト先生でも、脳の大半の領域は未開拓であったとすれば、モーツァルト先生には、後1年でも2年でも長生きして欲しかったと思います。私が何時も申し上げている、千回耐聴テストは凡人の脳細胞に新しい聴覚回路を作り出す、只一つの方法であるとも言えるのであります。例えモーツァルト先生が一回聴くだけで十分であるとしても、我々は千回までも聴かないと聞こえて来ないのであります。脳の聴覚領域に新しい回路が出来れば、それまで聴こえなかった音が突然に聞こえる様になります。同時にそれまで演奏出来なかった水準の演奏も突然出来る様になります。聴く回路と演奏する回路は共通の回路を通しているのではないかという仮説を立てていますが、それを証明する事実は幾つか体験して参りました。「聴けるところまでしか弾けない」と申し上げて参りました理由はここにあります。ですから、幾ら自己流で猛練習を続けても、一向に上達しないのはこの理由によるものであります。自らの水準を遥かに超える高い目標を設定して、聴くを多くして練習を少なくすれば、最短距離で上達が可能になります。私の場合は現実には生身の先生は持たずに、世界中の現在も過去にも誰も超えることの出来ない先生を唯一の師と仰いで精進を重ねて来ましたし、これからもこの路線を変えることは有り得ません。その先生とは、モーツァルト先生その人であります。モーツァルト先生の名曲の名演奏を千回単位で聴き続けて、作曲者のメッセージを感知したいと熱望して参りました。その過程で、実に多くのことを学び取ることが出来ましたし、演奏と作曲を同時に行う即興演奏(作曲)法もある程度身に着けることが出来ました。幼少の頃から音楽教育を一切受けていない私には、将に奇跡が起きたことになりますね。それは聴き続けることによって、脳の聴覚領域に新しい回路が出来上がるとの仮説を傍証する実験結果でもあります。
音楽の主役は脳であり、
聴くための感性も技術を超えるセンスも未知なる宇宙を旅する如くに、脳の聴覚領域を新たに開拓することによって初めて達成できる可能性が生まれると信じる者であります。伝田文夫氏はその著書の中で、「日本語は低い周波数の母音を基準としているので、高い周波数の子音を基準としている西欧言語に日本人はついて行けない。音楽の基礎は言語にあるので、日本人は西欧音楽を理解することは難しい。それ故に高い周波数の音を聴く訓練をすれば、完全ではないが日本音楽と西欧音楽の中間の位置の聴覚は獲得出来る。その結果、西欧語の話し方も著しく向上するし、西欧音楽の演奏技術も上達する。」と述べておられますが、言語と音楽に於いては、脳の聴覚領域が主役であることを認識されて、実際の音楽教育に応用されて来られたのであろうと賞賛の意を表したいと存じます。クラリネット奏者でもある伝田先生は、ある日突然に今まで聴こえなかった音が聞こえて身震いがしたとも述べておられます。伝田先生の脳の聴覚領域に、その時新しい回路が完成したことを証明するものと受け取っています。
如何に効率と確率が低くても、倦まず弛まず聴き続ける事によってのみ、脳の聴覚領域の開拓が可能になって参ります。神は求め続ける者には何時か福音を与えられることもあるのではないでしょうか?そうして、時間も場所もない我々アマチュアにも、脳は等しく与えられています。実在の楽器はなくても脳の内部でやがて演奏と作曲が同時に出来る様になる
脳内作曲法の開拓を夢見ています。脳内で作曲された音楽を表現するには、現実に何らかの楽器が必要になります。現代では伝統楽器と並んでDTMに代表されるコンピューター楽器も登場して来ました。DTMは伝統楽器の制約を解放して、架空の楽器を造れるまでに進化しつつあります。表現手段が進化すれば、作曲法も進化しなければなりませんね。21世紀は音楽の新しい世紀の始まりの時でもあります。先端技術を駆使して新しい楽器の研究・開発と共に、自然界に存在する変ることのない自然音の美しさも再発見する必要があります。感性を研ぎ澄まして、人間の音感の限界を超える自然界の音色も聴けたらどんなにか素晴らしい事でしょう。
梅雨晴れの夜空の星を眺めると、こんな思いを強くするのです。奇しくも今日は3年前に亡くなった長女の誕生日でもあります。その長女への
鎮魂歌である私の初めてのDTM作品、「ヒロリーナ組曲102」も平成16年5月26日で満一歳になります。まもなく聴き続けて1200回になりますが、この組曲を超える音楽を作曲するには更なる奇跡を待つしかありません。

果てしなき妙なる音を求めつつ、宇宙を旅するわがモーツァルト!

Mozart my teacher always traveling to seek ultimate sounds in the cosmos !

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22 May 2004

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「日本人はクラシック音楽をどう把握するかー音楽は何語?」 伝田文夫 1994

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NEW OPERA FROM KYOTO

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