耐聴テスト1000(2)

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Ky-120

Acoustic Tolerance Test 1000(2)

Q: この度は千回の耐聴テスト達成おめでとうございます。初めての快挙と伺っていますが、ご感想は如何ですか?
A: 有難うございます。1000回聴くのには何と10ヶ月も係りました。日に3回として一ヶ月で約100回、千回に到達するには最短で10ヶ月を要します。1000回はゴールではなく、通過点に過ぎません。
Q: 今回の対象作品はご自身の作曲の「
ヒロリーナ組曲102」とのことですが、何故にご自作の作品を1000回もお聴きになる必要があるのでしょうか?
: 自作と言っても、作曲が完成した瞬間にそれは自分の作品ではなくなる訳です。そして、作曲者も聴衆の一人に過ぎないのです。客観的にその作品を評価するには、作品に対する思い入れや過信を取り除く為には、それだけの回数を聴き続けなければその目的を達成出来ないのです。自作の場合は他人の作品より二倍は聴かないと客観性は確保出来ません。
Q: これまで千回近くお聴きになった作品にはどんな曲がありますか?
: はい、学生時代にはベートーベンの交響曲第3番とヴァイオリン協奏曲をそれぞれ300回以上聴きました。村山誠先生の前期作品抜粋集も300回聴きました。最近ではモーツァルトのピアノ協奏曲第20番、21番、22番と24番を500回位、、オペラ「フィガロの結婚」と「魔笛」を300回位などがあります。
Q: それだけお聴きになれば、全て暗譜出来る位になるのでしょうか? その為の時間はどれ位になるのでしょうか?
: これだけの回数では、未だそこまで行きません。ベートーベンの場合はそれに近づきましたが、モーツァルトの作品はそれ位の回数では登山で言えば未だ3合目付近でしょう。
Q: 時間はどれ位要したのでしょうか?
: 時間は無尽蔵ですよ。何時間とか計算する事を超えています。寝ても醒めても聴いているという状態です。自宅の研究室で聴いて、車に乗れば聴くという具合に職業に従事している時間帯以外はすべて音楽を聴いて来ました。
Q: 例えばモーツァルトの作品の場合は、何回位から作曲者のメッセージが聴こえて来るのでしょうか?
: 500回を超えると聴こえ方が変わります。それまで聴こえなかった部分が突然聴こえる様になります。その後は聴き方も変わって行きますが、聴き続ける事が出来る作品は真に歴史的な傑作であることの証明です。そうでない作品は100回までに全て篩い落とされてしまいます。その意味では100回が第一関門と言えるでしょう。更に500回を超える事が出来れば、もう十分に合格です。
Q: では、500回までと500回から後では聴こえ方はどう違うのですか?
: 500回までは量的な評価でしかありません。500回から後は質的な変化が現れます。つまり「量が質に変わる」のです。
Q: 先生は学生時代からその様な聴き方をされて来られたとの事ですが、誰か良い指導者がおられたのでしょうか?
: 友人と教授に良い先生方はおられましたが、回数多く聴く方法は名曲の名演奏を聴くうちに自然と身に着いた方法ですから、何のノーハウもありません。只根気よく聴いてきたまでの事ですが、量が質に転じて作曲までする様になったと云う訳です。
Q: それでは伺いますが、「
ヒロリーナ組曲102」を1000回聴かれた現在のご感想を具体的に教えて下さい。
: 具体的にとは?
Q: 各楽章についての感想などです。
: はい、それは音感感性を言葉で表現するのは難しいです。
Q: まず、第一楽章ですが、ピアノで静かに始まりますね?
: 第一楽章はピアノで前奏曲を兼ねています。嵯峨野にある大沢の池の堤にある桜の下をヒロリーナが散策していて、花が散っては水面に揺らいでいる様を表現しようとした作品です。桜の花弁がひらひらと舞い落ちる様をテンポの繊細な変化で表現しています。花の舞いはやはり高音部の細やかな連打音で表現することになりますね。最後の3音は聴こえるか聴こえない位の小さな音となって終わります。
Q: 変ロ短調五音音階でアダージョということですが、変ロ短調で書かれるのはなぜでしょうか?
: 西洋の音楽では変ロ短調で書かれた作品は極めて少ないのですが、この調性は日本音階と西洋音階を結び付ける位置にいます。日本の音楽を世界の人々の感性に訴えるには、変ロ短調と変二長調は極めて重要な役割を果たします。
Q: それでは、どの様な作曲家が変ロ短調で作曲しているのでしょうか?
: 変ロ短調では、ショパン、チャイコフスキー、ラフマニノフ達がいます。それに村山誠先生も書かれています。変二長調では、ショパンが一番多く書いています。
Q: モーツァルトは変ロ短調で作曲していますか?
: それが、第一楽章が変ロ短調の作品は一曲もないのです。調べて見て本当にびっくりしました。モーツァルトがあまり書かなかったこの調性は日本音階と西欧音階との架け橋の役割が可能なことを発見しました。
Q: この「ヒロリーナ組曲102」は全編が五音音階で作曲されていますが、五音音階に拘るのは何故でしょうか?
: 日本語の歌には五音音階が最も相応しいとの結論に到達するのに40年も係りました。日本には何種類かの伝統的五音音階があることはご存知ですね。そして、変ロ短調五音音階こそは日本音階と西洋音階の交差点に位置しているのです。
Q: 変ロ短調五音音階からは、日本音階へも西洋音階へも相互に移調し易いということでしょうか?
: その通りです! ですから、日本音階の真髄を世界に発信する為の最も重要な調性が変ロ短調五音音階という結論になりました。亀さんの様に遅い道程ですが、四十年係って到達した結論の一つです。
Q: 私もこの組曲を何十回も聴きましたが、この第一楽章はさり気なく始まって控え目に展開して、細やかな感性でそっと終わりますので、後で心地よい余韻が残ります。この第一楽章には特に工夫された点はございますか?
: 「さり気なく」と感じて頂けるのは嬉しいことです。特に意識はしていませんでしたが、後で繰り返し聴いてみると、前奏曲として相応しいと感じています。オペラ音楽のプロローグとしては無難ではないかと思います。オペラでも、プロローグは極めて大事ですね。フィナーレ以上に実は最も重要なのはプロローグなのです。
Q: 続いて第二楽章になりますが、ヴァイオリン・モードでラルゲットとの事ですが、テンポは何か悠久の流れの様なものを感じますね? 「永遠の愛」という題名がついていますが、何を意図されての作曲でしょうか?
: ピアノの音は打楽器の特徴として、減衰する音ですよね。弦楽器は演奏している間は減衰することなく、何時までも続けて発声できる楽器です。「悠久さ」や「永遠性」を表現するには、ピアノよりも弦楽器の方が適していると思うのです。テンポは二番目に速度の遅いラルゲットを採用しました。第一楽章がアダージョでテンポが変化するのに対して、第二楽章ではテンポは変化せずにラルゲットで終始します。主人公の「どこまでもあなたと行こう!」という心情を表現しているのです。その背景には京都の1200年を越える悠久の歴史の流れがあります。
Q: ヴァイオリン・モードとのことですが、弦楽器の低音部分もよく響いているのではありませんか?
: はい、ヴァイオリン・モードと云うのは、弦楽器の代表がヴァイオリンなのでそう呼んでいるだけです。実際にはヴァイオリンからコントラバスまでの全音程を含んでいます。和声の表現も、実際のヴァイオリンではあり得ない和声が表現されています。これはDTMでしか出来ない演奏法であり、新次元の音楽の到来を意味しています。
Q: なるほど、ヴァイオリンの4弦だけでは出来ない組み合わせの和声も表現出来るという訳ですね! 
DTM元年に相応しい作品ですね?
: 有難う。でも、ヴァイオリンのあの繊細な演奏がまだ十分には表現出来ないのですが、DTMは日進月歩しているので、遠くない将来にもっとヴァイオリン本来の演奏に近づけるとは思います。現在は、キーボードで演奏しているので弦楽四重奏の様な構成をヴァイオリン・モードだけで全音程を含む広域に渡る表現が可能になっています。言い換えれば、一人で弦楽四重奏を演奏することが出来ると云うことですね。
Q: 分かりました。でも、先生、両手しかないのに四つのパートをどうやって演奏するのですか?
: 同時に四つは無理ですが、三つまでは同時に演奏出来ますよ。ペタル操作で通奏低音または通奏高音を鳴らしている間に、他の二つのパートを演奏しているのです。
Q: えっ! そんなことが出来るのですか? 第二楽章には通奏低音と通奏高音がよく出てきますね。それも一人で演奏されていたのですか?
: はい、初歩的な実験ですが、何とか通奏低音と通奏高音の演奏が実現しました。
Q: 通奏低音というのはよく聞くのですが、
通奏高音というのは余り聞かないのですが?
: それは通奏低音の方がよく知られていますが、高音部で伴奏すると云う逆転の発想で生まれたものです。雅楽では昔から通奏高音が演奏されているのですよ。
Q: それは全く知りませんでした。通奏低音だけでなく、通奏高音を現代の音楽に取り入れると云うことは、素晴らしい事ですね?
: そうですね。モーツァルトの時代では、通奏低音のパートは楽譜には書かなかったのです。低音部の伴奏は通奏低音奏者の即興演奏に任されていたのです。現代の音楽にその通奏低音を復活したいと考えて来ました。更に通奏高音も新設しようとしているのです。通奏高音には癒し効果もあります。笙による通奏高音は、雅楽の超スローテンポと共に癒し効果が著しいので、この組曲では笙は使っていませんが、各パートの最高高音を多用して実験的に取り入れています。
Q: それがもし実現すると、癒し効果の他にはどの様な効果が得られますか?
: 作曲と再現に即興性が復活することになり、音楽表現の自由度が高まります。また、作曲に要する時間も短縮されます。モーツァルト先生ほど速くは作曲出来ませんが、オペラを作曲する膨大な時間が短縮される可能性が開かれます。現代では3時間のオペラを作曲するのに、職業作曲家が専念しても3〜4年は掛かると云うのが常識になっています。京都オペラでも、モーツァルトの時代の作曲習慣を取り入れる事で、現代では却って新鮮な感性を引き出すことが出来ると思います。
Q: それはよく分かりました。第二楽章では最後の音が最高音で静かに終わりますね? これはどういう意図で作曲されたのでしょうか?
: はい、それは天国への永久の旅立ちを表現しています。その為には最高音を起用するしかありません。
Q: 次の第三楽章ですが、これはパイプオルガンによる演奏でしょうか?
: はい、DTMで再現できる楽器の種類は400種以上に及びますが、チャーチオルガンは実際の楽器に近い音がでる数少ないジャンルの一つです。オルガンは教会に常設されているだけあって、荘厳さを強調する祈りの音楽に最適の楽器です。
Q: 第三楽章はアンダンテとありますが、これは行進曲でしょうか?
: アンダンテのテンポで行進曲風に作曲しました。ここでも通奏低音と通奏高音が交互に繰り返し行われています。この組曲の中で唯一明るい曲です。変二長調に転調して、テーマの単純な反復演奏で終始しています。
Q: それにしても、オルガンの重低音の迫力は凄いですね?
: オルガンは重低音から超高音までを網羅する、巨大な楽器です。しかも、ハイテクの塊の様な楽器で、設置価格も全ての楽器の中で最も高いものですね。長い間ピアノにしか関心が無かったので、オルガンの重厚な音を聴いた時は感激しました。
Q: オルガンと言えば、バッハにはオルガン曲が多いですね。モーツァルトではピアノ曲が多いのでしょうか?
: そうですね。バッハの時代はオルガン全盛の時代でしたから、当然の事ながらバッハにはオルガン曲の傑作が多い。モーツァルトの時代にピアノが生まれてベートーベンによって完成されたピアノですから、モーツァルトの時代にクラヴィコードで演奏されていた作品も現代ではピアノで演奏されています。ピアノの正式名称はご存知ですよね?
Q: ピアノフォルテですか?
: まだまだ長いのですよ。「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」と云うのが正式名称なのですよ。
Q: はあ、どういう意味から来ているのでしょうか?
: クラヴィコードとチェンバロの長所を組み合わせて、音量も強弱出来る楽器と云う意味なのですよ。だから、大きな楽器のピアノを「小さい」と云う意味の言葉で略称するのは、語源的には可笑しい呼び方なのです。
Q: はい、それはよく分かりました。ピアノも完成してから200年位経っているのですね。先生はピアノを最も得意としておられるのですか?
: 最近まではピアノの事しか頭に無かったのですが、この組曲の作曲にオルガンを採用してから、オルガンを見直しました。ヴァイオリン・モードと共に今年は脱ピアノ元年でもあります。
Q: 続いて第四楽章では、再びピアノですが、この楽章は大変な曲ですね!音程の範囲が広く、緩急、高低、強弱も最大限変化して、テンポも変わりますね。「夢の中の踊り」という題名がついていますが?
: ピアノに拠る第四楽章は、このオペラのクライマックスに位置する楽章です。運命の嵐の中で、二人が離れ離れになってしまう有様を、夢の中の踊りとして表現する音楽です。実際のオペラ舞台上で二人に踊って欲しいと考えています。
Q: テンポが速くなったり遅くなったり、目まぐるしく変化しているのでしょうか?
: テンポ・ルバートが究極まで変化したらどうなるかの実験作品でもあります。この究極のテンポの変化のことを、テンポ・インフィニトと呼んでいます。
Q: この第四楽章は、極めて独創的で今までに聴いた事がない新鮮で生き生きとした印象を受けます。作曲者ご自身はどの様な感想をお持ちですか?
: 第四楽章には特異的な印象をお持ちになると思います。ピアノの88鍵の全音域を使って、緩急も強弱も最大限に変化する音楽を目指しています。モーツァルトの音楽の絶大な影響下に作曲された最初の成果でもあります。僅か5分足らずの楽章ですが、これ以上の表現は出来ない程に千変万化するピアノ音楽です。二人の踊りを表現する音楽ですから、微妙に異なる二つのテンポが同時に進行している部分もあります。テンポが目まぐるしく変わるので、実際の踊りは大変に難しいと思います。二人の踊り手の息がぴったり合っていて、高い感性と同時に若い力を必要とする踊りになると予想されます。オペラの展開の一部を舞踊で表現する実験でもあります。
Q: それは実際の舞台が今から楽しみですね。この楽章だけは初めてお聴きした時から強烈な印象を受けましたし、聴き続けていると引き込まれて行って、尚且つ新鮮さを失わないと感じています。
: 有難うございます。私自身もそれに近い印象を持っています。何かの奇跡が起こったとしか言いようの無い作品ですね。これと同じ作品はもう二度と出来ないかも知れません。
Q: この楽章だけは無調なのでしょうか?
: そうですね。88鍵の殆ど全てを使っているので無調と言わざるを得ません。
Q: 次の第五楽章は再びヴァイオリン・モードですね。「愛の喜び」という題名がついていますが、この楽章は何を表現され様としているのでしょうか?
: この第五楽章はその次の第六楽章が祈りの音楽になっているので、その手前の段階の喜びの気持ちを表現しようとしています。同名の題のついた音楽は既に多くありますが、やはりヴァイオリン・モードが一番その表現に適していると考えています。通奏低音と通奏高音の使用は控え目に抑えています。第六楽章とフィナーレの第七楽章への繋ぎの楽章なので、目立たないけれども作曲としては難しい位置にあります。
Q: 野球で言うところの「繋ぎ投手」ですか? 
: はい、そうですね。試合の勝敗を決める重要な役割ですが、目立たない地味な存在です。そういう所まで見て頂けると有難いですね。
Q: この楽章もラルゲットになっていますが、第二楽章のラルゲットと同じテンポでしょうか?
: 第二楽章が悠久さを表現しようとしているのに対して、この第五楽章では次の第六楽章の祈りの音楽への準備の意味があります。天国への旅立ちに心がはやる気持ちを表現しようとしているので、第二楽章のラルゲットより心持ち速いテンポを求めています。
Q: ラルゲットをお使いになる理由は何でしょうか?
: このテンポは一番心が落ち着きますね。ラルゴでは遅すぎる場合はこのラルゲットになります。ラルゴより速く、アダージョよりは遅いこのテンポが気に入っていますよ。
Q: さあ、いよいよ第六楽章ですね。このオルガンによる荘厳な祈りの音楽には些か圧倒されますね。
: 有難うございます。この楽章はもう説明の必要もないと思いますが、オルガンの重低音と高音部を最大限に活用して、通奏低音も通奏高音も随所に採用しています。旋律は単純ですがゆっくり繰り返して行く内に、荘厳な祈りに入って行きます。主人公が、辞世に際して敬虔な祈りを捧げる歌でもあります。ラルゴで始まりますが、気持ちが早やってテンポがラルゲットに近づこうとします。これは内心の心の昂ぶりを表現しようとしているのです。この楽章の演奏がこの組曲では一番難しいと思います。一般に遅いテンポの音楽ほど演奏が難しいと言われる所以でありますので、この第六楽章も例外ではありません。
Q: この楽章もコーダは高音部で終わりますね?
: はい、やはり上の天を目指している気持ちの表現では高音部で終わらねばなりません。最後の高音は天国へ通じる光の帯を表現しているのです。この楽章の作曲を機会にオルガンをもっと深く研究しようと思いましたので、記念すべき楽章になりました。単純な旋律をゆっくり繰り返すことによって祈りは深められて行きます。宗教音楽への入り口にやっと到達しようとしています。
Q: 旋律としては単調に過ぎるのではないかという印象もありますが、如何でしょうか?
: 科学に於いて偉大な真理は常に単純である様に、音楽に於いても大きな感動は単純な旋律からしか生まれません。華麗に聞こえる音楽はすぐに飽きられます。この組曲も単調であるからこそ1000回も聴き続ける事が出来たのです。お分かりですか?
Q: はい、それは肝に銘じます。そして、いよいよフィナーレの第七楽章ですね。三度ピアノに変りましたが、出だしは単音のシンプルで美しいテーマで始まりました。これがヒロリーナのテーマですか?
: はい、本来ならこのテーマで第一楽章は始めるべきなのですが、敢えて最終楽章に廻しました。このテーマは少し以前から温めていたメロディですが、音程は高低の幅を大きく取っています。歌手の方にお聞きすると、高低差の大きい曲は歌うのが難しいとの感想を頂きました。モーツァルトのオペラに出てくるアリアでは、高低差の大きい曲が多い様です。「魔笛」の夜の女王のアリアなどがその最たるもので、あのコロラトゥーラの最高音は並の歌手では出せない高さですね。でも、日本語の歌詞の場合はあそこまで高い音は却って不自然なのではないでしょうか?
Q: 第七楽章の展開はその後はどの様に進んで行くのですか?
: 始めは第一楽章と同じく、桜の花がひらひらと散っていますが、段々と散り方が激しくなり、仕舞いには花嵐となって主人公に降り注ぎます。その変化の決定的な瞬間が始まって3分8秒の時に、花嵐が降る表現に変ります。
Q: どうして聴き分けますか?
: 無論、テンポが少し遅くなります。大量の花弁が降ってくる訳ですから、重さを感じてテンポが変化するので分かります。メロディも音の数も多くなり花嵐の状況が華麗に描写されていると思います。約2分後に、一つの高音でフィナーレとなります。その高音は主人公が召される瞬間を表現しています。その高音が消えても、無音のままに花嵐は暫く続いていていると想像して下さい。その直ぐ後に幕が降りるのです。
Q: はい、よく分かりました。作曲者ご自身の解題ですから一つひとつ納得が行きます。七曲とも約5分前後ですね? これは何か意図があるのでしょうか?
: はい、一曲を平均5分前後に収めたいと考えています。長すぎず短か過ぎずで、5分前後が歌う方も聴く方も一番効果的ではないかと考えるからです。長すぎるアリアや延々と繰り返されるアリアを否と言うほど聴いて来たので、その反省から一曲を5分前後にしたいと思い実践しています。
Q: ところで、先生、この組曲の作曲は即興曲としてお作りになったと伺いましたが、とても即興曲には聴こえないのですが?
: 有難うございます。即興曲と言っても出任せに作っているのではありません。登場人物のテーマや、その展開する音楽形式やパターンは前以て十分に練習を重ねて臨みます。今回は2週間位準備と練習をしました。
Q: では、実際の演奏と言うか作曲と言うか、どれ位の時間を要したのでしょうか?
: それは一時間足らずで出来上がりました。録音された時間が全7楽章で37分28秒ですから、制作時間は60分位ということになります。
Q: そうですか。とても即興曲とは気付きませんでした。十分に練って作曲された曲と即興で作られた曲ではどんな差異があるのでしょうか?
: 究極に於いては何の差異もありません。制作の過程が異なるだけの問題です。出来上がった音楽作品の水準を論じれば良いのであって、制作過程は問う必要はありません。作曲家によって皆な異なりますからね。私の場合は即興的な制作過程が最も適していると云うだけなのです。
Q: そうですか。即興的作曲の場合は出来上がった時には未だ楽譜がないですよね。 楽譜がないのにどうして37分28秒もの曲を作曲・演奏出来るのですか?
: 楽譜は音の配列などを記号で記録したものに過ぎません。楽譜がもし完全であっても、それを見て演奏すれば、再現者によって100人100色に異なる演奏になります。一人として同じ演奏は有り得ません。楽譜は単なる約束事のメモに過ぎないのです。楽譜なしに演奏出来ればそれに越した事はありません。指揮者やソリスト達はお得意のレパートリーの曲の時は楽譜など見てませんね。楽譜台が始めから置いてない事が多いですね。ベームさんがモーツァルトを指揮する時は楽譜台はありません。それがモーツァルトの専門家の証明にもなります。「楽譜を見るのは練習の時に限られる。本番では楽譜を見てはいけない」と常々若い人達には言って来ました。ですから、楽譜の有無は音楽の本質に影響を与えるものではありません。そして、究極の音楽は只一度しか演奏されないと云う事ですね。
Q: はい、分かりましたけど、実際にはそのことは大変なことではないでしょうか。最後にこの組曲を1000回お聴きになってのご感想を再度お聞かせ下さい。
: 有難うございます。1000回続けて聴くことが出来たことは何よりも嬉しい事です。100年後にも生き残れる可能性も開かれました。お聴き下さった多くの方々に感謝申し上げると共に、この音楽を生かして新しい日本語オペラに編集して参りたいと思います。
Q: 是非ともご成功をお祈り致します。音楽が先に完成している訳ですから、後は歌詞だけですね。新しい日本語オペラの完成もそう遠くない気がしますね。
: いえいえ、そんなに簡単には出来ません。この組曲の音楽を超える作品を用意しなければ、新しい日本語オペラは生まれません。前途多難ですが、最晩年の全ての時間を投入するだけです。事の成否はすべて主に委ねる他はありません。
Q: ご健康と幸運をお祈り致します。また、制作過程の取材に寄せて頂きます。
: 有難うございます。出来なくて元々ですよ。出来れば奇跡ですから!

オペラ書く窓辺に雪の舞う夜は、花嵐吹く京の春待つ!

At night snow falls by the windows to wait for the spring of Kyoto in cherry storm !

English

28 Feb 2004

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Q: フォーラム担当記者 A: 大宮律人

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NEW OPERA FROM KYOTO

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