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Opera Lyrica Kyotienna |
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村山先生、お早う御座います。2004年も明けて早くも1月15日になりました。この成人の日が日曜日に移行したことによって、15日が平日であることが多いのは何か奇異な印象を否めません。さて、西暦1603年に、出雲の阿国が京都の北野神社境内で初めて歌舞伎踊りを舞ってから昨年は丁度400周年でありました。時恰も、フィレンツェでカメラータ達がギリシャ悲劇を復活しようとしてオペラを作り始めたのと同時であったことは、歴史上特筆に価することであります。歌舞伎は今日まで継続して発展を遂げて、現在の京都・南座で恒例の顔見世興業が今も続いています。オペラの方もイタリアからヨーロッパ全土に広がり、今日では日本を含む世界中で毎日何処かで上演されています。両者に現在共通していることは、どちらも歴史的作品の上演が殆どで新しい作品は極めて稀であるという点であります。発祥以来400年を経て、その歴史的使命を終えたかに見える歌舞伎とオペラでありますが、私はそのどちらもまだ歴史的使命を終えて欲しくないのであります。時代を超えて新しい作品が生まれることを切に望んでいます。その為には多くの実験作品が作られなければ、100年後に残る作品も有り得ないわけでありますから。 さて21世紀の今、何故「京都オペラ」なのかを申し上げねばなりません。京都はオペラと同時に発祥した歌舞伎の生誕地でありますから、世界の舞台芸術の歴史に於いても極めて重要な文化首都の一つであります。歌舞伎の生まれた京都にオペラがないのは何故か? それはこれから造り上げて行かなければならない歴史的使命なのであります。阿国が始めた歌舞伎の発祥の地、京都で400年を経てオペラが誕生することの歴史的意義は大きいものがあります。しかも、歌舞伎とオペラが同時に誕生した時よりも200年も前に、同じ京都で能楽が完成していたことを考えると、京都はフィレンツェを遥かに凌ぐ舞台芸術の先輩であることも歴史的事実であります。能楽が完成してから600年の今日、京都にオペラが再生する歴史的意義は二重の意味で決定的に大きいものがあります。能楽と歌舞伎の歴史を踏まえて新しいオペラが京都に誕生すれば、それはオペラの復活と再生に大きい貢献を成す歴史的事柄であります。オペラの復活と再生を果たし得る音楽の新しい都は、将に京都を置いて他にはないと言えるのであります。1200年の文化的伝統と蓄積のある京都は、新しい日本語オペラを生み出す準備を既に十分に培って来たので、誰が始めても必ずその歴史的使命を果たすことが出来るシナリオは既に書かれているのであります。舞台芸術を愛する者、オペラを愛好する者、新しいオペラ制作の夢を持つ者達が世界中から京都に集まれば、京都はウィーンと並ぶ音楽の都になる可能性を十分に備えています。それには私達日本人がまず始めねばなりません。「魁より始めよ!」云うが如く、誰かが始めなければ何事も始まらないのでありますから、私達が浅学非才を顧みず新しい種を撒き、井戸を掘り始めようではありませんか。 京都にはオペラの舞台になる所が何処を歩いても無数にあります。私はカメラマンですから休日にはカメラを持って京都中を散歩する機会が多くあります。今までは何気なく撮って来た写真ですが、京都オペラを制作しようと決心してからは、写真のアングルやタイミングの取り方が変わって来ました。オペラの舞台を意識してシャッターを切っている自分に気付いてはっとしたり致します。どのオペラのどのシーンかは未だ分からないが、オペラの舞台になるアングルは幾らでも見つかります。嵯峨野の大覚寺にある大沢の池と、洛北の上賀茂神社は学生時代から私の最も大好きな所であります。昨年の「ヒロリーナ組曲102」のCDジャケットが上賀茂神社の大鳥居であったのもその為であります。大沢の池の方は、今でも毎日TV映画のロケが行われていて、TV時代劇では映らない日がないほど有名でありますね。観光地になり過ぎて俗化したと、昔を知る人達が異口同音に言われますが、オペラの舞台としての大沢の池とその周辺は私の愛する京都で特別の思い入れのある名所の一つであることに変わりはありません。ここを舞台にしてオペラを書くことが、学生時代の20歳の頃からの夢であったのです! オペラの題材も京都には幾らでもあります。「わが二都物語」は後醍醐帝親政の時代を取り上げていますが、それはダンテの活躍した時代と同時代であるからでもあります。「わが二都物語」はダンテの子の一人、ダンティーノが文化使節として、後醍醐帝に招聘されてフィレンツェから京都に来たという想定で物語られています。ヒロリーナとは帝の女官で京都でダンティーノと邂逅するヒロインの名であります。ダンティーノは西欧音楽を代表し、ヒロリーナは日本音楽を代表するという芸術文化論をも兼ねており、東西の音楽の違いを浮き立たせることをオペラの舞台造りの基本方針として、世界に京都オペラの何たるかを知らしめんとする意図を込めています。この作品が文字通り、京都オペラの魁となることを念願しています。中世の京都はこのように、日本文化の揺籃期でもあり、今日に於いても復活させるべき歌や踊りが百家繚乱の如く生まれては消えて行った、日本文化史上最も魅力ある時代でもあります。 私の第二作は、「京のモーツァルト」という題名で構想を練っています。1791年に他界されたモーツァルト先生がタイムマシーンに乗って、21世紀の京都に来られたという想定で舞台造りを計画しています。その目的は日本文化の都である京都の地に、モーツァルトの音楽を移植せんとする試みでもあります。モーツァルト音楽の高音を生かした広い音程の変化、テンポの目まぐるしい変化による心理表現、悲しみがベースにあるにせよ、人の心を賦活させる明るく美しい旋律、「魔笛」と「レクイエム」で到達した深い祈りの音楽、これら何れの要素も京都にはまだない要素でありますから、京都の音楽的風土に、モーツァルトの音楽的要素を移植できれば、それは京都オペラ誕生の基本的な柱の一つになるであろうとの思い入れからであります。京都オペラは日本音楽の将来を担うだけではありません。世界に向けて京都から新しい音楽を発信するためであり、世界中の人々にも愛唱してもらえる歌でなければなりません! ダンテやモーツァルトという世界中の誰もが知っている歴史上の人物の名をお借りするのは、京都から新しい日本語オペラを世界に発信するためであり、それ以外の目的ではありません。第三作以降の計画はまだありません。二つの作品が完成すれば、自ずとその先も見えて来るでしょう。但し、それは私の余命と相談せねばなりません。そして、それは私の実験作品の問題だけではありません。京都オペラが歴史的な誕生を果たすことが第一義の目的であります。1200年の京都の華麗な歴史と文化を背景にするからには、音楽も亦その重みを支えうる力強さと美しさが要求されます。日本と世界から天才作曲家達が京都に集まり、新しい日本語オペラがわが愛する京都の地に誕生する夢が正夢になることを祈りつつ迎えた2004年のお正月であります! 村山先生、何時か京都にゆっくりお越し下さい。オペラの舞台をご一緒に散策しながら、私達の新しい日本語オペラの構想を練りませんか? |
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15 Jan 2004 Litto Ohmiya |
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