空想と啓示

music forum

Ky-113

Imagination and Inspiration

村山先生、今晩は! お忙しい師走を如何お過ごしでしょうか? こちらでも職業の方は何とか毎日忙しく走り回っておりますので、訪問事業等で昼食を摂る暇がない日が多々あります。車の運転ばかりですので、運動不足を補うために車載用の折り畳み式の自転車を何時も車に積んでいて、お天気のよい日には一時間前後走ったりしています。その理由は脚力の低下は音楽活動でも致命的となる事に気付いたからです。作曲も演奏もバランス感覚を欠いては成立しないものですから、バランスを取る運動能力は不可欠であります。指揮者も立ったまま3時間は耐えねばなりませんね。立てなくなればもう引退するべき時ではありませんか?
今年から既に私のライフワークのオペラ「
わが二都物語」の作曲と制作が始まりましたが、5月に「ヒロリーナ組曲102」の作曲の後はあまり進行していません。作曲はピアノの前に座れば自ずと作曲が出来るというものでもないし、作詞もペンと原稿用紙を持ては直ぐに書けるというものでもありません。とりわけ職業的な仕事ではなく、アマチュア精神を高揚して高い水準の純粋音楽を作曲するためには、万難を排して自己の精神を集中して空想を続けながら啓示が降りてくるのを、ひたすらに待つしか方法はありません。ひとたび空想と啓示が得られれば、一気に作曲は進みますが、それが無い時は幾ら待っても何も浮かんでは来ません。何十時間、何日待てば閃きが得られるという保証は何もありません。モーツァルト先生は、湧き出るままに楽譜に書き留めたと言われていますが、そんなことは私達凡人に真似のできる筈がありません。あんなに短い生涯の間にどうして、音楽史上で最大の作品を遺すことが出来たのでしょうか? もうこれは神の啓示による他はないと批評する者が居ても少しも不思議ではありません。今年の12月5日はモーツァルト先生の212回目の命日ですがCS Classica Japanでは5日と6日で合計48時間も連続でケッヘル番号順にモーツァルト作品を放送し続けていました。私達はどうすれば、自らの精神を昇華して美しい音楽を作曲することが出来るのでしょうか? その答えを言える者は、世界中の何処を探してもいないでしょう。
私達に出来ることは、
人事を尽くして天命を待つことだけです。Imaginationを空想と約すのは少し奇異に感じられるかも知れませんが、想像するだけでなく、非現実的な空想というプロセスが音楽の作曲には必要でありますから、空想という語を敢えて使っているのです。Inspirationは啓示と約しましたが、自らの全ての能力と時間を一点に集中して、果てしない空想に耽りながら閃きの啓示を待つしかないのです。モーツァルト先生の音楽作品は将に空想と啓示により、短時間に集中して成立したものでありますから、その音楽を繰り返し500回以上聴くことによって、ほんの1%でもモーツァルト先生の制作過程の一部を体験することが出来れば、音楽を聴く喜びはこれに過ぎるものはないでしょう!500回聴いても体験できなければ1000回までも聴き続ける必要があります。私が新しい日本語オペラを書くと云うことは、恰もマッターホルンの氷壁を単身で垂直に登って行く様な行為であります。完成出来なくても当たり前でありますが、どんなことがあっても諦めずに挑戦し続ける決意を固めています。
人間は自らの力ではどうしようも無い時に限って、神に祈ります。その敬虔な祈りの継続の中でも美しい音楽は生まれる可能性もあります。音感と感性を研ぎ澄ませて、自然界の微かな
音なき音を感知できなければ作曲などは無理というものです。武士の魂は刀である様に、作曲家の魂は音であります。音は見えないから聴く他はありません。それ故に聴けなければ作曲することも不可能でありますから、音楽においては聴くことが全てであると云われる所以であります。聖書にも「見れども見えず、聞けども聞こえず」と信心のない者を哀れむ一句があります。40年来の夢である新しい日本語オペラの制作を始めて思うことは、理想を掲げて一人で歩んで行く道は遥かに遠く、どこまで行けるか予想も出来ませんが、それは夢を実現したいという幼子の小さい祈りにも似ています。その祈りに応えるかどうかは神のみがお決めになる事なのですから、人間がいくら求めても仕方のない事ではあります。私にはモーツァルト先生の音楽を聴き続けることが唯一の方法であり、如何なる時でもそれしかありません。そして、聴くことは弾くことよりも千倍難しいことを痛感しています。何人も聴けるところまでしか弾けない訳ですから、何小節かでも弾くのを聴けば、その人が何処まで聴ける人かは火を見るより明らかであります。私はとても怖くて人前で演奏することなど考えることも出来ません。只ひたすらに聴き続けて自らの為に精進を重ねるだけであります。何時も音楽を愛する人々にミューズの女神の微笑みがあることを祈りつつ、この世に生ある限り聴き続けたいと思います。

紫の花の心を知りたくば、歌な忘れそ花落ちるとも!

Never forget old songs for to know the mind of violet flowers !

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15 Dec 2003 Litto Ohmiya

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