さようなら、マイクロフォン!

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The Age of DTM is coming

村山先生、今晩は! 今年も既に師走がやって来ました。一年の経つのが早く感じられるのは年の所為でしょうか? 先生に於かれても今年度事業での躍進が見られたとの由、お慶び申し上げます。景気が低迷して10年近くになりますが、この様な時期に躍進する事業は次の時代を先取りしている事の証明であります。時代は流れて止むことはありませんから、その流れの拠って来たる源流を遡って物事の原点を知ることと、未来を展望して次の時代を読むことが常に求められています。環境を守り、省資源と循環系に貢献する事業こそ次世代に成長する基幹産業に成り得るのではないでしょうか。
私のこの一年もモーツァルトの研究と作曲で一つの躍進がありました。アマチュア精神を高揚して純粋な音楽の開拓に専念できた結果、多くの知己の温かいご共感と励ましのお言葉を頂き、心から感謝の念に堪えません。技術的な問題でそれを支えたのが、他でもないDTMでありました。コンピューター音楽と一口に言っても色々な種類と分野があります。私が目指して来たのは、パソコンで作曲と演奏を同時に行うシステムを開発する事であります。この3年間の試行錯誤の末に、今年の春にリアルタイムで作曲が出来る初歩的なシステムを試作する事が出来ました。作曲ソフトを通じて再生するとキーボードで音を入力してから、
約0.5秒も遅れて発声する為に、再生だけの目的にしか使用できず、リアルタイム作曲法が出来ないで3年間も苦しんで来ました。悪戦苦闘の末に、再生用の音源と楽譜作成用の音源をそれぞれ独立させる事で0.5秒の遅れを克服して、時差無しのリアルタイム作曲が世界で初めて可能になりました。深夜に完成して、何度も万歳を叫びました!そうして、5月26日の記念すべき還暦の日に、初めての組曲をCDに直接録音する事に成功しました。その喜びとは別に、現在のDTMの水準でどれ位の音が作れるのか? 長い音楽の歴史で培われて来た伝統的な楽器の素晴らしい音色に何処まで近づけるのか? DTMは果たして芸術としての音楽制作に採用できるのか? 期待よりも不安が勝っていましたが、最高級品でない家電製品であるCDレコーダーでどれだけの音が録音できるのか全く自信などありませんでした。それでも、一応録音を終えてから再生して聴いてみるとそれほど悪くない音が聴こえて来ました。しかし、家電製品であるCDプレーヤーで再生したのでは本当の音が出ているかどうか分かりません。今年のお盆に還暦記念の同級会を開いた時に、中学の同級生の一人が信じられない程もの凄いオーディオ・システムを30年も掛かって完成させていました。総費用は何千万円も投入して来たと言います。その音響装置で、私の制作した音楽CDを再生して貰いました処、一般の音楽CDに遜色ない音質を確保しているではありませんか!自宅の音楽研究室では再生できない最高高音の再生も決まっていましたし、超低音も控え目に見事に再生できていました。これがDTMの音かと耳を疑う程の素晴らしい音質でした。そしてやっとDTMで音楽制作が遜色なく実験できる時代が来ている事に気付きました。私には彼の様な凄い音響装置を作る空間も費用も意欲もありませんが、その類い稀な、控え目で柔らかい無理の無い自然に近い音をよくぞ開拓したものと感動しています。彼はコンサート会場にはもう行く必要がないとも言っていました。スピーカーはJBL製、メインアンプは日本製のやや古いパワートランジスター機で、程よい分配器で超高音から超低音まで無理なく再生できていました。CDプレーヤーはDENON製の最高級機でした。真空管式も多数試作したものが並べられていましたが、彼の結論は現在ではトランジスター式の方が遥かに真空管式を凌いでいるとの結論でした。私自身も聴き比べさせて頂いてそう実感できました。
こうしてDTMで制作したCDを最高級音響装置で再生しても、一般CDと遜色ない音を再生できる事を確認した結果、我々の時代に間に合って遂にDTMの時代が開けた事を心静かに喜んでいます。では、どうして家電製品級のCDレコーダーで録音しても良い音が出るのでしょうか? この一年近く聴き続けて来てその理由がやっと解りました。それは、
マイクロフォンを使わずにCDに直接デジタル録音できるからであります! マイクロフォンを使わないから、一切の雑音が入る余地もありません。どんな高級マイクロフォンを通じて録音するよりも、完全な録音が出来てしまうのであります。DTMではマイクロフォンを必要としないのであります!40年前の京都での学生時代に、現在のDTMの様なシステムを夢見ていました。ピアノを弾いてそのまま楽譜が出てきたら良いなと真剣に考えて居たのです。そして2003年の今年、その夢が実現したのです!実現した以上、もうそれは夢ではありません。DTMは進化して現実の技術となりました。これからも更に進化し続けるでしょう。現在では音楽制作は大部分がDTMに拠って実現しています。既にコンピューター無しに作曲することが考えられない時代になっているのです。DTMは伝統楽器にとって代わるものではありません。伝統楽器と並んで、21世紀以降の音楽表現方法の一つであり続けることは確かであります。そうして、DTMによるディジタル録音は一音たりともごまかしが効かないのであります。演奏が終わって万来の拍手が続いていたとしても、楽音以外は一切記録されません。マイクロフォンでの録音でよく聞かれる演奏者の息使いや、楽音以外の雑音は一切録音されませんから、演奏者の如何なる心理的条件をも超えて、無条件にリアルな楽音しか記録しないのであります。良きにつけ悪しきにつけ、コンピューターの造る物理的な音しか記録しないのですから、DTMはどんな時も曇らないクリスタルの鏡のように冷たく怖い存在であります。そのクールな道具であるDTMという楽器体系を駆使して、人々の感性に訴える音楽を表現する事は、これまた伝統楽器以上に難しい事ではないでしょうか? DTM元年を迎えるに当たり、私にDTMを手ほどきして下さった村山先生と元東芝勤務の阿部先生に心から感謝申し上げて、DTMの今後の飛躍的な発展を祈りたいと思います。
阿部先生は今年の夏、私のDTMの現場を訪問して下さった時に、この組曲の第一印象を、「深淵であり、諸外国を旅する者からは、京都独特の印象を受ける。専門的に聴き込まないと私には難しいかも知れない」と述べて頂きました。私達の目指す「
京都オペラ」が世界の女性と男性の音感に耐え得る作品を多く残すことが出来れば、後世の人々から「京都楽派」と称される可能性もないではないと考えます。京都がウィーンと並んで、「音楽の都」と呼ばれる日を待ち望んでいる私の夢を膨らませるこの一年でした。ハイドン、モーツァルト、ベートーベンが「ウィーン古典派」の音楽体系を完成させた様に、21世紀の京都にも天才作曲家達が集まって来て欲しいとの夢物語を描いています。1200年以上の歴史を持つ京都にはそれを実現する為に十分な独自の文化的土壌が既に熟成されているのでありますから、必ずしも夢ではありません。この豊かな土壌に良き種を撒きさえすれば、どうして素晴らしい華が育たないことがあるでしょうか?

歌姫の巡る堤や音もなく、桜散り行く京の春かな!

Around the bank of pond Her Princess is going under cherry storm !

English

1 Dec 2003 Litto Ohmiya

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