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Acoustic sense of woman |
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村山先生、お早うございます。早くも10月10日になりました。1964年の東京オリンピックを思い出します。東海道新幹線もこの日までに開通しました。今日は女性の音感は男性より遥かに優れているのではないかという事について考察致します。この度の還暦記念の音楽CDを京都と全国にいる古い友人に合計で50枚ほどお送りしましたところ、何らかの反応が返って来たのは殆ど女性の友人からでした。男性の友人からはお便りは届いてもCDを受け取ったということとご自分の近況報告だけでしたが、女性の友人からは作品を聴いてのご丁寧な感想が添えられていました。中にはわざわざお電話を下さった方もおられました。 一番早く反応が返って来たのは21歳の女性からでした。仕事をしながらこのような素晴らしい音楽をよく作曲出来ますねと言って頂きました。この方はジャズタウンのお手伝いを3年間して下さった方で、その頃から私の音楽観を理解してくれていましたね。京都の声楽家の女性からは、オペラの舞台が京都になっているので身近に感じて頂いた様です。テンポの流れ方には悠久さが感じられて、祈りの曲のところでは荘厳な印象を受けられた由。変ロ短調で書かれたこの作品の音程は高低の変化が大きいので歌うとなると少し難しいなと感じられたとのことで、私が一番お聞きしたい感想を述べて頂きました。私自身がこの間京都に帰っている時に、一日中車の中で聴いていましたが、京都の美的感性に十分耐えうるものと考えています。熊本の女性からは、最初に聴いた時は音程が狂っているではないかと感じられたとのことですが、二回目からはすっと心に入って来たとおっしゃって下さいました。この曲は音程の変化である縦の変化が大きいので慣れない内は音程がずれている様に聞こえると思います。また、テンポが限りなく変化する横の変化も大きいので、一定のテンポで演奏されるのが通常の現代ではテンポが不安定で落ち着かないと感じられるでしょうね。大自然のテンポの変化を音楽に取り入れる実験をしているので、この事を実感して頂けるまでには相当時間が掛かるものと思います。娘さんがヴァイオリンを弾いておられるので、是非とも京都にいらっしゃいとお勧め致しました。ご自宅で声楽の先生をしておられる女性は、この作品には癒し系の効果が十分に感じられると言って頂き、大変嬉しく思いました。思い切って高音部を強調して作曲をしたので、癒しの効果も現れたものと考えています。鎌倉在住の女流詩人の方からは、曲の始まりから京都を思い浮かべて頂いたとの事で、組曲の全編を通じて荒々しさは無く、静けさと優しさが感じられるとお便りを頂きました。京都のオペラを制作しようとしている作曲者の意図を汲み取って頂き感謝に堪えません。そして、唯一男性の方からの反応は、私の京都時代の親友の父上で、私の医学上の恩師でもある歌人の大先輩からは、「オルガンという楽器を見直した。すごい楽器や。曲は美しく、すこし悲しく聞こえる。ヒロリーナとは、広沢の池か、それとも大沢の池か? 健闘を祈る」とのコメントを頂き感激しています。ヒロリーナの命名は広沢の池からですが、オペラの第一幕の舞台は時代劇のロケでも有名な大覚寺の大沢の池です。二つの池は嵯峨野にあり、お互いに近い距離にあります。学生時代から私が一番好きな場所ですから。因みに第二幕は奈良・吉野山の桜の場面となっています。「わが二都物語」とは、京都と奈良、現世と来世と二重の意味が込められています。 この作品を聴いて頂いた方々の反応の一部をご紹介致しましたが、作曲者の想いや感性を直感して頂けることは、作曲者冥利に尽きます。何時の時代でも、新しい音楽の誕生には女性の持つ繊細な感覚と感性に拠る処が大きいと思います。モーツァルトの時代にピアノを普及させたのはやはり貴族の女性達であったと聞いています。女性の音感は昔から男性より遥かに優れているのではないでしょうか? 伝統を重んじて理論的な要素を重視する男性よりも、感性によって直接に作品に接することが出来る女性の方が新しい音楽への反応は速いと思われます。モーツァルトの音楽とベートーベンの音楽もこの意味では対照的でありますね。天賦の感性と音感により曲想の趣くままに作曲したモーツァルトの音楽は自然界の音楽に最も近いので、繰り返し何度でも聴き続けることが出来ます。ベートーベンの音楽は理論的構成によって成り立っていて形式を重んじるために、理論的な展開の好きな男性に好まれていますね。それ故にモーツァルトの音楽は女性的であり、ベートーベンの音楽は男性的であると言えなくもありません。しかし、作曲家には圧倒的に男性が多いのがこれまでの音楽の歴史でしたが、女性の作曲家もこれからは沢山出てきてほしいと思います。歌手では女性の方が華やかでソプラノやアルトで聴衆を魅了しています。男性歌手も多いですが、本当のプリマドンナの前では、テノールやバス、バリトンも脇役に回らざるを得ませんね。 また、大宮律人氏の演奏も比較的に良かったと思います。私はオペラの登場人物のテーマや各楽章の曲想について指示をしただけですが、私の予想を超える作品に仕上げてくれました。僅か一時間の即興演奏である程度整った音楽形式に纏め上げるのは至難の技ではないかと想像致します。長年京都に住んでおられるので、京都の美意識や感性を十分に養って来られたのであろうと推測致します。音程の高低の変化、テンポの限りない変化など、縦横の変化の大きいダイナミックな展開を遂げながらも、京都的な優雅さや、悠久の時間の流れを感じさせると共に祈りの荘厳な響きをも実現していると思います。何はともあれ、還暦記念の音楽CDを制作することが出来て本当に嬉しく思っています。これからも大宮律人氏との二人三脚で新しい日本語オペラを制作して参りたいと念願しています。歴史上の多くの作品は作曲家の死後に初めて評価されるものが多いのが通例になっています。新しい音楽は何時も難産の末に世に出るものでありますから、オペラ作品の幾つかの台本と楽譜とCDを残すことが出来れば望外の喜びであります。そして、京都のオペラであるからには世界中の女性の音感と感性に耐えうる音楽を作らなければ、私の目指す歴史的使命も果たせない事を痛感しています。勿論、世界中の男性の音感にも耐える作品でなければなりません。 |
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10 Oct 2003 Litto Ohmiya |
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