変ロ短調

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Ky-109

B flat minor

村山先生、今晩は!早くも10月になりました。毎日ご多忙のこととお慶び申し上げます。今日は「変ロ短調」についてご報告致します。インターネットの検索で「変ロ短調」を調べてみると、2440件もの該当ページが出てきます。まず、ショパンのピアノソナタ第2番変ロ短調<葬送>、スケルツォ第2番変ロ短調、ノクターン第1番変ロ短調と表示されます。続いて、村山先生の<葬送曲>変ロ短調作品20(1989)、交響的幻想曲・変ロ短調作品11(1985)と続きます。更にチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番・変ロ短調作品23、ラフマニノフのピアノソナタ第2番・変ロ短調作品36が表示されました。また、「変二長調」で検索すると2520件もあり、ショパンのノクターン第8番・変二長調作品27−2、ワルツ第13番・変二長調作品70−3(遺作)、ポロネーズ第6番・変二長調作品53、<雨だれのプレリュード>変二長調作品28−15と続きます。お気づきの様に、変ロ短調と変二長調はショパン、チャイコフスキー、ラフマニノフなど東欧からロシア系の作曲家に限られているのであります。村山先生がその中で2曲お作りになっているのは、非常な卓見と以前から存じ上げておりました。そして、わがモーツァルト先生には第一楽章が変ロ短調の曲は「ソナタ変ロ短調KV333」が一曲だけあります。第二楽章が変ロ短調である作品も幾つかあります。この調性は東洋的であり、且つ非西欧的であるとの印象を強く持っています。私が40年係って到達した音階が、この変ロ短調(変二長調)五音音階であったことは必然的な結論でもあった訳であります。初めて村山先生の音楽を聴いた時に、長い間求めて来た音楽に巡り合ったと直感できたのも将に当然の帰結であります。
さて、私がこの変ロ短調と変二長調を主要な調性として作曲を試みているのは、この調性が日本五音音階と西欧七音音階との間の橋渡しが可能な音階であると気付いたからであります。やや
哀愁を帯びた雅やかなこの調性は京都の感性を表現するのにぴったりであります。また、この調性から日本五音音階への移行も自然に行うことが出来るし、西欧的な七音音階への移行も無理なく行うことが出来るのです。では、今夜もわが庭でも毎夜演奏している秋の虫達の音楽は何調でしょうか? 私の耳にはやはり変ロ短調に聴こえます。しかも五音音階であります。高音部に集中して緩急自在に演奏される秋の虫達の音楽は、人間の作曲する音楽の水準を遥かに超えていますね。私は鳥の声はあまり好きではありません。何か人間の声に近い言語を持っていると思われるからであります。メシアンの様に鳥の声から取材して作曲した作曲家もいましたね。鳥の声より遥かに単純で明澄な秋の虫の音楽を私はこよなく愛する者であります。還暦記念に作曲した「ヒロリーナ組曲102」は勿論この変ロ短調と変二長調で書かれています。やはり秋の虫達の音楽からの啓発は大きかったのではないかと述懐されます。静かに虚心坦懐に秋の虫達の音楽に聴き入っていると、日本音楽の源泉のひとつである事を感じます。変ロ短調こそは私のライフワークであるオペラ「わが二都物語」に最も相応しい調性であることに自信を深めている処であります。まだ作詞が進んでいませんが、音楽が先にスケッチ出来ましたので、300回以上聴き込んで行けば、また自ずと詩が思い浮かんでくると期待しています。自分が作曲した曲であっても、作品となれば他人の作品と同じ扱いをせねばなりません。主観を排してあくまでも客観的に聴いて、その曲想と展開を感じ取る必要があります。一日に3回聴くとしても300回聴くには3ヶ月も掛かりますね。私が2000年に村山先生の前期作品抜粋曲集から英文のオペラ「ホリスティック」の台本を書いた時も300回拝聴した後でしたね。音楽に込められた作曲家の意図する曲想を感じ取る事は、それ程簡単なことではありません。それが感得できた上でなければ作詞は出来ないと考えています。今日は村山先生と私の邂逅をもたらせた音階である変ロ短調について考察致しました。何時の日か、私のオペラ「わが二都物語」の初演が京都の小さいホールで実現する事を夢みている今日この頃です。

日々一首うたい継ぎてオペラ書く、歌の道行き遥かに険し!

A song a day for to compose new opera being so far and high goal !

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5 Oct 2003 Litto Ohmiya

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