秋の虫の音楽(2)

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Ky-107

Multi-Tempo Song of Autumn Worms(2)

村山先生、今晩は! 今年は9月になっても猛暑が続いていますが、朝夕はさすがにやや涼しくなりました。気が付けばわが庭にも秋の虫達が帰ってきていました。日没とともに草深きわが庭のあちこちで既に演奏会が開かれています。まだシーズンが始まったばかりで本調子ではなさそうですが、虫たちの軽やかなメロディーが聞こえてきます。もうすこし涼しくなれば本格的な演奏会が毎晩ここでも聴かれることでしょう。前回に秋の虫の音楽について、ご報告してから既に二年が経過していますが、この二年の間には私のモーツァルト研究も進展がありました。全曲マラソンはまだ途中ですが、最晩年から遡ってオペラは「イドメネオ」、協奏曲は「ピアノ協奏曲20番」を過ぎたところでありますが、私の音楽研究と創作活動に計り知れない影響を与えています。研究成果としては、モーツァルトの音楽ではテンポが最も重要な要素であることが分かった事であります。自筆原稿には音符を訂正した箇所が殆どないのに、テンポの指示用語の訂正が目立つことをアルノンクール先生が指摘しています。モーツァルトはテンポの繊細な変化によってオペラにおける心理的な表現法を開拓した唯一の作曲家でもあります。創作活動では、「Hirollina Suite 102」の実験的な作曲と録音に初めて成功しました。ハードとソフト両面の条件が整ったとは言え、2週間という短期間で、7曲からなるオペラ用の組曲が作曲できたことは奇跡に近いことでありました。これらの成果はモーツァルトの音楽を寝ても覚めても聴き続けている過程でのみ可能となったことであり、今後も継続して行くことで更なる前進を期待しているところであります。将に「モーツァルト効果」の偉大な作用を疑うべくも無く自らが体験できた貴重な一年でもありました。今年はモーツァルト先生が逝去されてから212年になりますが、モーツァルト先生の完成された古典派音楽の高き山系は恰もアルプス山脈の様に高く聳えていてその頂には万年雪を冠しているのであります。現代に至る全ての音楽の流れはその山脈から流れ下ってきたものでありますから、200年以上経ってようやく世界中に普及したとも言えるのであります。モーツァルトの人生後半の作品群の全ての作品は至高の完成度を誇っていて、現代に至るまで全ての音楽家の学習、研究、作曲、演奏の基本課程になっているのであります。モーツァルトを終生敬愛したショパンの名を冠する、ワルシャワのショパン音楽院のピアノ科の正課がモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲となっていることもその良い例であります。
モーツァルト全曲マラソンの途中ではありますが、この一年間に私にとって最も重要な教訓を頂いたことがあります。それは最も単純な結論でありますが、音楽において
最も難しいことは聴くことであるということに気付いた事であります。言い換えれば、音楽においては聴くことが全てであるということであります。そして演奏することも聴くことの延長でしかないことにも気付きました。モーツァルト作品の名演奏を聴いていると名演奏とは自ら弾きながら聴いていることを教えられました。自らが弾きながらリアルタイムで自らの演奏を客観的に聴きながら演奏を続けることが出来なければ名演奏からは程遠いことを教えて頂いたのです。モーツァルト先生を唯一の理想の教師として敬愛している私達にとって、またどんな奇跡が起こったとしても何人も超えることの出来ないモーツァルト先生が私達に与えて呉れた特に大きな教訓でした。その意味で秋の虫達の音楽を聴いてみると、演奏会場である庭のあちこちで呼応しながらコンチェルトの様に演奏しています。虫達は演奏しながら自らも聴いていると思います。自分の音色も呼応する相手の音色も聴いているのではないか。やがて秋が深まればわが庭は夜毎に最高の演奏会場になります。今も昔も変わらぬ秋の虫達の音楽は、モーツァルト先生も聴いていたことでしょう。何時まで聴いていても飽きることのない虫達の音楽ですが、藪蚊の襲撃には耐え兼ねて家に入らねばなりません。蚊に食われた腕をさすりながらも音楽の貴重な教訓を得た一夜でもありました。

何人もえ超えざらん歌の人、モーツァルトのみこそわが師なる!

Mozart is my only one teacher whom nobody could have climbed up !

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7 Sept 2003 Litto Ohmiya

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"Hirollina Suite 102" by Litto Ohmiya 2003

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NEW OPERA FROM KYOTO

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