ウィーンから京都へ

music forum

Ky-106

From Wien to Kyoto

村山先生、お早うございます。台風10号が接近して風雨が強くなって来ました。ジャズタウンの本番を一週間後に控えて公私共に忙しくしております。還暦を過ぎて3ヶ月になりましたが、この40年間の遅い歩みを振り返ると私の心に何か重大な変化が生じていることに気づきました。それはモーツァルトの都ウィーンから私の都である京都への帰還という平凡な結果でありました。18歳から音楽を聴き始めたのも京都でしたし、遥かなウィーンへの憧れを抱いたのも京都にいる頃からでした。1962年から33年間も住んでいた京都から1994年に帰省して既に10年が過ぎていました。家族と仕事の為とはいえ、還暦を過ぎると老後の行く末を考えざるを得ません。毎日モーツァルト全曲マラソンを続けて参りましたが、私の心は何時の間にかモーツァルトのウィーンからわが青春の都である京都へと移りつつあることに気付きました。65歳から遅まきながらもウィーンへの音楽留学を計画していましたが、現在はその必要性も感じなくなりました。それは全曲マラソンの一つの大きな結果でもありますし、私の求める音楽がウィーンには存在しないことを教えてくれる人がいた事もあります。その方は大塚敬子さんという、30年間もウィーンでオーケストラの一員として生活された貴重な報告を「ウィーンに生きて」と題する単行本を音楽の友社から2002年に出版された方です。私のウィーンへの関心を只ならぬものとして還暦直前に長男が岡山の書店で買い求めてくれた一冊でした。
大塚敬子さんのこの本で私が感じたことは幾つかありました。ウィーンは京都とよく似た町やなと感じたこと、国際都市であらゆる国から音楽家が集まって来ていること、ウィーン気質という独特の雰囲気と誇りを持つ市民がいること、モーツァルトの時代のウィーンとは別の都市であること、古典派時代を最高水準としてその後には特に見るべき音楽の創造はなされていないこと、基本的には東洋蔑視の思想が根強く残っていること、ウィンナ・ワルツに代表される単純で明るい音楽を好む町であること、21世紀になった現在ウィーンに新しい音楽が再び生まれる可能性が低いこと等を感じました。大塚敬子さんが私に送って下さった情報は実際にウィーンに30年間住んだ結果の報告なので、掛け値なしに貴重でした。大塚さんは青春の全てをウィーンで過ごされたのですから、大塚さんにとってはウィーンが都なのでしょう。でもウィーンから日本へ帰国された。それは一体何故でしょうか?もしウィーンに彼女を去り難くするほどの音楽的な要素があれば、帰国されなかったのではないか?
12音技法という新しい無調音楽の原理を開拓したシェーンベルクがウィーンにはいたが、転調を目まぐるしくして事実上の無調音楽の先駆を試みたモーツァルトの存在を考えると全く新しいとも言えない。むしろ12音技法により伝統あるヨーロッパ音楽の崩壊を早めた貢献の方が大きいとも考えられる。
伝統が崩壊した跡には何が残るか?それは新しくて古い美学への復帰を助長する何かであります。58年前の廃墟の中から新生日本が生まれた様に、美の形を完全に破壊した結果において現代の混沌があるとすれば、その美の形を再び再生しなければならないとの思いを強くして参りました。日本人ですから日本の美の形を求めなければなりません。それが可能なのは現代でも京都からという結論に返るのであります。京都はわが青春の町、わが心の古里でありますから京都へ帰ることは何の問題もありません。この10年間京都を離れていたことによって、京都の町の存在を幾らか客観的に見ることが出来たことも有意義なことでした。私の求める音楽は日本にしか無く、その音楽を制作するには京都が最も相応しいことに気付くのに40年間も掛かったことになります。本当に「亀のように」遅い歩みを我ながら呆れます。歩みは遅くても長く続ければ幾つかの作品は残せるかも知れません。現代は昔とは違ってメディアの進歩は物凄いものがあります。インターネット時代ですから情報の伝播は速くなりました。志を同じくする仲間を見つけることも幾らかは容易になっているでしょう。音楽のテーマの取材は学生時代からずっと京都でして来ました。これまでと変わらない方針を再確認できたわが還暦となりましたが、学生時代と異なることは残された時間は十分には余裕がないと言うことです。もう回り道も出来ないことも自覚できました。モーツァルト先生は言うに及ばず、大塚敬子さんにも感謝すること大であります。わが青春もわが老後も私の場合は京都にありました。何でもない当たり前のことに気付くのにこんなにも長い年月が掛かるのは何故でしょうか?わが歩みの遅いのを嘆くと共に残された時間の貴重さを真剣に考えています。還暦を迎えた平凡な結論のご報告です。美空ひばりさんは「私は日本人に生まれて幸せです。何故なら日本の歌を歌い続けることができるから!」と述懐されたことがあります。この歌手にしてこの言ありと言うべきでありますね。

帰り来し京の都は変わりなき、わが青春の生命また燃ゆ!

Returned to Kyotienna my Capital where my youth is alive again !

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8 Aug 2003 Litto Ohmiya

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