カール・ベームのテンポ (2)

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Tempo of Karl Boehm (2)

真鍋圭子氏の「カール・ベーム 心から心へ」(1982 共同通信社)によると、後にモーツァルト専門の指揮者となるカール・ベームはブルーノ・ワルターの試験を受けるため、「魔弾の射手」と「蝶々夫人」をミュンヘンで指揮をしたが、1921年1月27日の「ミュンヘン最新ニュース」には、極めて好意的な批評が載った。
「昨晩、ウェーバーの<魔弾の射手>を指揮した指揮者は若く有望である。彼は身体の中にリズムを有している。これは取りも直さず、良き音楽作りへの唯一最大の基本である。彼の指揮法は明確で、舞台の上で慣れ切ったテンポで歌う歌手達に対し、自分の意見をまっすぐ曲げずに妥協を許さなかった。彼は生き生きとした流動感のあるテンポを取り、それを羽のようなアクセントで息づかせている。もちろん、彼はその演奏を一層洗練させ、その基本的テンポを今ひとつニュアンス付けすることもできよう(またせねばらなぬ)が、このグラーツ出身の指揮者、Dr.カール・ベームの与えた印象は良好である。間違いなく彼は、今日まで偉大な人々が座していた地位を維持することになろう。」
晩年のカール・ベームにおいて尚も健在であった、
あのバネ仕掛けの様なリズム感は若い頃から彼の体内に宿していたことが理解出来る。自分が信じるテンポを譲らない強い意志も既にデビュー当時から獲得していたと考えられる。この特質は、テンポが最も重要な要素の一つであるモーツァルトの音楽を指揮するのに必要不可欠な条件であります。
1974年にミュンヘンの自宅でカール・ベームは真鍋圭子氏に、12年振りに訪問する日本での演奏に抱負と喜びを語る中で、テンポについて次の様に語ったという。
「若い指揮者の多くの誤りの原因は、正しいテンポを持てないということです。速いテンポの曲は速過ぎ、遅いとなると遅過ぎる。一定の線、輪郭というものがないんです。私はフレーズやテンポの移り目というのを特に大切にします。テンポは全体を総観した上で決定しなければなりません。例えば<魔笛>の第二章で、三人の侍女とタミーノ、パパゲーノの五重唱の所ですが、初めはアレグロで、<Wie? Wie? Wie?>と簡単で言葉少なく始まります。アレグロ、そしてアラ・ブレーヴェが目に付くと誰でも速いテンポで始めてしまうのですが、その後に三人の侍女の非常に台詞の多い箇所が出てきます。すると、もし速いテンポで始めると、ここで完全に歌えなくなってしまう。ここだけゆっくりと歌うことは許されません。ですから、この箇所を考慮に入れた上で最初のテンポを考え、落ち着いたテンポで始めなければなりません。まず、全体を考えた上ですべてを始めなければなりません。全体、つまりフォルムがなければなりません。
フォルムこそ芸術で、フォルムのない芸術は芸術という呼び名にあてはまらないと思います。」
カール・ベームは「
わが最愛のモーツァルト」と題する自己の話を録音したレコードで、モーツァルトを演奏する時のテンポの取り方について、次の様に話されたとのことであります。
「私が未だモーツァルト演奏に関して一つだけ、悩んだことのないものがあります。それはテンポの設定です。昔から私は、スコアを初めて読んだ時から、テンポを決められました。今回のこのレコード録音に際して幾つかの交響曲を初めて指揮しましたが、やはりスコアを手にしたとたんにテンポはもう決定していました。例えば<イ長調交響曲K201>のアレグロ・モデラートの速すぎる演奏をよく聴きますが、これはアンダンテに近いものなのです。あるいは<ジュピター交響曲>の最後の楽章は、テンポが速すぎるとポリフォニーの明確さを損ない、しばしば行われる転調はテンポを揺らすことになります。また、<フィガロ>の伯爵が腹を立てて戸を破ろうとする場を思い起こしてみましょう。スザンナが中から出て来ますが、彼女は陽気に振る舞います。というのは、彼女がこの場の状況をはっきり把握できる唯一の人物だからです。モーツァルトはこの場面を8分の3拍子で書き、モルト・アンダンテと表記しています。よくこの場は、アダージョで演奏されますが、これは間違いです。モルト・アンダンテはSehr Gehend ですがら、かなり速いアンダンテのテンポであるはずです。或いは、最後の幕のスザンナの大きなアリアは、アレグロ・ヴィヴァーチェです。すべてが解決したことが解り、スザンナはまた陽気です。ところが、ほとんどの演奏はレチタティーヴォから既に非常に速く演奏されます。
しかし、テンポというものは最終的には考えるものではなく、
直感的なもの、察知するものだと思います。私はある時、リヒャルト・シュトラウスが<コシ・ファン・トゥッテ>を演奏しにミュンヘンに行く時、ガーミッシュから彼に同行したことがありました。その時、彼はこんな話をしてくれました。”音楽作品の正しいテンポをいかに見出すことが出来るかということを私は君によく話したね。私はこの年になって(彼は当時75歳くらいでした)、やっと正しいテンポを見つけたと思う。ミュンヘンのある批評家が、私の<コシ>の公演のテンポについて、あそこは速いとか、あそこは遅いとか言って非難したんだ。だから、私は彼宛に、<敬愛する友よ、私は今あなたの批評を読み、音楽の天国にいるモーツァルトから直接正しいメトロノーム指示を受け取った人がいるということを知り、うれしく思っております。私にそれをどうか教えていただけないものでしょうか?>と書いたよ。” 最後に<メヌエット>のテンポについて一言、これは残念ながらしばしばワルツのテンポで演奏されますが、これもまったくの誤りです。」

古の歌の道より変わらねど、形なくして美のなかりけん!

There be no beauty without form like as the old traditional songs !

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1 May 2003 Litto Ohmiya

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「カール・ベーム 心から心へ」 真鍋圭子 1982 共同通信社  Classica Japan 2002

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