カール・ベームのテンポ

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Tempo of Karl Boehm

村山先生、今晩は! 早くも5月の連休を迎えました。前半の「みどりの日」は長男が岡山から帰省して、私の還暦祝いの為に88鍵のポータブル・ピアノであるキーボードを贈って呉れました。それまで短いキーボードで実験していたので、大変便利になりました。早速にMU2000に接続して鳴らしてみましたが、かなり良い音が再生されました。主としてピアノ・モードとヴァイオリン・モードで試運転している処です。
今日のテーマもやはりテンポですが、抽象的や理論的のみの推論では具体性に欠けるので、カール・ベーム(1894−1981)がウィーンフィルを指揮した、「メヌエット」KV409(1974)、「交響曲第28番」KV200(1970)、「交響曲第34番」KV338(1974)、「交響曲第36番」KV425(1975)の録画を鑑賞した結果についてご報告致します。また、ベーム番記者であった真鍋圭子氏の著作から一部を引用させて頂き、テンポに関するベームの認識についてご紹介致します。
この4曲の内で圧巻は「メヌエット」KV409(1974)であります。僅か7分そこそこの演奏時間であるのに、それに等しい時間の拍手とブラボーがウィーン楽友協会大ホールに鳴り止みませんでした。ベームは少ない動作の傑出した指揮で数々の名演奏を記録して、ウィーンフィルと共に半世紀を歩んで来ました。その簡潔な指揮は20歳年上のR・シュトラウスからの直伝のスタイルであります。開始時の第一拍とフレーズの繋ぎ目とテンポの変わり目の正確な指示、誇張の少ない華麗なフィナーレなど、指揮法のお手本となる正統派の指揮者であります。1963年にベルリン・ドイツ・オペラと、1975年、1977年と1980年はウィーンフィルと四回来日を果たしました。頑なに日本行きを嫌うアルノンクールとは対照的でありますね。ベーム自身はこの様な簡潔な指揮は、一心同体とも言うべきウィーンフィル相手であるからこそ可能であると述べています。
ベームの指揮法で共通的に見られる動作としては、次の様なパターンが観測されました。
(1) 演奏を始める直前には、タクトを両手に包んで前に持ち、少し俯いて精神を統一しています。もし演奏前の拍手が鳴り止まない時は、もう一度聴衆に向かって再度お辞儀をしてからやり直します。
(2) 一番大切な演奏開始の第一振は、以心伝心で極く自然に始まる様です。
(3) テンポが変わらずに平坦に流れる時は、殆どタクトを動かさず、只水平に保ったり、やや斜めに立てて静止したりしています。
(4) テンポを加速する時は、全身をばね仕掛けの様にワインドアップして腰を低くした位置から両手を廻しながら背伸びして行きます。またある時は腰の動作を省略して、全身を震わせながら両手をワインドアップして見せる事によって、オーケストラにテンポが加速される事をはっきりとサインを送ります。しかし、テンポは加速されても直ぐには目立つ程には速くなりません。これは物理学で云う速度と加速度の関係と同じであります。
(5) テンポを減速させる時は、逆のポーズを取ります。腰を屈めながら両手の動きも抑えながらサインを送ります。減速の場合もその指示によって直ぐに目に見えてテンポが遅くなる訳ではありません。テンポの加速も減速も恐らくは0.01秒の次元の変化でありますから、聴覚を研ぎ澄ませていないとその
テンポの微妙な変化を聴き分ける事は出来ません。
(6) フィナーレに移る時は背を伸ばしてテンポはやや遅くなり乍ら、左手または右手を強く速く水平に回してフィニッシュを決めています。
(7) ベームとウィーンフィルは半世紀に及ぶ共同作業を続けて来たので、将に以心伝心であります。モーツァルトを指揮するベームの前には譜面台さえ無いのも当然の事であります。
(8) テンポは全曲を総観した上で、速からず遅からずの最適のテンポが自ずと決まると述べています。河の流れ全体を把握していなければ、船頭は務まらないでしょう。指揮者とは船で言えば、将に船頭に相当すると言えます。
ベームの指揮法は、ブルーノ・ワルターとR・シュトラウスの二人の先生から学んだ長期間の学習の成果でありますから、理想的な指揮法と言えると思います。故郷のグラーツでデビューした若きベームをミュンヘンに呼び寄せたのはワルターでした。ワルターは後にベームの妻となるテア・リンハルトも指導しました。ワルターは1939年に米国へ亡命を余儀なくされたが、R・シュトラウスには20年間に渡って師事しています。この二人のモーツァルトの専門家から学んだ事はベームにとって生涯で最大の恩恵ではないでしょうか?後々までも、その事を感謝してインタービューで繰り返し述べています。この様に二人の薫陶によってベームもまた、モーツァルト専門の指揮者に成長して行ったのですね。「
偉大な人物には必ず偉大な教師がいる」という歴史的な諺に例外は無いでしょう。全ての音楽家の畏敬と熱愛の対象であるモーツァルトに於いても例外ではありません。

わが道はよその都にあらざりき、生まれ育ちしわが都にぞ!

There be no way otherwise than in Kyotienna my home Capital !

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30 Apr 2003 Litto Ohmiya

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「カール・ベーム 心から心へ」 真鍋圭子 1982 共同通信社  Classica Japan 2002

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