第100回フォーラムを記念して

music forum

Ky-099

Commemorating the 100th forum

Q: まもなくこのフォーラムが第100回を迎えますが、どんな感想をお持ちですか?
A: このフォーラムは、1999年に私が村山先生の音楽に邂逅してから始まりました。今年で丸4年になります。年平均25回にも及ぶペースで進んで来ましたので、感慨無量です。初めは村山先生との個人的なチャンネルとして非公開でお互いの意見交換の場としていました。第16回から、村山先生のご提案で公開に踏み切りました。今は公開して良かったと考えています。
Q: 公開されるきっかけは何だったのでしょうか?
A: 私が村山先生の前期の全作品から抜粋してメドレー作品集を編集して、それを連続300回聴いて行く過程で、自ずとオペラ作品が出来上がったのを村山先生が大層喜んで下さり、是非とも公開しようと提案して頂いたのです。
Q: 「オペラ・ホリスティック」のことですね? 英語版と日本語版がありますが、どちらが先に完成したのですか?
A: 先に英語版が完成しました。約4ヶ月遅れて日本語版が上がりました。初めは英語版しか制作しない予定でしたが、村山先生のご要望で日本語版にも挑戦致しました。
Q: 日本語版と英語版とどちらが難しいとお考えですか?
A: それは日本語の方が遥かに難しいですよ。
Q: 日本語の方が英語より難しいのは何故でしょうか?
A: オペラの台本は基本的には詩で物語を制作する訳ですが、詩では言葉の選択が決定的に難しいのです。日本語にはニュアンスの異なる同義語が沢山ありますね。英語ではその選択肢が日本語の10分の1位しか無いのです。だから、日本語の方が遥かに難しいのですよ。
Q: あ、そうですか? 私は外国語である英語の方が母国語である日本語よりは難しいと予想していました。ところで英語のオペラ作品は歴史的には殆どありませんが、21世紀の現代に英語のオペラを書く意義は何でしょうか?
A: そうですね。英語のオペラは歴史的には数は極めて少ないですね。オペラがフィレンツェで誕生したので、イタリア語圏とその隣のドイツ語圏が主流でしたのでね。
どちらもその完成には、モーツァルトが最大の貢献をしています。ドイツ語のオペラはモーツァルトの「魔笛」から始まったと言っても過言ではありません。「後宮からの逃走」はその先例ではありますが、ジング・シュピールというドイツ語圏の民間オペラの形式の伝統を踏襲しています。レチタティーヴォは無く、ディアローグ(対話)でアリア、重唱と合唱の間を埋めて行きます。これはある意味では、自然な感覚によるものですね。イタリア語オペラのレチタティーヴォには今でもどこか不自然な感覚が残ります。英語は現代では最も世界に普及している、事実上の公用語なので全世界の人々に聴いて頂く為には、英語を無視できないのです。
Q: 先生の記事を読むと、英語はオペラに向いていないと書かれてありますが?
A: 確かに、そう考えていました。しかし、ヘンデルの「メッサイア」を聴いてからその考えの誤りに気付きました。ドイツ人のヘンデルが書いた英語の「メッサイア」は完璧でしたので、些かの衝撃を受けました。1996年に長野県の御代田町という所で、アマチュア楽団の演奏を聴いたのです。ドイツ語の宗教音楽と区別がつかない程に完成していました。
Q: 成るほど、よく分かりました。日本語のオペラについて少し伺いますが、日本語オペラもまた歴史的には少ないですね。日本語オペラの未来は如何でしょうか?
A: 英語のオペラよりも、日本語オペラの方をより真剣に研究しなければなりません。日本語オペラの第一人者であられた、団伊玖磨先生が2001年に中国の蘇州で亡くなられた事は、日本語オペラの将来に極めて大きな損失でした。恐らく50年位は遅れるでしょう。それ程、団伊玖磨先生には期待申し上げていました。
Q: それは大変な事でしたね。それでは日本語オペラにはもう将来は無いのですか?
A: いえ、そうは言っていませんよ。山田耕作と団伊玖磨の師弟が築いた、日本語オペラの実験作品は、フィレンツェでオペラが誕生してから350年も遅れて、日本で初めて生まれた日本語オペラなのです。21世紀に生き残っている私達が、非力を顧みず、山田ー団路線を継承して発展させねばならないのです。
Q: 21世紀の日本語オペラの展望は開けますか?
A: それは極めて困難な条件がまだ幾つもあります。日本語によるオペラ作曲法が未だ完成していないのです。現代は、団伊玖磨先生が到達された「夕鶴」のレベルで止まったままなのです。その水準を超えて、世界中の人々に愛唱して貰える様な歌と音楽を作るのは、並大抵のことではありません。
Q: 現代の日本人作曲家で、「夕鶴」を越える日本語オペラを作曲出来る人はいますか?
A: それは安易にはお答えできません。私達の知らない方で、日本語オペラを前進させる天才作曲家が居ないとはいえませんからね。
Q: 先生はどうして、村山誠先生の作品に台本を書く程に、あんなに注目されたのですか?
A: それは、インターネットが無かったら遭遇できない幸運なのです。私自身が1960年代から新しい日本語オペラを求め続けて来たのです。学生時代から住んでいた京都でその夢を育んでいました。村山誠先生の音楽を初めて聴いたとき、私が求めて来た音楽がそこにあったのです。
Q: 村山誠先生の音楽のどの様な点に注目されたのですか?
A: 村山先生の音楽の原点はバッハであると感じました。モーツァルトの場合もバッハがいなければモーツァルトの音楽も生まれなかったのです。バッハに源流を求めるところに村山作品の正統性があり、また発展性もあると直感出来たからです。
Q: それで、お二人でオペラの共同制作を始められたのですね?
A: まだ、始めたばかりで道程は遥かに遠いのです。京都からアテネまで歩いて行くつもりでゆっくり急いでいますよ!
Q: それでは、道中の安全と成功をお祈りしています。
A: 有難うございます。亀さんの様に止まらずに、兎さんを追っかけて行きますから!(笑い)

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23 Mar 2003

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Q: フォーラム担当記者 A: 大宮律人

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