「古都憂色」

Ky-046

Litto Ohmiya : "My Old Capital in Saddness" Op 01 (1985)

北山の空に時雨れる
この道はこぞの秋
君と歩みし道なれば

紅葉なる葉を踏みしめて
歩む小道ぞ
懐かしき

うす暗き道より空を
仰ぎ見れば
紅もゆるパラソルか

遠く近くに聞く声は
小鳥のさえずりか
君の声か

わが心に鮮やかに
甦る君の笑顔よ
今何処

紅葉の色は輝きて
何処まで続くや
暗き小道の道しるべ

わが心の憂いを慰めて
足音だけが
供をする

紅葉なる葉を踏みしめて
歩む小道ぞ
懐かしき

北山の空に時雨れる
この道はこぞの秋
君と歩みし道なれば

嵯峨野なる池を廻りし
この道はこぞの春
君と歩みし道なれば

桜花散る回廊の
池に写るは
麗しき

赤き陽の西に入る時
輝ける極楽浄土の
趣あり

浮かべる船の舞台にて
舞う白拍子
艶やかに

明日をも知らぬ命にて
今を盛りと
舞い踊る

君の笑顔と重なりて
池面に写るは
幻か

春たけなわの桜花
わが心の憂いを
いや増せり

桜花散る回廊の
池に写るは
麗しき

嵯峨野なる池を廻りし
この道はこぞの春
君と歩みし道なれば

(25 Feb 2001)

Verses by Litto Ohmiya 2001
 「こぞ」は去年 「池」 嵯峨・大覚寺の大沢の池  「紅もゆる」 三高寮歌の冒頭の歌詞

村山先生、2000年の12月から聴き始めた私の即興曲「古都憂色」と「天鳥水舞」が今月の末でやっと300回に到達しました。「自作を聴く方法」のところで申し上げた様に、300回を超えられたら21世紀に残したいと考えました。このことで自作・自演に対する主観が取り除かれて、幾らかは客観的に聴けるようになったと思います。昨年約一年をかけて村山作品の前期のほぼ全作品を晴れて300回拝聴させて頂いた暁に、「Opera Lyrica Horistic」の台本を完成させた時の様に、自作品に対しても何らかの詩を付けたいと念願していました。この三ヶ月間毎日三回以上聴いて来ましたが、如何しても詩心が湧いて来なかったのです。三百回を超えたところで欲求不満の悶々たる日々を過ごしていました。今日は体調も悪く、毎晩遅くまでオペラの研究をしていて寝不足で感性も良くない筈なのに、筆を取ると意外とすらすらと詩心がついて来ました。約三時間で念願の二つの詩を編むことが出来ました。初めて気がついたのですが、「体調の良くない時の方が詩心が湧きやすい」ことを発見しました。体調の崩れによりアンバランスを生じて、その結果は「感性を研ぎ澄ます」ことになるのでしょうか。モーツァルトも晩年は体調を崩していながら、あの素晴らしい傑作を書き続けました。健康優良児で何の苦労も無かった人に、ひとの心を打つ様な詩や音楽が果たして書けるでしょうか。人の感性というものは、捉えどころの無い様な、また天の邪鬼の様な求めれば逃げるし、諦めていると向こうからやって来たりしますね。そうかと言って、病気になれば必ず書けるとは限りません。感性を研ぎ澄まして詩心の高まりを待つには、只ただミューズの女神に祈るしかありません。
さて、1985年というと村山さんが何度も「
幻想交響曲」を手直ししておられた年です。私は京都と今治を毎週往復しながら、今回の二曲の作曲・演奏を約一年を掛けて構想を練りかつピアノの練習も重ねていました。その時私は42歳になっていました。曲の構想が出来て、基本形式と展開のパターンが決まったところで即興演奏の練習を重ねて、最後に只一回だけの演奏をして録音しました。それから、15年が過ぎた一昨年に再び編集してCDに収録出来ました。ですから、村山さんにとっても私にとっても奇しくも1985年は極めて重要な年に当たりますね。インターネットがなければ、今もお互いにその存在に気づかずにいたことでしょう。
古都憂色」はニ楽章からなり、第一楽章はやや短調的な黒鍵五音音階、第二楽章はすこし明るさを表現した黒鍵五音音階(B5と略します)で作曲しました。初めから京都の北山を意識して作曲していましたので、第一楽章は北山の詩になりますね。作曲で苦心した点は、紅葉の葉陰の木漏れ日の光をどのように表現するか、その紅葉道を歩むひとの心は如何に表現するか、それは作詞よりも音楽で表現する方が難しいに違いありません。気の遠くなるような長い時間をかけて試行錯誤を繰り返し、黒鍵の一つおきに重ねた和声に澄んだ良いハーモニーがあり、黒鍵第二音(Re#)の上に重ねた和声(陰性和声B2H)によるか、または分散和音により主旋律を構成することにしました。これに対して、黒鍵第一音(Do#)の上に重ねた和声はやや明るい(陽性和声B1H)ことを発見しました。それで、第一楽章を黒鍵第二音を基音とする陰性和声B2Hをベースにして構成し、第二楽章を黒鍵第一音を基音とする陽性和声B1Hをベースとして構成することにしました。私の記憶の中には遥か昔の学生時代に何百回と聴いたベートーベンのヴァイオリン・コンチェルトの構成が意識下にありましたし、第二楽章では転調するのが基本原則になっていたからです。ABA形式による展開は基本的にはその通りにして更に無秩序な変化を着けました。テンポは全編を通じてTempo Rubatoとして自由自在に変化させることにしました。時間はベートーベンのヴァイオリン・コンチェルトの第一楽章が23分30秒なので、第一楽章をより短く15分としましたので、第二楽章もほぼ同じ14分になりました。こうして作曲も最終段階に入り、何度も何度も試行錯誤を繰り返してこの記録に残っている展開形式に到達できました。後はある日の夕方、何も考えずに懸命に弾いたことだけを覚えています。音楽の正規の教育を受けられた方々から見れば、素人のお遊びの様な作曲方法ですが、丸々一年間を費やして到達した私にとっては記念碑的な処女作となりました。お耳障りとは存じますが、お時間の十分にある時に、今回の詩と共にもう一度だけ聴いて頂けたら光栄に存じます。
(25 Feb 2001)

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