「天上水舞」

Ky-047

Litto Ohmiya : "Water Birds in Heaven Lake" Op 02 (1985)

天上の湖に夜が明ける
鳥達は今目覚めたばかり
朝もやの中そろそろと泳ぎ始める

湖面に朝日が輝いて
鳥の航跡が
あちこちで波紋を画く

岸辺には葦の群生ありて
鳥達のねぐらなり
ゆらりゆらりと揺籃の如し

日が高くなると
何処からか色々な鳥達が
やって来る

何時しか湖面は
にぎやかになり
鳥達がつくる小波立つ

波紋が湖面に
まぶしく輝いて
光る曼荼羅のよう

鳥達の一団は
上空旋回を始めた
湖の上を覆い尽くすか

その編隊飛行は
高く低く
湖上の航空ショウなり

大小の編隊が
繰り返し舞い上がり
その美を競う

こちらの水面では潜る鳥あり
深くもぐって
頭だけ遠くに出す

ダイビングは
その素早く速きこと
眼にも止まらぬ

瞬く間に
小魚をくわえて
浮上して来る

あちらの水面には
滑走して飛び立つ
鳥あり

また大空より
見事に
着水する

まるで
水上飛行機のように
自由自在なり

ユリカモメの集団に
一羽のサギが接近
戦いが始まった

ユリカモメの編隊が
サギを襲うと
サギは防戦すれど

数には勝てず
敗れて向こうへ
逃げ延びる

湖面にまた
平和がもどり
真昼の太陽が眩しい

鳥達も
浮かんだまま
大集合

暖かい冬の日差しに
鳥達の
合唱が聞こえる

この世の
平和を称えるのか
それとも祈るのか

天上には
争いはないのか
平和共存して

湖なる小宇宙は
生きとし生ける
命の賛歌に満つ

やがて
陽の西に傾く頃
湖面は静かに

上空を
鳥の大集団が
旋回して

更に高く舞い上がりて
西の空へと
飛んでいく

湖面には
小さき鳥達が残って
まだ泳いでいる

今日一日
何事も無かったかの様に
元の静かさに返る

明日また鳥達が
帰って来るのを
待とう

日の暮れる時
一羽の水鳥が
また潜った

(25 Feb 2001)

Verses by Litto Ohmiya 2001
 湖は「みずうみ」  群生は「むれ」  陽は「ひ」

村山先生、この「天鳥水舞」も「古都憂色」と同時に1985年に作曲されたものです。作曲方法は「古都憂色」と全く同じですが、「天鳥水舞」はより難しい表現方法が必要でした。それは以下の幾つかの点に要約出来ます。鳥達が湖面を泳ぐときは如何に表現するか。水面を滑走して飛び立つ時はどう表現するか。鳥の羽ばたきはどう表現するか。上空を覆うように飛び廻るのをどう表現するか。水鳥が潜るときはどうするか。鳥の集団が戦うときはどう表現したら良いのか。鳥達が泳ぐ水面の波紋により、朝日に煌く曼荼羅のような湖面の輝きはどう表現するのか。湖面を埋め尽くす鳥達の圧倒的な存在をどう表現するか。朝から夕方までを画くとして、夕日が西に傾いているのはどう表現したら良いか。湖のの揺れる様はどのように表現したらよいのか。全編を通じて水鳥達の湖面での一日を表現することによって、天上の湖の感覚をどの様に表現したらよいのか、等などと自分に出来もしない高い水準の音楽に憧れて挑戦して来たのです。何のヒントも手掛かりもありませんでしたが、「古都憂色」で得た作曲方法を更に進めて行くことによって、何らかの鍵を見出せるかも知れないと思いつつ試行錯誤の実験を進めていました。この時幾らかでも私の意識下にあったのは、やはり学生時代に京都で直接聴いたパリ管が演奏したドビッシーの「La Mer」でした。でもこの交響詩は主に弦楽器で表現した「海」でしたが、波の様子が心地よく表現されていたことを思い出します。1965年頃に京都の姉妹都市であるパリからの親善訪問による演奏会でしたが、指揮はアンドレ・クリュイタンスでした。
鳥の
羽ばたきは鳥の運動の基本動作ですから、まず鳥の羽ばたきの研究を始めました。弦楽器ではなく打弦楽器のピアノで表現するわけですから、「どんな情景でもピアノで表現出来る」と豪語した天才リストに凡人が及ぶ筈がありませんが、そこで研究の結果、鳥の羽ばたきの動作を右手で同じ様にピアノの黒鍵の上で羽ばたき運動をして速く移動するという演奏方法に辿り着きました。白鍵ではなく黒鍵としたのは、黒鍵の方が小さく速い動きに着いて来やすいことが分かったからです。また、水面を鳥達が滑走する光景は、両手で黒鍵の上を速く叩いて移動することを繰り返すことによって何とかその状況を表現することに一歩近づきました。水面を滑走する時は中音域を、上空を滑空している時は高音域を使うことにしました。鳥達が上空から湖面にダイビングする時は、右手または左手で主として黒鍵の上のある範囲で、やはりダイビングする様に強く一回叩き降ろすことでその表現に近づきました。この時は禁則的な演奏方法ですが、指だけでなく掌も軽く白鍵に当たる様にしていました。この一連の実験で得たことは、ピアノの演奏に琴や琵琶の奏法を取り入れる結果となりました。
さて、最大の問題である
波の表現ですが、これも禁則的奏法ですが、左の上腕全体を鍵盤の上において恰も櫓を漕ぐように波状運動をすることによって大波の効果の表現に近づくことが出来ました。三十歳代の前半に京都の鴨川で一日中バードウォッチングに凝っていて三年間毎日昼休みから夕方近くまで双眼鏡で鳥を観察していたことがあります。その時の観察から水鳥の休むことのない妙なる細やかな動きのリズムを思い出しました。左右どちらの指も鳥の実際の動きに近い速いスピードで鍵盤の上を走れる様に練習を重ねました。湖面の漣も細やかに変化するので、鳥の動きに負けない速い速度で鍵盤の上を移動する必要がありました。鳥の動きのリズムは、一定の速度で規則正しく運動するのではなく、まっすぐに歩かずに左右に揺れたり、将にTempo Rubatoで休み無く動き回りますので、この曲全体もこのTempo Rubatoを基本とすることにしました。こうして約一年間、試行錯誤の実験を繰り返して、基本形式とその展開方法を一定の水準まで高めることが出来ましたので、何ヶ月かの猛練習の後に「古都憂色」と同じ日に只一度の即興演奏に望むことが出来たのです。二度と同じ制作過程を再現出来ませんが奇跡的に一回の演奏で録音に成功しました。その後には長い期間に渡って虚脱状態に陥ったことを思い出します。今まで誰にも公表しませんでしたが、村山先生にだけご報告申し上げて、今回の私の21世紀で二作目の詩作に到る過程とその結果をお知らせする喜びを分かち合って頂ければ大変嬉しく存じます。
(25 Feb 2001)

English

 

Next

index100

Back