タイトル | : Re^5: 食事、教会費、動物植物の死について |
投稿日 | : 2008/01/22(Tue) 17:38 |
投稿者 | : 自称宗教研究者 |
ほかの宗教もイスラムも同様な面がある、と書くと怒る方がいらっしゃるかもしれませんが、
信徒の中には厳格に守っている人もいれば、
守ろうとしているがどうしても仕方がない部分は分かっていてもそうしてしまっている人もいるでしょうし、
そしてもっと気楽になってしまっているような人もいるのでしょう。
そして、守ろうとしていない人や
守っていないことの理由をさまざまな状況でそれなりの言葉で表すのでしょうけれども、
そういう人たちの存在を聞いた人で厳格に忠実であろうとしている人はやはり「忠実であろう」と憤慨することでしょう。
でも、これが、イスラムに限らず
キリスト教もユダヤ教も現状なのだと思いますが
みな、それぞれの環境でそれぞれがそれぞれなりに努力しているのでしょうね。
その度合いやスピードなどは、人の能力が違うのでしょう。
イスラムについてもそうなんですよね。
金もちもいればそうではない人もいるわけで。
それぞれの役目がある、と。
また、なにかに特化した才能も人によってはある、と。
と同じように、教えに対してどのように努めて天国に行けるかも人それぞれなのかもしれません。
とわかったようなことを言ってしまいましたが
だからこそ、なに教であれ、やっぱり、みんな、同じ人間なんだ、とほっとしたような気分にもなっていますが。
顰蹙をかうような言葉であったとしたらごめんなさい。