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正法寺


   応神天皇の御代、秦の始皇帝三世、孝武王の裔、融通王が秦の遺民127県の民を率いて百済を経て、我が国に帰化したが、天皇は之を大和朝津間腋上の地に置き、後更に山城の太秦の地に置いたが、仁徳天皇の御代これを諸国に分置して、蚕を養い、絹布を織らしめた。その時、大生院の地に、多くの秦氏が来住し、この地の豪族となって発展した。この地で飛躍的発展をとげた秦氏は、奈良朝末期から平安初期にかけて大生院の地に巨刹正法寺を創建して、宗教的面にも大いに活躍した。
 正法寺は当時七堂伽藍を有する大寺院で、県内屈指の巨刹であった。昭和5年(1930年)7月、附近の田圃の畔から蓮華紋巴瓦唐草瓦及び泥塔30数個を発見したが、泥塔は我が伊予において初めての発見である。ここから発見された瓦の種類には、単弁式蓮華紋巴瓦二種、宝相花紋巴瓦一種、忍冬唐草紋唐草瓦一種、宝相花紋唐草瓦一種等があって、当時の有様を物語っている。
 またこの寺は、一宮神社に生まれた上仙が開基したものとも伝えられている。
 
 
   正法寺は、山号:石鉄山、院号:往生院、寺号:正法寺であるが、この地域は「大生院」という地名であるが、正法寺の院号の往生院から大生院と言われるようになったようだ。   
 
 正法寺は笹ヶ峯を行場とする修験の寺であり、毎年7月末「笹ヶ峯お山開き」として柴灯大護摩供養をとり行っている。
 新居浜の黒島の明正寺でも、1997年11月22日に薬師堂の落慶記念として柴灯大護摩供養がとりおこなわれたが、正法寺は毎年柴灯大護摩供養が見られる新居浜で唯一のお寺である。

2001年の柴灯大護摩供養は、7月20日の夕方に行われました。

山伏問答

四方に矢を射り浄める

松明に火がつけられる

燻りだす大護摩

炎を上げて燃え出す大護摩

燃えさかる大護摩

天狗の面をつけての山伏太鼓

 

山伏の火渡り

 


1998年の柴灯大護摩供養
2000年の柴灯大護摩供養

【関連URL】
       正法寺のホームページ


   

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