東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内/森と街並みの景

森と街並みの景(市役所付近)

 
 新居浜のアメニティ八景では、一宮神社を中心としたこの一帯を「森と街並みの景」と呼んでいる。

 付近には、新居浜市役所、NTT、裁判所、中央郵便局、消防署、市民センターなどが集中している。
 この辺りが、新居浜の「丸の内」ということになる。


 

中央公園


 

武徳殿


 徳常町にある新居浜の武道場である武徳殿は、昭和13年に建築された。
 鷲尾勘解冶の「新居浜後栄策」を引き継いだ新居浜市長 白井誉二郎と住友家の寄付により作られたものである。
 切妻造の母屋根の周囲に下屋を廻し、正面中央には千鳥破風と入母屋造の車寄せを設けた外観が特徴となっている。
 この武徳殿が國の有形文化財として登録されることになった。
 

 新居浜中央公園近くのポケットパーク(モニュメント) 「夢はるか」
 
  「夢」というものはすぐやってくるものではなさそうです。
 でも、はるかな「夢」を追い求めて生きることのすばらしさ、美しいこの街で皆様と共に、多くの「夢」をふくらませて語り合えることを心より願っております。

作者 谷口淳一  

近郊の観光地/市内




郷土美術館

 
 新居浜市役所の裏側、消防署との間に郷土美術館がある。
 行ったときは常設展示のみであった。 市内から出土した土器などが展示されていた。

 また、中央には太鼓台が置かれていた。
 
 ここに展示されている物のどこが美術品なのかわからない。美術館というより博物館といった方が良さそうな美術館であった。
 
 郷土美術館では、常設展示以外に、期間限定で色々な作品展が開催される。そのための会場と考えた方が良さそうだ。

 
 ここに常設している太鼓台は、
 大正14年、香川県観音寺市の高木安太郎氏が制作した旧中筋太鼓台です。当時の金額で、1.560円でした。
 「ふとんじめ」は昭和8年に至って、川之江市の山下八郎氏に依頼し翌年新調されましたが、大きすぎたため、その後の修理で現在の9段の「重」に納まるように縫い直され使用されていたものです。
 昭和59年、太鼓台の新調を機会に、地域のすぐれた文化財のひとつとして、かき棒を少し短くし、郷土美術館に常設展示しています。

  新居浜の太鼓台の歴史
正徳元年(1711年) 金子村、新居浜浦の庄屋らが祭礼御幸の行列の次第を決めた一宮神社祭礼行列の定め」の中に台車が登場する。
正徳3年(1713年) 西条藩にだんじり初見。
寛延3年(1750年) 西条藩が質素倹約のお触れを出す。
寛延4年(1751年) 大島浦祭礼に式服の着用が許可される。
天明5年(1785年) 垣生村で芸だんじりを出す。
寛政11年(1799年) 幕府が祭礼の芝居・見せ物等の禁止令を出す。
垣生村がだんじりを1貫350匁で新調する。
文化元年(1804年) 西条藩が祭礼の質素化のお達しを出す。
文化3年(1806年) 新居浜に御船(お船だんじり)が新造される。
文化8年(1811年) 西の土居にだんじりができ、久保田がだんじりを再興する。
文政9年(1826年) 御輿太鼓初見。
天保4年(1833年) 大島浦、中の町が太鼓台を新調する。
天保13年(1842年) 「西条誌」に祭礼に関する記事。
上泉川村・・・・・台尻(だんじり)少々。
大島村・・・・・・台尻、御輿太鼓等合わせて6。
新居浜浦の船御幸・・・台尻、御輿太鼓、金子村と合わせて17あり。
嘉永2年(1849年) 新居浜浦5部落中、3部落がだんじりと御輿太鼓を所有(福田家文書)。
明治7年(1874年) 神社祭典につき、県より御輿の平和運行義務つけの布達が出る。
明治42年(1909年) 新居浜町、金子村に太鼓台が8台。

 
(参考文献「新居浜の太鼓台」〜新居浜市立図書館刊行〜より)
 2002年9月29日〜10月19日、郷土美術館にて「新居浜太鼓祭り展 」が開催され、新居浜の太鼓台に関する資料が展示された。


 写真は、2002年5月30日、ワールドカップ前夜祭で、ソウル市漢江蚕室(ハンガンチャムシル)市民公園 にて、かき上げを披露した宇高太鼓台の資料。

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