端出場のマイントピア別子の駐車場側、貯鉱庫の脇から続く山道を上っていくと鹿森社宅跡に行ける。 今は石垣のみが林の中に残っているが、最近、記念碑が建てられた。 鹿森社宅も別子銅山の従業員社宅の一つで、大正5年(1916年)に建設、全盛期には約300戸に1300人が生活し、小学校や保育園、浴場などもあったそうだが、別子銅山閉山3年前の昭和45年(1970年)に閉鎖された。 |
記録によると、大永山中屋敷に滝本家があり、この地方を宰領していた。滝本家の当主甚右エ門が寛政12年(1800)の十一月ごろ、山や畑の巡視中、突然木の間に異様な物を発見した。よく見るといのししの形をした岩であった。 これよりこの付近を「ししもり」、「しし岩」といい、大正7年(1918)『鉱山ハーモニカ長屋276戸完成』、昭和45年(1970)社宅撤収まで栄えた。 |