東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内鹿森社宅跡

鹿森社宅跡

 
 端出場のマイントピア別子の駐車場側、貯鉱庫の脇から続く山道を上っていくと鹿森社宅跡に行ける。
 今は石垣のみが林の中に残っているが、最近、記念碑が建てられた。
 
 
 鹿森社宅も別子銅山の従業員社宅の一つで、大正5年(1916年)に建設、全盛期には約300戸に1300人が生活し、小学校や保育園、浴場などもあったそうだが、別子銅山閉山3年前の昭和45年(1970年)に閉鎖された。
鹿森社宅の元住人らが、カンパを集め、ボランティアで工事を行い、青石の記念碑と銅板製の社宅全図を建立した。 2000年 9月10日、この記念碑の除幕式が行われた。
新居浜のむかしばなし(平成元年2月「新居浜のむかしばなし」編集委員会編 新居浜市教育委員会 発行)より
鹿森


 記録によると、大永山中屋敷に滝本家があり、この地方を宰領していた。滝本家の当主甚右エ門が寛政12年(1800)の十一月ごろ、山や畑の巡視中、突然木の間に異様な物を発見した。よく見るといのししの形をした岩であった。
 これよりこの付近を「ししもり」、「しし岩」といい、大正7年(1918)『鉱山ハーモニカ長屋276戸完成』、昭和45年(1970)社宅撤収まで栄えた。

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