東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内遠登志渓谷

遠登志渓谷

 鹿森ダムの近く、小女郎川の谷間の入口に「遠登志渓谷」の標識がある。
 遠登志から東平への登山道は、かつては東平と端出場を結ぶ生活道であったという。
  
 遠登志渓谷の入口には、仲持像や句碑、案内板が設置されている。

句碑
 
 土佐越えの 遠登志の橋や 山桜


 
 「仲持ち」とは、別子銅山の山中で製錬された「あらどう」を運び出し、また、帰りには山中での生活に欠かすことができない「日用品」や「食料」などを、男子でおよそ45キロ、女子でおよそ30キロを背に一歩一歩山道を踏みしめ運搬していた人たちです。

       作者 阿部誠一
 
施設ガイド
 
「遠登志」の由来 ・・・ 「遠登志」はもともと「落とし」と言われ、川の水が瀧となって落ち込みのを地名にしたもので、後世になって遠登志の字が当てられたと言われている。
 
鹿森ダム(別子の湖) ・・・ 工都新居浜の工業用水、灌漑用水などを供給する目的で昭和37年4月に完成した高さ58m、長さ108m、総貯水量約160万トンの県営ダムである。
 鹿森ダムよりできた人造湖の愛称は新居浜市が「森と湖に親しむ旬間」にあわせて一般公募し、昭和62年8月別子銅山にちなんで「別子の湖」と名付けられた。
 
遠登志展望台 ・・・ 昭和39年5月に完成し、昭和61年から毎年5月初旬湖上にこいのぼりがつらなって風になびく景色は名物となっている。
 
遠登志橋 ・・・ もともとは坑水を流すための水路を設けると同時に人の往来や物資を運搬するために架設された。
 現在の橋はドイツ人技師の設計によるものと言われており、明治36年頃に完成した長さ48.25m、幅2.40m、高さ23.20mの朱塗りのアーチ型の橋である。
 
句碑 ・・・ 俳人で、松山赤十字病院の院長でもあった酒井黙禅(故人)が詠んだ句。
 「土佐越えの 遠登志の橋や 山桜」
 
新居浜市

遠登志橋

   訪れた時には、遠登志渓谷の入口からの道にはロープが張られ、通行止めになっていた。
 
 県道を少し登ったところにある「銅山峰登山口」から登って、山道を下ると遠登志橋に着く。
 
 遠登志渓谷の入口から近いところにある橋であるが、やや遠回りとなった。
 
 今の遠登志橋は吊り橋のようにも見えるが、吊り橋の部分は平成5年(1993)に造られた人道で、その下のアーチ橋が本来の遠登志橋となる。
 
 この遠登志橋は、2005年に登録有形文化財に指定された。 


旧遠登志橋について
●建 設 年 明治38年(1905)
●建設業者 別子鉱業所(現・住友金属鉱山) 土木課
●建 設 費 4,198円20銭(当時)
●規  模 長さ18.25m 高さ 約23m

 旧遠登志橋は、かつて別子銅山の採鉱本部があり集落が形成さえていた東平地区へ、更に峰を越えて別子山村へ行く生活道のものとして建設されました。また、硫化銅などの重金属を含む坑内排水が小女郎川に混入することを防ぐため、坑水路も併設されていました。
 現在では、橋脚のアーチ部分のみが当時の姿をとどめています。
 
 

 吊り橋の部分には、こんな銘板が表示されていた。
 
 

遠 登 志 橋
 平 成 5 年 3 月
 新  居  浜  市
 小規模吊橋指針(昭和59年)

 製作   住友建設株式会社
 総鋼量   24.8t
 材質    SS400
 現場塗装面積 (337)m2

 

 
塗装年月 
5年 2月 
 塗 
 料 
 名 
 下塗 
 中塗 
 上塗 
ジンカー#735 JisK5627A
タイコーマリン中塗 JisK5516 2種
タイコーマリン上塗 JisK5516 2種
塗料会社名 
大 日 本 塗 料 株 式 会 社 
施 工 者 
住 友 建 設 株 式 会 社 
塗 装 面 積 
337m2 

      

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