東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内河内寺


河内寺


 
 フジ結婚式場の裏に河内寺がある。
 今は小さなお寺であるが、歴史のある寺院である。
 
 
 高木町鎮座の白頭山河内寺は、市内大生院の正法寺とともに、県内屈指の古殺であり、仏教文化の華かな飛鳥時代から平安時代にかげて繁栄を遂げた寺院であった。
 境内には七堂伽藍を具備し、堂々たる五重の塔は天空にそそり連ち、その偉容を誇ったもので、今尚境内には、その礎石13個が歴然として遣されている。
 奈良時代、新居浜地方は奈良東大寺の領地となり、又大和法隆寺の領地となっていたため、庄園所領者としてのこれら有力寺院の出先きの寺院として勢力を得て大いに栄えていたことが推察される。


   
河内寺

 
 (一)薬師如来座像 昭和54年9月14日 県指定
 (二)一二神将像 昭和52年4月7日 市指定
 (三)五重の塔礎石 昭和52年4月7日 市指定
 東予地区屈指の古刹で、飛鳥時代の創建と伝えられ、百済式布目瓦や法隆寺式布目瓦が多数発掘されている。
 本尊の薬師如来座像は、平安時代初期 一二神将像は、鎌倉時代の作といわれ実に立派なものである。また当寺の五重の塔礎石が残り往時を物語っている。
新居浜市教育委員会
 

薬師如来座像

 像高   91.5cm
 臂張り  70.3cm
 一木造
 彫眼
 切付螺髪
 製作:平安時代初期
史跡
   
河内寺の塔礎石
昭和52年(1977)4月7日 市指定

 
 この河内寺には、塔礎石といわれる13個の礎石が残存しています。この礎石は後年に移転配置されたものですが、中央に置いてある礎石の納穴(径61cm柱穴の深さ7cm)によって往時の建築物の柱(塔の心柱)の大きさが偲ばれます。
 境内からは7世紀末頃の布目瓦、軒丸瓦、軒平瓦などの古瓦が出土しており、東方の金子山古墳の北方の下分組遺跡、西方の金子山古墳などの存在からも、河内寺あたりは、古代文化の中心地として栄えたことが推定されます。
新居浜市教育委員会

 
 

       
   

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