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旧別子案内 No 9
東延
この谷の上部石垣の上に東延斜坑があり、この辺りには、選鉱場があった。
東延斜坑は明治7年(1894)住友家の招いたフランスの鉱山技師ルイ・ラロックの計画に基づき、明治9年に着工 同28年(1895)に完成を見たもので北東から南西に49度の傾斜で526m掘り下げられ八番坑道迄達している。
この斜坑は、各坑道間の連絡や鉱石の運搬及び排水路と兼ね、上部坑の開発に果たした功績は大きく、完成後、採鉱量は飛躍的に増大した。斜坑には蒸気機関駆動の巻揚機やボイラーがあり、巻揚機は昭和5年(1930)まで使用されていた。
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旧別子案内 No 10
東延斜坑跡
仏人、鉱山技師ルイ・ラロックの進言により、各水平坑道を縦に結ぶ運搬坑道として明治9年(1876)7月に着工、同28年(1895)1月に完成した。
49度の傾斜で北より東35度30分の方向に526M掘り下げて八番坑道(第3通洞)に達している。
この斜坑の完成により坑底の坑水は小足谷に排出され、各坑道からの鉱石は蒸気駆動の巻揚機で斜坑から搬出されて、別子の採鉱量は飛躍的に増大し、東延は銅山の中心地帯となり、第一通洞南口から下の高橋にかけて選鉱場や多くの焼鉱炉が並んでいた。
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