東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内旧別子第一通洞南口

第一通洞南口

 パイプ橋を渡って山道を登ると、さらに道が二手に分かれる。
 
 左に進むと歓喜坑を通って銅山峰に続く。
 ここで、右に進むと、第一通洞の南口に出る。



旧別子案内 No 8
 
第一通洞南口(代々坑)

 
 ここより400m下の高橋の精錬所で得られた粗銅は、ここからトンネルを抜けて北口の角石原に運ばれた。
 この南口の前には勘場(会計)や採鉱課運輸分課の事務所が並び、また住友銀行の出張所もおかれていた。
 南口の前から東延の入口までの谷は、暗渠となっており、明治中期の嶺南側における輸送の中心地として栄えていた。
 眼の前の沢を東延谷とよび上流200mの地点、石垣の上に東延斜坑の跡が残っている。
  尚、この代々坑は享保3年(1718)より着工した水抜きとして最初の大規模な坑である。
 
 

第一通洞南口(標高1,110m)

 
 この附近一帯は通称ミナミグチと言う。別子銅山の近代化はこの附近から始まった。
 明治9年には嶺北角石原からの通洞が代々坑に貫通し、ここに銅山峰の北と南を結ぶ1.020mにおよぶ水平坑道が初めて出現した。以後、大正5年(1916)に銅山の本部が東平へ移るまでの30年間、第一通洞南口が銅山の心臓部としての役割を果たした。
 また、明治26年には第一通洞北口まで鉄道が敷かれたので、運輸面の要ともなり、はじめて運輸課の誕生をみた。
 以来次々と採鉱課、会計課、調度課が軒を連ねるようになり、近代化の拠点東延時代の一翼を担っていた。
 往時はこの谷にトラス橋が架かり高橋精錬所まで水平軌道が延び、鉱石と製錬された粗銅を運んでいた。
 
 

【No 9, 10】 東延

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