第一通洞南口(標高1,110m)
この附近一帯は通称ミナミグチと言う。別子銅山の近代化はこの附近から始まった。
明治9年には嶺北角石原からの通洞が代々坑に貫通し、ここに銅山峰の北と南を結ぶ1.020mにおよぶ水平坑道が初めて出現した。以後、大正5年(1916)に銅山の本部が東平へ移るまでの30年間、第一通洞南口が銅山の心臓部としての役割を果たした。
また、明治26年には第一通洞北口まで鉄道が敷かれたので、運輸面の要ともなり、はじめて運輸課の誕生をみた。
以来次々と採鉱課、会計課、調度課が軒を連ねるようになり、近代化の拠点東延時代の一翼を担っていた。
往時はこの谷にトラス橋が架かり高橋精錬所まで水平軌道が延び、鉱石と製錬された粗銅を運んでいた。
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