銅山嶺ヒュッテから少し下りた所で、道が二手に分かれる。
左に行くと、東平。
右の道には「上部鉄道跡」と表示されている。
この先までは行ったことが無いが、千人塚があるという。
旧別子案内 No 25
千人塚
附近一帯に、小さい目印のような石や無名の墓石が不規則に並べられてた塚がある。ここは、かつて山中で行き倒れた無縁の旅人等を埋葬したものといわれ、この辺を古くから千人塚と呼んでいる。
この塚より約20km離れた所に一基の石碑がある。これは、明治20年4月建立と刻まれていて、明治時代中期、別子銅山で坑外の運搬作業に就役中、山中に歿した松山監獄(刑務所)囚人の招魂碑である。
なお、この千人塚では毎年かかさず盆の供養がつづけられている。上部鉄道と並行して、その上側に見える石垣は、明治9年(1876)に着工し、明治13年(1880)に完成した牛車道の跡である。
新居浜口屋から登り道・端出場・石ヶ山丈を通り別子本鋪まで、28kmの道を片道2日を要して牛車が通っていた。
|
|
|