東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内旧別子歓喜坑

歓喜坑

  山道をさらに登ると、別子銅山の最初の坑口である歓喜坑に到達する。
 
 坑口は塞がれているが、歓喜坑と歓東坑が保存されている。



旧別子案内 No 19
歓喜坑と歓東坑

 
 ここは、別子銅山発祥の記念すべき最初の坑道で、工都新居浜発展の基となったところで市民の心に銘記さるべき地である。
 元禄3年(1690)坑夫長兵衛により嶺南に有望な露頭のあることを知らされた備中国(岡山県)の住友家経営吉岡銅山の支配人田向重右衛門らは、苦心して山中を調査し、この付近で見事な鉱脈を探し当て翌元禄4年幕府の許可を得て9月22日に採鉱を開始した。
 
 人びとはこの人跡稀な山中において、抱き合って歓喜し開鉱を祝ったところからこの名がある。
 右は歓東坑で、上部一帯には山方という鉱夫の集落があった。
 
 

歓喜坑
 左側の木柵の中は水の貯槽
歓東坑

2002/11/02 撮影

以前の歓喜坑と歓東坑はこのような姿であった。
歓喜坑 歓東坑

2000/04/29 撮影
 2001年8月24日、歓喜坑や歓東坑の所有者である住友金属鉱山が、歓喜坑と歓東坑の補修工事を行い、開坑当時の状態に復元することを決定し、復元工事は2001年10月31日に完成し、完成式典が行われた。

 今までの歓喜坑と歓東坑は老朽化による度重なる改修で当時の原形をとどめていなかったという。
 
 今回の復元工事により、坑道の入口は高さ及び幅が1.8mとなり、奥行きは5.4mまで広げられ、雨宿りが可能になった。
 
牛車道

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