旧別子案内 No 19 ここは、別子銅山発祥の記念すべき最初の坑道で、工都新居浜発展の基となったところで市民の心に銘記さるべき地である。 元禄3年(1690)坑夫長兵衛により嶺南に有望な露頭のあることを知らされた備中国(岡山県)の住友家経営吉岡銅山の支配人田向重右衛門らは、苦心して山中を調査し、この付近で見事な鉱脈を探し当て翌元禄4年幕府の許可を得て9月22日に採鉱を開始した。 人びとはこの人跡稀な山中において、抱き合って歓喜し開鉱を祝ったところからこの名がある。 右は歓東坑で、上部一帯には山方という鉱夫の集落があった。 |
歓喜坑
左側の木柵の中は水の貯槽 |
歓東坑 |
歓喜坑 | 歓東坑 |