高橋精錬所を過ぎた山道にも、所々に説明の立て札が立っているが、回りを見渡しても普通の山林で、それらしい形跡が認められないことが多い。
山道から、かつては見えていた対岸の遺構の説明もあるようだが、今は樹木が生い茂り何も見えない。 この辺りでは、焼鉱窯が並んでいたらしく、石積の一部が確認できた。 |
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別子銅山図巻 第六図 焼かまどの図 鉱石を焼き、銅を硫黄分と分離させる装置である。かまどの底に薪をしき、その上に鉱石を並べ、さらに薪と鉱石を交互にかまど一杯に敷きならべ、わらやむしろなどで厚く覆い、水を打ち下の口から火をつける。大体三十日から五十日位でやけるから冷えてから引き出す。 この煙は硫黄分があるため、近づけない程のすさまじい光景であるが、この間時々水を注ぎながら焼きつづける。 最初に一千貫の鉱石を入れると二割ないし三割方減って銅・鉄の酸化物、石英および残留した少量の硫黄を含有した約七、八百貫の焼鉱となる。 |
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