新居浜市大生院の正法寺近くにある神社。
菊理媛命を祀り、昔は妙見大菩薩と称していたが、明治の代になって神社に改め、妙見神社と申し上げるようになった。
昔この地の小野某に神よりあって地中より神鏡を掘り出し、これを厚く祀らば人々の眼病を癒し給うとの神示に依り、その後社殿を営み奉斎したところ霊現あったとのことで、眼病平癒の神として尊敬された。
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新居浜市大生院の正法寺近く、妙見神社の隣にある神社。
大山祇大神、雷大神、高おかみの神、応神天皇、水波能女神、天智天皇、小野小町、太刀丘神、本智命等を奉斎して王神社と申し上げている。
本智命は大和時代にこと地方開拓に任に当てられた武国凝別命の御一族の方で、大生院地方の草分けをされた人で、当地の祖神と推定され、山麓の王塚(古墳時代の横穴式円墳)は本智命の墳墓と考えられる。
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大生院銀杏の木に「王塚」という、古墳があります。周りの田畑に囲まれて、高さ約2メートル、3坪弱の石ぐろのような形をしています。地域の人々は、王塚という名のように、皇族の方のお墓と思い誰も手をふれませんでした。明治の半ば頃、古墳を掘った人がいましたが、にわかに盲目となりそのままの状態になっています。 お年寄りの方の話によりますと、太刀・玉・埴輪ようなものが出たといわれています。 70メートルほど離れて、王神社・妙見神社・正法寺と山続きになっています。 王塚は、これらの神社、仏閣を建立された方の遺体を葬ったともいい伝えられています 正法寺・笹ケ峰の開祖、上仙上人は、息子のお身分で修験場をおさめられ、この地方一帯に多くの神社をおつくりになったとのことで、王塚はこの皇子のお墓所であるとされています。 王塚のすぐそばに、樹齢数百年の大イチョウの木があり、いくどかの落雷で原型をとどめていまっせんが、うつろな巨大な幹から、新しい枝が繁っています。 銀杏の木という地名もこの木からとられたものでしょう。このあたり一帯は正法寺の寺領で、北端に王塚、南に蓮池があり、今も建倉・ため池・蓮池など田の一枚一枚に名が伝えられています。 大正年間、農道をひらく時、多くの土器が発掘されましたが、泥塔は、愛媛県下にも珍しいものといわれています。 昔、秦氏の一族が正法寺再建にあたり、京都の地形に似た場所に、祇園社・八幡社・小野宮社などを祀り菩提寺として、寺院を建立され、七堂伽藍をそなえていました。ざんねんながら四国征伐によって、焼滅し現在の位置に建てられました。その間、王塚と大イチョウは変わりなく世の推移を見守って来ました。 王塚がいい伝えのままのものであるか、どうかは、今後の発掘を待たねばなりません。 |
王塚とは、この塚だろうか?。
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この付近の地名にもなっている銀杏の木は、田畑の中にあるこの木であろう。
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