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石 燧 園
この庭は、西に霊峰、石鎚山を仰ぎ、東に燧灘を望み見る処に位置することから、石燧園と名付けられました。
庭の洋式は、徳川時代の諸大名が好んで取り入れた、池泉廻遊式庭園です。
築庭に使われている石は、この地ならではの名石、伊予の青石で、1万トンを越える大量の石が投じられて居りますが、これだけの青石を使った庭は他に例をみません。
この庭をつくるに当たっての制作の意図は、伊予の象徴である、霊山石鎚、清流加茂川、瀬戸内海の島々に美の根源を求め、それを縮景抽象化することにありました。
即ち、滝の源は石鎚山を、それから流れる小川は加茂川を、そして大地は瀬戸内海 その他に点在する大小の石組みは、内海に浮ぶ島々を現したものです。
川の途中のゆるやかな流れは、平安の昔の「曲水の宴」の「遣水」を また、南山亭前の池泉は、愛媛県の図形を その中心に聳える巨石は石鎚山を表現しています。
大池から西望したとき、左に見える築山は八堂山 その湧水は津越の滝、右の築山は高峠山その真中の朱塗橋は、メロディー橋を形どったものです。
なお、この庭園は、和風庭園の雅趣と、欧風の牧場風景の対比についても心くばりをしておりますので、充分、ご鑑賞下さい。
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