乙女宮の祭神
(日本の歴史に照らして)
神功皇后14代仲哀天皇妃の三韓征伐に
因みて三柱の海神 男神(底、中、上)筒男の神三韓へ
の海上守護として現らわる これ天照大神の御魂の
顕現としての如し
九州は筑紫の宇美の伊斗村に先づ奉祭され
大和路への帰還の后大阪の住吉の社として是れ
を祭るものの如し 垣生此の地を女乙の山に寄航
の縁由よりこの海神なり
神功皇后(海女)を祭ることとなれるものの如し
女乙の名称を后に口碑として変遷途上いずれかの
年代頃からか女神としての地名称呼となれるものと
思もわれる
昭和46年4月 山主敬白
社殿の変遷
皇后寄航時創草 宝暦12年再建
明治30年再建 昭和46年再建
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