東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内旧住友病院本館

旧住友病院本館

 「愛媛の近代洋風建築」(昭和58年、社団法人日本建築学会四国支部)に、「旧住友病院本館」が掲載されていた。
 この本では、新居浜海運且末ア所となっていた。

 建物の写真に見覚えがあり、現地を確認した。
 惣開町の住友化学愛媛工場の近く、住友化学歴史資料館の南西側、T字路の角に写真と同じ建物があった。

 「愛媛ケミカルテクノ梶vの看板が出ていたが、この建物には 1Fに愛媛ケミカルテクノ、2Fには住化農業資材鰍ニ住化アルケム鰍ェ入っている。
 
 「愛媛の近代洋風建築」に以下のようなデータが記載されていた。
   竣工    :明治32年8月1日
   構造・規模 :木造2階建
   設計・施工者:不詳
 住友別子病院は、明治16年(1883)に別子山村目出度町で開業したのが始まりであり、その後の変遷は以下のようになる。
年号 西暦 内容
明治16年 1883 住友私立別子病院開業(別子山村目出度町)
明治32年 1899 私立住友病院を惣開に本院として移転(目出度町の病院は出張所となる)
明治34年 1901 新居浜に住友病院新築
明治38年 1905 住友病院四阪島出張所開設        
住友病院東平出張所開設
大正6年 1917 住友病院端出場出張所開設
大正14年 1925 住友病院筏津診療所開設
昭和3年 1928 住友病院東平出張所を分院に        
住友病院四阪島出張所を分院に
昭和6年 1931 住友病院山根分院開設
昭和11年 1936 住友別子病院新築工事完成
昭和41年 1966 住友病院山根分院廃止

 この建物は昭和11年に病院が現在の王子町に移転されるまでの37年間病院として使用され、その後に学校としても使われたが、昭和22年以降は事務所として利用されている。


 2008年、市内の10箇所に産業遺産説明板が設けられ、旧住友病院本館の玄関前にも説明板が設置されている。

 
昭和34年の旧別子病院(別子銅山記念館蔵)

旧別子病院
 
 住友私立病院として明治16年(1883)に別子山の目出度町に開業していたが、明治32年(1899)の別子大水害で別子山中の諸施設が壊滅的な打撃を受け、製錬施設を惣開へ移転したのに伴い、病院も同年に金子村に移転した。その後、明治34年(1901)に惣開に診療科四科(内科、小児科、外科、眼科)一般病床21床で新築される。現存する二階建ての建物は、大正8年(1919)に玄関付近に増築した部分である。現在のポーチは簡素なものに改造されているが、当時は二階から外に出られるバルコニーがあって、ポーチ両側の四本の円柱にしっかりと支えられ、洋風建築らしさを強調していた。その後、別子建設梶A新居浜海運鰍フ事務所に使われ、現在は、愛媛ケミカルテクノ梶A住化農業資材鰍フ事務所として利用されている。
 病院は、昭和11年(1936)、王子町に住友別子病院が新築されて移転し、住友五社の共同管理になる。更に昭和41年(1966)には隣接地に移転し、現在の住友別子病院となる。

 きゅうべっしびょういん
小学生用解説

 別子病院は、1883年に別子山で始まり、ここへは1901年に移転してきた。  そして1936年には、王子町にうつり、住友別子病院となった。 1966年に建て直して今の住友別子病院となった。
新居浜市
 

 

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