東人の新居浜生活/近郊の観光地新居浜市内/黒島

黒島海浜公園


新居浜市の東部海岸寄りにある海に面した公園。
駐車場を降りてグランドの脇を抜けると遊歩道があり、山道を上る。 頂上には展望台があり、近くの大島(新居浜市内の島)や瀬戸内の島々、山陽地方が見渡せる。
展望台から別の道で降りて芝生の広場に出る。 ここから海岸まで降りられる。
広場から少し坂を上るとフィールドアスレチックの設備や長いローラー滑り台がある。 その下には遊具広場。
フィールドアスレチックの側にはキャンプ場もあり、その脇から別の遊歩道が延びていた。 どこに行くのか知らぬまま歩いていくと海岸に到達。 海岸から戻る道は元来た道のみであったが、引き潮の時には海岸沿いに歩くと芝生の広場まで行けることを確認した(足場は悪いが)。

広大な起伏に富んだ場所に色々な施設が配置され、空にはトンビが何羽も弧を描いて飛んでいてのどかさを感じる場所である。

展望台から見たグランド付近。

フィールドアスレチックのネットを張った橋とローラー滑り台。

【関連URL】
       新居浜工業高校のホームページ


大島

関東で大島と言えば伊豆大島であり、東人の故郷の平塚からも大島は見えた。 愛媛で大島と言えば、今治の先にある大島を指す。 日本全国で大島という名前の島が幾つあるか知らないが、新居浜の市内にも大島という島がある。 この大島は、新居浜の東部に有り対岸からは間近に見える。 黒島海浜公園の手前で右折すると大島への渡航船の乗り場がある。 渡航船には車も載せられるが、車で大島に行く場合には、それなりの覚悟が必要である。
新居浜の大島は、かの有名な伊予水軍(村上水軍)の発祥の地と言われている。
実は、私もしばらくの間、大島には行ったことが無かった。


このホームページを開いてから、大島の人とメール交信するようになり、そのきっかけで訪問することとなった。
その人は、大島にある吉祥寺の住職で、私と同じ東人であった。
大島に渡り、お寺を訪問し、住職さんに軽四で島を案内してもらった。
島の東側には海に沿った道があり眺めがきれいであった。この辺りは岩場になっていて潮干狩りには良い場所とのこと。
島の北側に近づくと山道になり、軽四がやっと通れる道幅で、軽四でも周囲の藪で車を擦りながら進む必要がある。
島の北側には砂浜があり、かつては海水浴場であったとのこと。今では、海の家も荒れ果てているが、数名の若者が海に入っていた。 海水浴場でなくなった理由は、鮫が出る危険がある点および、バブル期に進んでいたリゾート開発が倒産したことも影響しているらしい。
島の西側も藪の中の細道であった。
村上水軍に関しては、物としては何も残っていないらしいが、古文書の記録や、山に城跡(本丸跡、二の丸跡)が発見されたり、「舟かくし」、「舟くぼ(造船所)」等の地名がその名残とのこと。
97年11月に配布された新居浜の市政だよりは、市政60周年記念特集号であるが、その中で「大島」について紹介さている。
大島への渡航船は、約1時間に1本あるが、これは大島の人が新居浜に出るためのものと考えた方が良さそうだ。
船の時刻表は、次の表のようになっている。大島に渡ることを計画している人は参考にしてください。

黒島発大島着大島発黒島着
 6:206:35
6:457:007:107:25
7:458:00 8:158:30
8:459:009:159:30
9:45 10:0010:1510:30
10:45 11:0011:1511:30
11:45 12:0013:0013:15
13:30 13:4514:0014:15
14:30 14:4515:1015:25
15:45 16:0016:1016:25
16:35 16:5017:0017:15
17:30 17:4518:0018:15
18:30 18:4519:0019:15
19:30 19:4520:1520:30
20:4020:5521:0521:20
21:3021:45

 大島の特産物は、蜜柑と白芋である。「白芋」というのは大島でしか採れない芋であり、サツマイモに似た形と味だが、色がジャガイモのように白い芋である。
 大島の蜜柑は「潮風っこみかん」と呼ばれている。新居浜市内では、蜜柑を大規模に栽培しているのは大島しかなく、蜜柑の季節になると船で渡って蜜柑狩りをする人が多い。
 吉祥寺のご住職の計らいで、蜜柑狩りに出かけた。
 今年(98年)は不作ということだが、一本の木に多くの蜜柑がなっていた。
 4本の木から、プラスチックケースで約10箱の蜜柑を収穫した。
 その一部を家まで持ち帰った。近所にも配ったが、それでも暫くは蜜柑を買わずに済みそうだ。



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