東人の新居浜生活/近郊の観光地ちょっと遠出(日帰りで行ける所)松山方面浄瑠璃寺・八坂寺

浄瑠璃寺

   砥部動物園の近くで、「四国霊場第四十六番 浄瑠璃寺」と「四国霊場第四十七番 八坂寺」の案内標識を見かける。
 標識に従い、行ってみるとこの二つのお寺は近いところにあった。
 
 
 第四十六番 医王山 浄瑠璃寺
 愛媛県 松山市浄瑠璃町282
 
 浄瑠璃寺の駐車場は入りにくい構造になっていた。
 進行方向と逆向きの急な坂道があり、そこを登って浄瑠璃寺 の裏に回ると駐車場がある。




八坂寺


 第四十七番 熊野山 八坂寺
 愛媛県 松山市浄瑠璃773


八坂寺

 四国88か所47番札所、総本山醍醐寺末で、真言宗古義派。
 寺伝によると大和時代(1300有余年前)に始まり、文武天皇のとき勅願所となる。
 七堂伽藍を初め12の宿坊、48の末寺を持つ大寺院であったが、のち戦国時代兵火のため堂宇みな灰じんに帰したという。本尊は阿弥陀如来坐像で、県の有形文化財に指定されている。また宝筺印塔、層塔も鎌倉末期のものと推定され、いずれも松山市指定有形文化財(昭和40年5月11日)である。
松山市
 松山市教育委員会
 


木造 阿弥陀如来坐像 一躯

愛媛県指定有形文化財(彫刻)
 昭和40年4月2日指定

 八坂寺の本尊であり、50年に一度しか開帳されない稀仏である。像高84センチメートル、重さ18キログラム、上品下生印を結ぶ阿弥陀如来坐像で、寄木造である。
 鎌倉時代後期のものと言われ、源信(恵心僧都 942〜1017)の作と伝えられている。
 粒の粗い螺髪、低い肉髻、髪際のゆるい波形、張りのある引き締まった面相のさま、納衣の深く複雑な衣紋の彫り方などには鎌倉時代前期の手法や特色が顕著で、当時の代表的な作品である。
 昭和10(1935)年に金箔塗り替えの修理が行われている。