作曲家と演奏家

Mm-001

Composer and Player

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20世紀、実験的な現代音楽が多い中、新しい世紀が求める音楽は心ではないかと思っています。一人一人が離れ離れな存在なのに、時代を超え空間を超え、みずからの中に「共感する魂」があることを通じて、見えない心同志が実はつながっているということ、それを実感させるものが芸術だと思います。文学が文字を通じてですが、音楽は国境を超えてダイレクトに実感させるチカラを持っている点ですごいと思います。その体験を通じて、人類はみな魂の兄弟であることがわかれば、地上からも戦争が無くなる日が来ることでしょう。これは音楽家が目指すべき1つの方向ではないかと思います。つまり「音の調和」を超えて「世界の調和」へです。そして21世紀に向けて、情報技術や科学技術が進歩しても、それを大いに活用こそすれ、それに振り回させない態度が本物には求められると思います。本末転倒にならないということですね。
作曲家が再現型メディアに作品を残すことの意義については、演奏家には大きくは二つのアプローチが有ると思います。1つは再現を求めるという姿勢と、もう1つは素材として育てていく姿勢です。例えばバロック音楽が良い例だと思います。前者の例としては、バッハの曲を当時の古楽器と調律や奏法を再現しようとする姿勢があります。アルノンクールやレオンハルトなどがその典型です。その一方で、後者の例としては、バッハ音楽を現代的な解釈で演奏する姿勢もあります。たとえば、ジャズで楽しみ、可能性を発見し育てていくアプローチですね。
作品は作者の手を離れた時から不変のものですが、時代の精神は動いていくものです。そして、時代を超えて残る作品は普遍性を持っています。移ろい行く時代の中でも、作品の本質は決して変わることがありません。音として聞こえる演奏は、1つの影であり、作曲者による演奏も1つの影にすぎません。作曲者による演奏が唯一無二のものであるのなら、他はすべてパロディという見方になるでしょう。でも、実際には優れた演奏家によって、作品の普遍性が引き出せることさえあると思います。あえて、「引き出される」という表現を使ったのは、作曲家にはインスピレーションという、ある意味で本人の力を超えた高次元の力が働いている瞬間があり、作曲者自身は自覚していないことがあるからです。そこまで読み取れる演奏家の演奏は、きっと十分に価値が有ると思います。ですから、私は個人的には、自分の作品を他の演奏家がどのように解釈し演奏されるか、とても興味と関心があります。演奏家に求められることは、作曲者が作品に込めた思いを読取る理性・感性と悟性であり、同時代に対する感性と、同時代に生きる人々にわかる方法で提示する技術だと思います。
再現型メディアがいかに発達しようとも、各時代に演奏家が必要な必然性が、そこにあるのではないでしょうか。そして、作曲者として何よりもうれしいことは、自分の作品によって喜びを感じて頂けているということです。(2000年6月6日付・村山誠書簡集より)

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