モーツァルトとウェーバー

music forum

Ky-095

Mozart and Weber

村山先生、今晩は! 早くも二月の中旬を過ぎました。このところ大変寒い日が続いておりました。こちらでも久しぶりに雪が降ったり、氷が張ったり致しました。春間近かの今日この頃ですが、もう庭の木蓮が白い蕾を膨らませています。さて、今日はモーツァルトのドイツ語オペラの伝統を受けついで、その内容を発展させてワーグナーに繋いだ重要な作曲家として印象深いウェーバー(1786−1826)ですが、「舞踏への招待」でウィンナ・ワルツの創始者となったことを、今年のニューイヤー・コンサートでアルノンクール先生から教わりました。今年のニューイヤー・コンサートは本当に素晴らしく、放送終了1時間後に世界で一番早くCDを作製して、現在も繰り返し聴いています。さすがにアルノンクール先生は小沢征爾先生より一枚上でしたね。その事は聴衆の拍手で分かりました。「舞踏への招待」の後に、シュトラウス親子がウィーンでワルツの華を咲かせた事はご周知の通りであります。
さて、ウェーバーがモーツァルトの妻コンスタンツェの従弟であることも知られています。モーツァルトが最初に恋したのは姉のアロイジアでしたが、彼女達の父はフリードリン・ウェーバーと云い、カール・マリア・フォン・ウェーバーの父の兄であり、マンハイム選帝侯の専属歌手をしていた。1777年に母と二人で訪れたマンハイムでモーツァルトはウェーバー家と交わり、アロイジアに恋心を強く抱いたが、アロイジアは天才の才能を見抜けなかったのであろうと言われている。モーツァルトは結局、1782年に妹のコンスタンツェと結婚した。それはアロイジアがウィーン歌劇場と契約したために、ウェーバー一家がウィーンに移住して来て、モーツァルトもその家に寄宿していた。この結婚は父親のレオポルドが強く反対したが、モーツァルトは従わなかった程に意思は固かった。こうしてウェーバーは、モーツァルト家と縁戚関係にあったのであります。ウェーバーの父はフランツ・アントン・フォン・ウェーバー(1734−1812)であり、軍人や役人をしながら旅回りの劇団を組織して欧州各地を回ったりしていた。彼の望みは、レオポルド・モーツァルトの様に息子を天才音楽家にすることであったと言う。50歳を超えて1786年にウィーンで30歳も年下の娘と再婚して生まれたのが、カールであった。生まれつき弱かったカールは、幼少時から周囲の反対を押し切って父から音楽教育を受けた。旅回りで各地を歴訪したのも、モーツァルトと生い立ちに共通点があると言える。さまざまな遍歴を経て、1813年に
プラハ歌劇場の指揮者に就任した。プラハと言えば、1787年にモーツァルトが「ドン・ジョヴァンニ」を大成功させた歌劇場がある街である。この巡り合わせも因縁を感じさせるものがありますね。ウェーバーはここで、「ドン・ジョヴァンニ」以後低落していた、この由緒ある歌劇場の再興に成功している。指揮棒を初めて使った指揮者の一人でもあり、1816年にドレスデン歌劇場に移るまでの3年間は充実した音楽生活を送っている。その後は1826年に自ら指揮して、英語のオペラ「オベロン」をロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場で成功させてから、結核が悪化してその年の6月5日にロンドンで客死した。その遺骨は18年後の1844年、彼の音楽的遺志を継いだワーグナー自身の助力により、息子マックスに見守られてドレスデンに帰還したのである。ウェーバーはこうして、モーツァルトからドイツ語オペラの伝統を受け継いで、ドイツ・ロマン主義の傑作オペラ「摩弾の射手」に結実させて、更にワーグナーにバトンを渡した重要な作曲家として歴史的に高く評価されて来ました。モーツァルトが完成させた華やかな古典派のオペラ形式は、こうしてウェーバーによって北のドイツ語圏に、イタリア語オペラの伝統はロッシーニやドニゼッティとベルリーニによって南のイタリア語圏に伝播してヴェルディへと繋いで、共に19世紀のオペラ全盛時代を到来させたのであります。
この様にオペラの歴史を辿って行くと、モーツァルトがアルプス山脈の様に
最高峰の分水嶺を形成している事に改めて気付かされます。モーツァルトの時代の考証は、アルノンクール先生の名著「古楽とは何か」に余すところなく記録されています。ワルター、ベーム、アルノンクールとモーツァルト専門家の伝統も涸れることなく、現代そして未来へと涛々と流れています。ウェーバーの作品も早く聴きたいのですが、現在はモーツァルト全曲マラソンの最中でありますので、残念ながらお時間がありません。マラソンがもし終われば、真っ先にウェーバーの作品を聴かねばと考えています。
最近はパソコンを Windows XP Professional に替えてから苦戦していましたが、やっと昨日キーボード入力でMIDI録音に初めて成功し、楽譜出力と印刷にも成功しました。しかし、XPには様々な問題があり、98系で蓄えた膨大なデータをXPでは十分に利用できないと云う悩みがあります。キーボードの入力から約0.5秒も発声が遅れることも致命的であります。それは音楽で最も重要な
テンポによる精緻な表現を入力出来ないと云う、将に決定的な欠陥であるからです。更にDTMの研究を進めて素人でも十分に作曲できる環境を開発して参りたいと念願しています。今日は最近ある友人から東欧の音楽事情について質問を受けて、モーツァルトとウェーバーについて調査した事についてご報告致しました。今年も更にモーツァルトの作品を聴き続けて参ります。現在は未だ、「フィガロ」と「ピアノ協奏曲第20−24番」のままであります。それ程にこの作品群が素晴らしいので、次へ進めないという嬉しい悩みの最中にあります。このまま一年間聴き続けても良いとも感じていますが、何時かは次に進まねばなりません。

冬枯れの鴨川遡る両岸に、昔変わらぬ町と人見ゆ!

Cycling upwards along the bank of Kamo River to see town and people unchanged !

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16 Feb 2003

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